第三章
気付くと、ボクは地面に座り込んでいた。
「……」
ボクの視線の先には人が一人倒れていた。倒れている周りは赤い。倒れている人自体も赤い。
濡れている。赤く濡れている。そしてボクも赤く濡れていた。
倒れている男から少し離れた場所に白く輝くものが落ちていた。銀色のナイフ。その銀色に輝く刃物を手が掴んでいる。でもその手は肘から先が無い。銀色のナイフを掴んだ腕だけがそこに落ちている。……なに、これ?
「駆け出しの異端審問官か」
ボクの隣に男の人が一人現れて、乾いた声でそう言った。
「普通に生きようと願っても、向こうから普通を壊しにやってくる。困ったものだ」
「……わたし、なにをしちゃったの?」
ボクが自分のことをわたしと言っている。
「お前が自分の身を守った。それだけだ」
わたしと名乗るボクに隣の男はそう答えた。
「じゃあなんであのひとはちだらけでたおれてるの?」
「お前が身を守る代償となった。それだけだ」
「だいしょう……っ!?」
ボクは急に口の中に鉄の味を感じて気分が悪くなった。
口の中の物、そして胃の中の物を全部吐き出した。酸っぱい胃液のような液体だけが吐き出されてくる。自分の口から出たその液体には赤が混じっていた。……なんだこれ。
「……なんで、くちからでたものがあかいの?」
ボクは赤い食べ物なんて食べてない――食べてない。
「それは、あそこで倒れている男の血だ。それだけだ」
隣の男が簡潔に事実だけを告げる。
「わたし……あのひとのことたべちゃったの?」
「食べてはいないだろう。だが多少は歯を立てる時に血を飲んでしまった。それだけだ」
それだけ。隣に立つ男の人が繰り返す、それだけ。
「……ぅ、ぁ」
何度目かのそれだけを言った時、今まで全く動かなかった倒れた男が、ゆっくりと頭を動かした。回転して位置が変わったその目が、ボクのことを見た。
「……異、端の……者……め、ぇ……」
そう口にした瞬間、隣に立っていた男が倒れた男の方へと向かい、足を振り上げ、それを――
「――!」
ぱちんっという擬音が聞こえてきそうな勢いで陽子は瞼を開いた。
「……夢」
ぼやけた視界が正常になってくると、見慣れたといってもいい近い位置にある部屋の天上が見えた。ここに入寮してからずっと見てる二段ベッドの上からの光景。そして自分の下には新しい同居人が寝ている。
「……二日連続で変な夢見た」
しかも今朝見たのは昨日のような全くの幻想ではない。過去の記憶だ。
「……」
家族以外の他人と一緒の部屋で寝るなんて殆ど無い経験。しかも二人っきりは始めてだ。そして今後はそれがずっと続くのである。そんな想いが幼少時の夢を見させたのか。
それはまだ陽子が小学校に上がった直後ぐらいの年齢の時だったと思う。
陽子が家への帰り道を歩いている時、それを塞ぐように男が一人立っていた。服装は良く分からないけど、牧師が着る服に似たものを着ていたように覚えている。陽子が一人になるのを待ち伏せしていたのだろう。
その男は呪詛のようなものを呟きながら陽子の方へと近づいてきた。今から考えたらその呪詛は『異端の者め……異端の者め……』と、自分自身に言い聞かせる言葉だったように思う。
男が右手に持っていた物を振りかざした。その白銀に輝く刃を見た瞬間、陽子の中の本能が爆発した。
あれは銀だ。銀は猛毒。銀でできたものにほんの少しだけ傷つけられただけで死ぬことになる。親から教えられたその言葉、そして狼人として持って生まれた防衛本能。それに従って陽子は銀のナイフを持っている男の右腕に噛み付いた。
それからのことを陽子は覚えていない。
男と銀のナイフを掴んでいた右腕が離れた場所に落ちていた。男は全身真っ赤に濡れていた。そして陽子自身も真っ赤に濡れていた。口の中に血の味を感じた。
呆然としている陽子の隣に新しい男が現れて、この状況を説明してくれた。このような光景を見ても平然としていられるのだから、それは多分父親だったのだろうと思う。
右腕を失い血まみれで倒れている男は、異端審問官という職のものらしい。しかもその職に就いたばかりの素人同然の者。
彼は駆け出しの異端の討伐者。手っ取り早く手柄を上げて上の位へと昇進したい。だから子供の亜人類に目をつけたらしい。そうして目標とされてしまったのが幼い時代の陽子だった。
もちろん異端審問官の中でも、例え敵対する相手だとしても子供に手をかけるのは忌避することだと教えられているが、憧れの職に就いたばかりの彼からはそのタガが外れてしまったらしい。
手柄を上げればタブーなど関係ない――新人らしい思い上がりに従って目標を探した結果、幼少時の陽子を見つけることになる。
子供相手なら簡単だろうと、銀のナイフ一振りだけの装備で彼はやってきた。
だが彼は、相手をあまりにも過小に見すぎていた。たとえ子供といえども、相手が本能のまま全力で動き回ったら、駆け出しの異端審問官など敵うべき相手ではないという事実から目を背けていた。
そして陽子も悟った。自分が全力で暴れれば人間の大人――それが特殊な職の為の訓練を多少積んでいたとしても――であっても、殺す寸前まで追い込むことは簡単なのだと。しかも相手が
更には殺す寸前まで追い込めるなら、そこから先の選択肢を選ぶのも陽子の自由。
『……こんなの、ふつうじゃない……』
幼少時の陽子が思わず呟く。
隣の男が語った、普通に生きようと願っても向こうから普通を壊しにやってくる、という言葉。それが強く耳に残っていた。
普通を壊しにやってくる者を血まみれにしなければ普通が守れない。そんなの、普通じゃない。
『わたし……――ボク、あしたがっこうでともだちとあそぶやくそくしてるの。だから、あしたも、ふつうに、がっこう……いきたい』
普通に暮らしたい、普通に学校に行きたい、普通に友達と遊びたい。普通に生きたいと願う陽子は、いつの間にか自分のことをボクと呼んでいた。
『そうか』
隣に立つ男性はただ一言そう答え、それ以上は何もいわなかった。
「……ボクはあの時『わたし』という本能のまま動く獣人の少女を捨て去り『ボク』という普通の中で生きたいと願う狼人の女の子を迎え入れたんだったね」
近くにある天井を見つめたまま、陽子が述懐する。
あの異端審問官という男がその後どうなったのかを陽子は知らない。隣にいた男――多分父親であろう男が止めを刺したのか、それともそのまま死んでしまったのか、あるいは一命は取り留めてまだどこかで生きているのか。
陽子自身はその件で何らかの罪に囚われることはなかった。両親が何とかしてくれたのかも知れないし、異端審問協会の方から何らかの譲歩があったのかも知れない。
それ以来陽子は異端を討ちし者とは遭遇していない。
体が大きくなるにつれて自分の容姿をなじられてそれが喧嘩に発展することは数多く経験したが、異端審問官が討ちに来るというそのものズバリな命の危険は無くなった。子供の時点であれだけの強さが知れたのだから下手に手を出せなくなったのだろうとは思う。
しかし陽子自身は、もうあの時発揮した獣の本能の力を使いたいとは思わなくなった。そんなことをしたら自分の周りの普通が壊れてしまう。もちろん子供同士の喧嘩程度では陽子も獣の本能に従った全力を発揮することも無く、多少腕っ節が強い女の子の範囲で収まっていた。だから自分自身も怪我は沢山してきた。先日はヒトミを助けるために多少の無茶をしたが、それでも普通を壊してしまうほどの無謀はしていない筈。
「普通に生きるって、むずかしいね」
陽子は溜め息混じりにそういいながら勢い良く布団を跳ね除け、二段ベッドの上から飛び出して床の上に音も無く着地した。
「アタシはお前にコロされるのか?」
犬飼陽子という狼娘と鬼越魅幸という鬼娘が一緒の部屋で寝泊りすることとなった翌朝。
「だって、そうしなければ……これは定められた運命なんだよ!」
二段ベッドの下段から起きてきた鬼越を見た瞬間、先に起きていた陽子は壁際に置いてあった一つの道具を掴むと、いきなり相手のことを押し倒した。そして覆いかぶさるようにして鬼娘へと迫る。
「……」
鬼越の方は既に観念したのか目をつぶって覚悟を決めるようにしている。
「……」
そして陽子も右手で振りかざした道具を、相手へと振り下ろすようにし――
「痛い痛い! 接着面が肌に当たると痛い!」
未知なる感触に苛まれた鬼越が悲鳴を上げる。
「がまんしてがまんしてっ」
陽子はそういいながら右手で持った道具――コロコロ(正式名称粘着カーペットクリーナー)を鬼越の服といい肌といい所構わずコロしまくる。
「いたたた……もうちょっと加減しろ」
コロコロで直接肌をころころされた部分がヒリヒリする鬼越が抗議の声を上げる。
「だってぐりぐりしないと、毛ちゃんと取れないし」
昨日ルームメイトになったばかりの相手を良いようにころころしまくった陽子が言う。
「いやホントごめんなさいこの部屋、毛ばっかで」
一応は謝っているが、自分がしたことなどなんでもないことのように、鬼越の体から離れて部屋の他の場所をコロコロでころころし始めた陽子が言う。
「……アタシはそんなには気にならないがな」
良い様に陵辱されてしまった鬼越は痛みの残る肌をさすりながらそんな風にいうが、やはり陽子の方が気になるのだろう。陽子にしても同じ部屋に誰かと住むというのも始めての経験なので、鬼越の体に付着していた十数本の毛を見てびっくりしてしまったと思われる。
「まぁ強引なことはさておき、それにしても裁縫も得意で掃除も得意ならば、お前は良い嫁になれるな」
昨日の夜に自分の衣服に尻尾用の穴を開けて縫い直す話は聞いていたので、そういう部分は鬼越も認めている様子。
「……そんなこといってくれるのアナタだけよ」
ころころを続けながら陽子が悲しげに言う。普通の人間には陽子の魅力は殆ど伝わっていないのは実証済みだ。
「最後の最後に本当に困ったらミユキがボクのことをお嫁にもらってくれる?」
「……むぅ?」
「そこは冗談でも良いからうんっていいやがれこんちくしょーっ! 鬼越お前もかーっ!」
キーンコーンカーンコーン……
土曜日四時間目授業の終業のチャイム。
これが鳴ったならば本日の授業は終了である。
今から15年前、この国は鉄車帝国と呼ばれる組織に侵攻され、それを迎え撃つ形で現れたチャリオットスコードロンとの戦いに巻き込まれていた。その際に戦いの舞台となってしまったこの国の政府は、教育機関における完全週休二日制という法律を廃止していた。
その時期はある程度の騒乱が週に一回は起こる事態にこの国はあったので、年若い少年少女を一箇所にまとめておく方が避難させるにも管理するにも都合がよかろうという判断である。何しろ金曜日授業終了後から月曜日早朝の授業開始まで60時間以上もの連続した自由時間が小中高の子供たちにはあったのである。ならば土曜の午前中だけでも学校という保護者が目の届く場所に一まとめでいさせた方が効率が良かったのだ。
というわけで教室内は土曜授業の半ドン終了後のわくわく感に包まれている訳である。完全週休二日制はこのわくわく感をも取り上げていたのだから、鉄車帝国とチャリオットスコードロンの戦いが終わった後も法が復活することはないだろうといわれているし、現にそのままである。
「ミユキはこのあとどうするの?」
授業終了を告げた教師もいなくなり、自由な空気となった教室の中で陽子が隣の席の鬼越に訊いた。いつもだったらことあるごとに陽子に話しかけてくる前席の女の子も、家の手伝いがあるとかで授業終了と共に姿を消していた。
「所用がある」
鬼越女史からはそんなお答え。
「しょよう? もしかしてトーマスホガラさんの手がかりを探しに行くとか?」
所用とは用事の意味であり、鬼越の用事といえば蒸気侍の探索くらいしかないと思った陽子はそんな風に訊いてみるが
「……お前に黙っていても仕方ないとは思うのでいうが、その通りだ」
正解だったらしい。
陽子の家系が蒸気侍一派とは全くの無関係とはいえなくなったが、陽子自身がトーマスホガラとの関係を全く知らないのも分ったので、探索としては振り出しのような状態である。だから鬼越としても一から捜索再開となったわけだ。
「だったらボクも着いていって良いかな?」
鞄に授業道具を詰めながら陽子がそう提案する。
「なに?」
そんな風にどこか遊びに行くなら一緒に連れてってよ的にいわれたら、鬼越の立場であったら「なに?」と返すしかないだろう。
「お前を討つことになるかも知れぬ情報を求めに行くのだぞ? 気は確かか?」
「気は確かって訊かれちゃうとちょっと困るね、だって楽しそうだからっていうのが理由だからだし、着いていく理由はね」
そういう意味では気は確かではないだろう。
だが、ミユキという新しい友人がどこかへ行こうとするのなら、自分もそれに着いて行きたいと思ったのは本心だ。
「不思議なヤツだな」
「不思議な生き物だよ、お互いに」
いつの日か自分を倒しに来るのかもしれないけど、でも友人。不思議な生き物同士の不思議な関係。
「そうだったな」
苦笑する鬼越。
「あぢーっ」
陽子がお約束の口癖をいいながら校門を出る。
「そんなに暑いか?」
隣を歩く鬼越は制服の上からパーカーを着て、フードを被った格好になっている。陽子とヒトミを助けた時に着ていたものだ。
「ボクたちを助けてくれた時もその猫耳の部分が印象的だったけど、実は本当に中身が詰まってたんだね」
その格好を見て陽子は口に手を当てて「ぷふっ」と思わず笑ってしまっていた。
「お前のように肉と毛皮で出来ているわけではないがな」
少し照れくさそうに、むすっと返す鬼越。
彼女の場合、中の角がその猫耳部分に思いっきりフィットしてある意味自然だが、こういう容姿の女の子が猫耳フード付きパーカーを着ている時点で不自然かもしれない。その不自然な可愛さが陽子には可笑しかった。しかしあんまりがっちがちに変装してしまうよりかは、この辺のラフさ加減で抑えておいた方がかえって普通に見えるので、その辺りの事情も鬼越は分っているようである。
だが一足先に自主的衣替えをする程に熱対策に悩まされている陽子にしてみれば「そういう格好って夏とかどうなるんだろう」と見ているだけで暑くなってくるのは仕方ない。今の「あぢーっ」は鬼越の格好を見て暑さがプラスされての「あぢーっ」なのだろう(蛇足であるが鬼越は普通に長袖の制服である)
「お前は良いのかそんな丸出しで」
一応は自分の目立つ部分を軽く隠す姿形になっている鬼越が校内と全く変わらない格好の陽子に訊く。
「丸出しって……まぁボクの場合、何か上に羽織るにしてもしばらくして『暑くてやってられるかーっ』てなるのはいつものことなので、始めから丸出しなのですよ」
「暑い」という事実には何ものも敵わないのが、神狼から血をもらってしまった犬飼家の悲しい性さがである。
「本当にヤバイ時は上からポンチョっぽいのは被ることもあるけど、その被ってる姿の方がヤバイからなぁ」
「確かに」
良くないことをして掴まってしまった人間の姿を想像してしまう。
「最近は町中で平気でコスチュームプレイをしている人たちもいるから、まぁボクなんかは気ぐるみとか思われてるんじゃないかな」
ある程度はこのままでも大丈夫だよといった風に陽子が言う。
「気ぐるみにしては『ないすばでー』過ぎるな」
「お褒めにあずかり光栄です」
鬼越の棒読みな褒誉に陽子の棒読みな返事。
だが着ぐるみの中には女性の体を模した、着ると等身大フィギュアのようになるようなものもあるので、陽子も「着ぐるみです!」と押し通せる時代にはなっているのは確かだ(着ぐるみも陽子も暑いのは苦手なのは同じであるし)
そういう意味も含めて陽子のような普通ではない人々にも過ごしやすい世の中にはなっているのだろう、幸か不幸か。
「まぁ相手があんまりしつこくて面倒くさい状況になっちゃったら、あとは逃げれば良いだけだしね」
しかしそういう時代とはいっても執拗に付きまとわれたことは数知れずあるのだろう。狭い路地など歩く時、さりげなく脱出経路を確認している自分に気付くとき「なんだかなぁ~」と毎回悲しく思う陽子である。異端審問官ほどではないが興味本位のみで動く普通の人間も厄介な相手だ。
「ヤマカシとかあるじゃない? あんなの普通に出来るし」
ヤマカシとはアクロバット技術の実践者達により構成される集団名でもあるが、周囲の環境を利用してどんな地形でも自由に動いて乗り越えていく技のことを称してヤマカシと称する場合も多い。
かなり高度な体術の一つだが、陽子にとっては生まれ持った血のおかげで配水管や窓枠があれば家の壁など簡単に登れてしまう。というわけで袋小路に追い詰めたとしても彼女の場合は、上が塞がっていなければ壁を乗り越えて逃げてしまえる。
「それならアタシも知ってるな。素手で住居などを登攀する術だろ? そんなものはアタシも普通に出来る」
「だよねー」
ここで陽子は「だよねー」といったが、この「だよねー」が通じるのは隣の鬼越女史しかいない。鬼越も鬼越でこの容姿であるから「撤退」ということに関しては、里の外で生活する知識として最優先に学んだものなのだろう。
「というか適当に学校出てきちゃったけど、向かう場所は決めてるの?」
「まずは一番近い神社だな」
「神社……?」
その目的地を聞いてヨーコが少し戸惑いの声になる。
「なんだ、仏閣などは苦手か?」
「……まぁ、ボクの家系って、どっちかっていうと東洋より西洋な血筋だからさ、神社っていうとなんか苦手というか不得意というか」
この国の古代の歴史には狼人を始めとする獣人などの亜人間の話は殆ど存在しない。狼人とは似て非なる変身型獣人にしても、変化しても巨大な蛇そのものになったり巨大な烏そのものになるなど、人間と動物を合成した生き物の逸話は全くといって良いほど無い。昔話を描いた絵本には、人間のように二本の足で立って体型も人間を模した動物が描かれた挿絵が掲載されている場合もあるが、それは後年になって外の国からの入ってきた描写を取り入れたものである。
そのような家系であるので、この国に永年根付く森厳的空間は苦手なのだろう。ファンタジーな生き物を地でやってる者としては先輩には頭が上がらないとかそんなものなのだろうか?
「でもだからって教会の方は良いのかっていうとそういう訳でもなく、あっちはあっちでなんか結界とか張ってそうだもんなぁ」
付け加えるならば銀製の燭台なども置いてある教会も多いので、近づかない方が無難である。
「神社や教会に入ったらいきなり身動きが取れなくなるとかいきなり灰になるとかは無いけどね」
「難儀なものだな」
「まぁね。そういう意味じゃ鬼ってはっきりした弱点ってあんまり聞かないね?」
「そうだな、これを食らったらいきなり死ぬといった明確な弱点は少ない」
そういいつつも、何かに撃たれでもしたかのように胸を軽く擦りながら鬼越が言う。
「しかし我らは生まれながらにして忌み嫌われる存在だ」
人間にとっての明確な敵としての象徴。それが鬼と呼ばれる生き物だ。それは実際に弾で撃たれるよりも痛く辛いかもしれない。
「そっちもそっちで大変だね」
「お互いにな」
これが普通の人間が揶揄するようにいったならば大変なことになるだろうが、お互い同じような存在なので、あまりできない身の上話をお互い喋りあいお互い聞きあっている状態だ。
「で、話は戻るけど、なんでしょっぱなが神社なわけさ?」
「そのような霊験
「えーと、見つからなかったら次はどこに?」
なにかその神社ですら既に見つかる可能性は低く見積もられている様子だったので陽子は思わず訊いた。
「一つ一つこの町を虱潰しに探していくつもりだ」
「……はい?」
その答えに思わずキョトンとなる。少し口が開いてしまって犬歯が覗く。
「ひとつひとつの家……というか建物を周るってこと?」
「いかにも。この町の全ての」
ここは、首都艦程ではないにしても、それなりの数の人口を抱える県にある町の一つである。しかも陽子の実家のある山奥の方ではなく、河川沿いの発展地域だ。戸数にしても視認の確認では数え切れないほどの家が立ち並ぶ。
「そしてこの町が終われば隣町に進行する」
当然といった表情で鬼越が更に付け加える。
「じゃあ最終的には……」
「この国の全てだな、足を踏み込むのは」
陽子もある程度は予想したが、その予想通りの答えを鬼越は示した。
「アタシはこの町この国でトーマスホガラを探せと命じられた。それを実行するだけだ」
「あの、トーマスホガラさんって、そもそもまだ生きてるの?」
実行するにしても目標となる人物が既に他界していた場合はどうするんだと陽子も思う。
「長命な種族であったといわれている、我々と同じように」
「……まぁ、鬼の里を壊滅させることができるくらいなんだから、長生きくらいは普通に付いてるオプション装備なのか」
長命な血を受け入れた血族は、未来に伝えていく何かを守るため――その為に自らを守るために、腕力や耐久力自体も強い。いくら寿命が長くても外敵に殺傷されて死んでしまっては目的が達せられない。その意味では陽子がいった意見は逆なのであるが。
「死んでいるなら死んでいるでその証を見つけて持ち帰るだけだ。そのための探索でもある」
「……それってもうとんでもないくらいの時間がかかるって最初から決まってるようなもんなんじゃ?」
「それでアタシの一生が終わったとしても、それで構わん。そのために生を受けたのだ、それで命数を全うするなら本望だ」
「……」
生まれながらにして使命を受け、それを愚直なまでに確実に実行しようとする彼女。
本来なら誰からも忌み嫌われ、生まれながらにして悪役を演じるのを強制された血が流れる彼女は、その生き方すら最初から受け入れる。悪なら悪らしく、一族が受けた恨みを晴らすために一生を費やす。
そんななんのためらいも無く、清々しさまで感じさせるその横顔に、陽子は何もいえなくなってしまった。
(ボクは……そんな生き方、できるんだろうか)
普通ではない場所で普通ではない者として生まれ、普通ではない任務を授かって行動する者。
しかし鬼の里の中で生きるだけであったならば、鬼越は普通の女の子として生きていけるはずだ。だが彼女は自分に与えられた役目を果たすために外の世界に出てきた。
それはいざとなったら変えれる場所があるからこその勇気なのだろうか。しかし鬼越は里に帰るつもりはさらさら無いように見える。
自分と鬼越の差はほんの少しのものであろうと陽子も思う。周りにいた同属が多かったか少なかったか。その意味では自分は鬼越と同じ行き方もできる筈だが、それをこなす自信がまったく湧いてこない。その僅差が二人の間に大きな隔たりを作ってしまったように。
同属の数が少ないので普通の人間の中に混じって生きていかなければ普通になれない陽子。
多くの同属が周りにいた普通の世界から、外の世界へ出て異端となった鬼越。鬼越は里から出て間がない筈で、陽子のような幼少時の醜い経験は無いだろう。そして未経験だからこそ、大胆に行動できる強みもある。
(……普通って、なんだろう?)
わたしからボクになった瞬間から、普通であることをずっとためらいなく生きてきた陽子の中に、小さな疑問が生まれてきた。
「……」
「なかなか立派な場所だな」
二人が辿り着いた神社は、こじんまりとはしているがそれなりに広壮な場所だった。
本殿や宝物庫などこまめな清掃が行き届いているらしく、風化以外の大きな汚れは見当たらない。
「この国にあるこういう場所(神社とかお寺)とかは基本的には全部立派な場所だよ」
周りに住む住民が全員絶えたなど余程のことがない限り管理する者の一人でもいれば、この国にある神社仏閣は基本的にはどこでも綺麗に整えられている。
「ふむ……?」
そんな小さいながらも小奇麗に整えられた神社の境内の奥にある木の下では、一人の巫女が落ち葉の掃除をしていた。木漏れ日になっていて良く分からないのだが、どこかで見たことがあるような顔の女が掃き掃除をしているなと鬼越が思っていると
「……うぉっとっ!? ちょうずば発見!」
陽子がそういいながら飛び退るようにして鬼越の後ろに隠れた。
「どうした?」
鬼越が不審に思い陽子の視線の先を見ると、境内の右手に手を洗い清める水場を見つけた。
「い、いや、あの水とか浴びたら、火傷とかしそうじゃない、ボク?」
鬼越の背中から目だけを出して
「お前が火傷するのならアタシだって火傷するだろう?」
盾にするなといった風に鬼越が言う。
「いや、ああいう聖水系って東洋よりかは西洋のなんやらかんやらに効き目あるじゃない? ボクはどっちかっていうと西洋系だから――」
「なに二人揃って!? うちの神社壊滅させに来たの!?」
境内を震わす突然の大音声。陽子のびくびくとした声が途切れる。
先ほど木の下で掃き掃除をしていた巫女が竹箒片手に、二人の下にすっ飛んできた。
「……お前だったのか」
血相を変えてやって来たその貌を見て、彼女が高校での教室内で自分の席の斜め前の席の女子生徒――鬼越の前の席は斉藤氏の席であるからその隣、つまり陽子と良く話しをしている前席の子であるのにようやく気付いた。「大工と鬼六」の本が鬼越の到着以前に陽子の部屋に舞い込む理由を作った彼女である。
「あれ? 家が神社だって聞いてたけどここだったんだ、ミカ?」
陽子が鬼越の後ろから言う。彼女自身は前席の女の子が神社の家の者であるとは以前から知っていた様子。
「そうだよ、うちの高校から一番近い神社だっていったでしょ? それにしてもなによ狼女と鬼女が二人して、本当にここ潰しに来たの? 祟るわよ?」
前席の女の子――ミカと呼ばれた女の子が竹箒を両手で持って身構えるようにする。
「なんだ、我らでは参拝ですら立ち入りが認められんのか?」
「手水場見てびくびくしてるようなヤツが、こんなとこに普通に参拝になんかこないでしょ?」
鬼越の反論は即効で一蹴された。
「……バレてた?」
鬼越の後ろから陽子が申し訳なさげに言う。
「わからいでか」
ミカは、陽子が手水場を発見して鬼越の後ろにぴょんっと隠れた時に、二人の存在に気付いていた様子。
「なんだか巫女にいわれると、そんなつもりで来たのではないのに申し訳なくなってくるな」
「後ろに同じ」
「で、二人は何しに来たの?」
巫女の彼女が構えた箒を下ろしながら言う。二人の雰囲気がさっぱり争いごとをするような気配が無いので、彼女も普通の対応に切り替えた。
「探し物をしに来たんだよ」
鬼越の後ろにいた陽子が隣に並びながらそういって、鬼越の腕を肘でちょいちょいと押す。自分の方が巫女の彼女とは仲がいいので、話のきっかけを作ってやった形である。事によれば自分を討つ話に発展するかもしれないというのに、優しいというかお人よしというか。
「トーマスホガラという人物の手がかりを求めて探索している」
「とーますほがら?」
一番最初に陽子が問われたように、その聞きなれない音階にミカも首を捻る。
「それはうちの神社に関係ある人なのかな?」
「わからん。それも含めても探索をしている」
「それは難儀な……えっと、漢字ではどう書くのかな?」
しかし彼女はこのような森厳灼かな場所にいるからか、陽子とは違う返し方をした。
「漢字?」
「どういう漢字が当てられているかで、色々と推測できるから。それがここには無くても関係ありそうな他の神社を紹介もできるよ」
「……里の方では口伝でしか伝わっていない。トーマスホガラはトーマスホガラだ」
巫女である同級生がこのような場所の出身者ならではの意見をいってくれたが、鬼越はそれ以上のことを説明できなかった。少し申し訳ない。
「まぁ大昔から伝わってる話って口伝えが多いからね、昔の人は字とか書けなかった人が殆どだし」
「三人の銃士の方はどうなのかな?」
ここでまたもや陽子が助け舟を出した。促された鬼越が蒸気侍と連れの三人の銃士のことを掻い摘んで説明する。
「銃か……それだったら、ここからちょっと離れてるけど、銃が奉納されてる神社があるよ。狂い咲きの桜の木があるからそれが目印になると思う。まぁ年中咲いてるわけじゃないみたいだけど案内板とかあるだろうし」
その話を聞いて巫女の彼女が、自分の知っている話を教えてくれた。
「奉納されたのも昔の話だから火縄銃の類だとはいわれてるんだけど、どうもそれっぽい構造をしてなくて、銃の形に良く似た何か他のモノともいわれてるみたいだけど、鬼越さんの話の繋がりからすると調べてみる価値はあると思うよ」
「それは確かに有益な情報だ。すまない、礼を言う」
ミカの説明に鬼越が軽く頭を下げる。
「鬼に頭を下げてもらえるなんてなかなか無い経験だね」
礼節を重んじる鬼越の態度に巫女の彼女は笑顔で返した。
「教室内でヨーコと話をしている時も少し気になったのだが」
その陽子が「ちょっとトイレ貸して」といって本殿の背後に立つ住居施設の方に消えて、鬼越とミカだけになった時、鬼越が彼女に話しかけた。鬼越はその見た目の雰囲気や性格の印象からすると本来は積極的に
ちなみに神社施設は別に公衆トイレが設置されている訳でもなく私用のトイレを貸すことも普段はないのだが、陽子に関しては特別な計らいに違いない。同級生という関係を別にしても普通の人間とは少し違う陽子(鬼の鬼越よりは動物的要素が多い)には、排泄以外にも色々と面倒なことは多いはず。
「はい?」
そんな巫女の彼女は再開した落ち葉の掃除をしながら鬼越の話に耳を傾けた。
「お前は我らを見ても特に、奇異な扱いをすることはないのだな」
陽子が「三日もすれば慣れる」いっていたように、奇異な者を見るような目線は一日経っただけでずいぶんと軽減されたのだが、それでも鬼越魅幸という鬼女の存在の中まで歩み寄って来ようとする人間はいなかった。
ありふれた情報の中の一つとしては認めるが、自分の生活する領域に浸透させたいとは思わない。それが普通の人間の、鬼越のような存在に対する限界だと鬼越自身も気付いた。こちらから攻め入ることが無ければ向こうも何もしないが、向こうからも何もしてこない。
しかし彼女に関してはそれが無い。教室内でも陽子と彼女が話している時に、その流れで鬼越も彼女から何度も話しかけられていた。
「私は一応普通の人間やってるけどさ、不思議生き物に片足突っ込んでるようなもんだからね」
ミカは掃除の手を止めると、鬼越が少し疑問に思っていたことに対して答えた。
「何百年……いや、もう千年くらい経ってるのかもしれないけど、そんな長く続く神仏を祭る家系の直系の子孫の一人として私はこの家に生まれた。特にこの国は正当な血筋とかいうのを重要視するから、その意味の強さってわかるでしょ?」
「ああ、わかるな」
鬼越の家系である鬼というものも長い時間をかけて「強いものの代名詞」や「悪の象徴」のようなものとして言い伝えられてきたのだ。その言霊に込められた強さというものは身に染みて分っている。
「たとえば私も役目だからさ、禊とかするんだけど」
境内の奥の方を見ながらミカが言う。その視線の先には古めかしい井戸が一つあった。
「そうして身を清めたあとに汲んだ水ってさ、普通の人間にとってはどうってことない水だけど、あんたたちにとっては結構やばいモノだったりするでしょ?」
長い時を経て受け継がれてきた血筋の者が、正当な儀式に則って水を汲む。それは冷静に考えればただの
「そういうのってプラシーボ効果――偽薬効果って化学的検証はされてるけども、妖怪や幽霊の類のほとんどは偽薬効果みたいなものだし」
「稀に本物(アタシ達のような者)も現れるが?」
「それも含めての偽薬の効果よ。悪いことをしていると神隠しにあうわよって子供たちに注意していた時代、本当に鬼や狼男に食べられていなくなっちゃった人もいるはずだし」
「否定はできないな」
鬼越もミカの揶揄を素直に受け止める。生物として生まれてきたからには、まずは食べなければならないのだ。そして大昔の鬼たちがしていたことも、今の時代を生きる鬼である鬼越ももちろん伝え聞いている。
「ほとんどが偽物ではあるけれど、その中にほんの少しの本物が混ざることによってその効果は増大し確固たるものになる。私が汲んだ水も、実はあなたたちにとってもただの水でしかないのかもしれないけれど、でもこの水を浴びたら火傷してしまう――そう思わせてしまう力にまで発展させることができる、時間さえかければ」
「そうだな、状況が状況なら突然死してしまうかもしれないな」
普通の人間でさえも、思いこみや刷り込みによって自らの心臓を止めてしまえるだけの力を持っている。亜人種である鬼も基本的には同じだろうし、なまじ普通の人間よりも強い力を持っている所為で、その効果も高い場合もある。現に手水場の水を嫌がる
「どうよ、ただの人間なのに不思議生き物扱いされてるこの立場?」
掃除の手を止めて軽く胸を張りながら巫女の彼女が言う。ただの人間であっても世代を超えた時間をかければ、亜人種に迫る存在になれてしまうという証明。自分自身が奇異な者であるからこそ、相手が奇異な者であっても特別扱いする必要も無いという事実。
「面倒くさい生き物だな人間というものは」
しかし元から不思議な生き物である鬼は、そこまでして――最初にその事象を作り出した人間は既に死んでいるというのに、想いを未来に伝えようとする生き方をそう称した。
「あなただって半分は人間でしょ?」
「そうだな、鬼も半分は面倒くさい生き方を強いられた生き物だな」
そして巫女の反論に、鬼である自分も里を壊滅させた蒸気侍を世代を超えてまで追っている事実に気付く。
亜人類であるならば、生まれながらにして持たされた膂力によってある程度は自由に生きられるが、それでもその力の所為で自由が束縛される局面も多いのは確かだ。「半分だけ面倒くさい」とは良くいった言葉。
「――、」
鬼越がそういってから急に何かに気付いたような仕草をすると、なんの前触れも無くくるりと振り向いた。振り向いた視線の先には本殿後ろの住居施設の脇に生える椛の木がある。
「そこの狼女、なにを隠れている」
鬼越がそういうと木の幹の後ろから顔だけ出して二人の様子を伺っていた陽子が現れた。
「小用が済んだのなら直ぐに戻って来い」
「やはー、バレちゃったか。もう少し見ておきたかったんだけど」
てへへといった感じで頭をかきながら陽子がやってくる。
「いやー、鬼と巫女さんのツーショットなんてめったに見れるもんじゃないから、ついつい覗き見してしまっていたよ」
まるで絵画に収まっているような光景を見てきたかのように(実際に絵画のような光景なのだが)目をキラキラさせながら陽子が言う。
「それって普通の人がいうんだったら『あーなるほどなー』って思うけど、
巫女の彼女が呆れたように言う。確かに生まれながらにして不思議生き物の類に入っている陽子であれば、自分がどこかにいるだけで同じような光景になってしまうのである。陽子だからこそ通用するギャグだ。
「うわははは、確かにね」
陽子はそういわれて犬歯を見せながら豪快に笑った。
「この神社は何を祭る場所なの?」
戻ってきた陽子がこの場所の生い立ちを尋ねた。
前席の彼女の実家が神社であり、ミカ自身もそこで巫女として働いている話は前に聞いたのだが、その神社そのものが何を目的に建てられたのかまでは知らない。
「ここは長寿を祭るための場所。永く生きることを望む者のための場所よ」
「人間の根源的欲求に答えた場所なのだな」
それを訊いて鬼越が思索するように訊く。
「……」
しかし巫女の彼女は、その言葉を聞いて答えに窮するように少し黙ってしまった。
「なんだ、違うのか?」
「違うというか意味合いが違うというか」
でも結局どっちも「違う」だねと苦笑しながらミカが続ける。
「まぁご老体のおじいちゃんおばあちゃんとか更なる長生きを願ってここには良くやって来るけどさ、でもその長生きとはまた別の意味があるんだよねここには」
巫女の彼女がこの場所の生い立ちの説明を始める。
「人間ていうのは不思議な生き物で、若くて体力のある時代は生きていくための知識が不足していて、歳を重ねてより良い生き方を覚えた時には体力が減少しているっていう、凄まじく矛盾を抱えた生き物なのよ」
寿命が短いからこその矛盾。その矛盾が爆発することにより、人間は限りなく己の欲望に従って生き、更には好戦的な生き物であるとされる。彼女の年齢からは不似合いな随分と悟った考え方だが、巫女として生まれてきた
「多くの先人たちの経験は文献という形で残されはするけど、後から生まれてきた者はその文献を読んでる途中で死んじゃう、ほとんどの人が」
後進の為に多くの先人達は書物や口伝という形で見聞や体験を残すが、結局それがどんどん積み重なっていって後進たちがそれを習得できるのも死の間際という人生の末期になっているという背馳。しかもその残された書物の中には、行き違いによって虚言が含まれることもあり、それが何世代にも渡れば最早なにが真実でなにが虚実であるか改めて調べることもできなくなる。
「で、そんな生き物なのに、百年以上かけてようやく習得できる技術があったらどうする? って話なのよ」
世代を超えて長く伝える術ではなく、自分自身が長く生きて習得しなければならない術。それは普通の人間には無理という事実。そしてその定めすら捻じ曲げようとする人の思い。
「そのための長寿を祭る場所なの?」
陽子が訊く。
「そう。百年、二百年、三百年とエライ長い時間を本当に生きなきゃならないっていう、普通じゃちょっと考えられない人たち向けの場所なのよね、この神社」
「――まるで
鬼越の血筋である鬼や陽子の血筋である
「そういうこと」
まるで最初から答えを誘導するように話していたんだよ、と言った貌でミカが陽子と鬼越の二人の顔を交互に見る。
「まぁでもうちの神社が持つ意味をこうして改めて思いなおすことができたっていうのも、あんた《ヨーコ》との出会いがあったからなんだけどね」
巫女である彼女も生家の仕来たりに沿って生活しなければならない場面が多いはずで、同年代の子達とはそれほど多くの付き合いはできなかったのだろう。そんな生活を送っていた彼女が高校へ進学した時、本物の不思議生き物――犬飼陽子が現れたのだ。人生の転機というか、物凄いショックでもあっただろう。自分よりも大変な生活を送っている者がいる、と。
「本当に長い時間を生きていかなければならない人っていたんだなって思ってさ。多分私だったからこそ思えた事実なんだろうけど」
境内の中央に立てられた本殿を見ながら巫女の彼女が言う。
「もしかしたらそうやって長い時間を生きていかなければならない人たちに対して、いつまでも変わらない場所を提供するのがこの場所の役目なのかなって。ずっとずっと変わらない場所があったらやっぱり安心するもんね」
「もしお前も実は長命の血が流れているとしたらどうする?」
今度は鬼越が訊いた。
ミカの独白を静かに聞いていた鬼越は、ふとそんなことを思いつき尋ねてみた。永く変わらない場所を守る者であるならば、その場所を守るために亜人類と同じように長寿の血が流れているかも知れない。
「そんときゃそん時考える」
しかし巫女の彼女はそんな風にあっけらかんと答えた。
「なかなか大雑把で素敵な考え方だね」
陽子が突っ込む。
「さっきもいったけど人間がんばって生きたって80~90歳くらいが限界なのよ? そっから先は生き物としての体力が尽きてるし、その歳にいくまでに死んじゃう方が多いし、そこから『更に長生きできます』っていわれたとしても『もっと早くいってよ!』ってなるわよ」
巫女が苦笑しながら答える。
先人達もそうやって生き、その過程で得た記録を残し、そして死んでいった。普通の人間として生まれたのならそうした先人達の経験が前提として生きているのだから、彼女のようにある意味大雑把な考え方になってしまうのは仕方ない。
「まあ違う場所にいる違うイレモノの
「?」
「あれ変なこと喋っちゃった? いわゆる巫女
「ミユキはこのあとどうする?」
同級生の巫女の生家であった神社を後にしながら陽子が訊く。
「巫女が教えてくれた銃が奉納された神社の方に行ってみたいとは思うのだが、微妙な位置だな」
鞄から出した地図を眺めながら鬼越が言う。最後は煙に巻かれてしまったような感じだったが、巫女の彼女が教えてくれたのは真実だろう。当該の神社はそれなりに遠い場所にある。
「いきなり寮の門限を破るのもお勧めできないね」
陽子も地図を覗き込んで、その位置関係を推測しながら意見を言う。
「あ、ヨーコちゃん」
鬼越にとっては寮の門限などあまり問題ではない(退寮処分となったらなったで一人暮らしに移行するらしい)ので時間的拘束は無いので、この後の予定はどう組み立てようかと考えていると、道の向こうから来た荷物を抱えた女性に隣の陽子が呼び止められていた。
「あ、保育園の先生」
それはつい先日印象的な出会いのあった保育園の保育士だった。保育士の制服ともいえるエプロン姿なので、園に必要な生活物資の買い出しに少し遠出をしていたらしい。
「あら、お友達?」
陽子の隣に立つほぼ同じ身長の同じ制服を着た少女を見て言う。実はこの保育士も鬼越がスポーツバッグで鉄車怪人の拳を受け止めているのを見ているのだが、同一人物であるとはさすがに気づいていない様子。
「彼女は友達の鬼越魅幸さんです」
と、陽子はなんのためらいもなく答えた。「友達」という単語を聞いて鬼越が少し頬を赤くしていたが、元々赤いので良く分からない。
「へー、ミユキちゃんかー、肌真っ赤に焼けてるねー」
保育士自身は鬼越が鬼の血筋の者であるとすらまだ気づいていないらしく、その赤色の肌を日焼けのたまものだと思っている様子。
「日焼けサロン行って失敗しちゃったのかな? 私も若い頃はそんな風に真っ赤になっちゃったことあるから気をつけた方が良いよ」
「助言感謝いたしますが、そういう訳でもないのですが」
鬼越も少し困った風に答える。
「じゃあスポーツ焼けなのかな? 最近日差しの強い日もあったから焼けちゃった? 肌弱いのかな? 陽子ちゃんとは部活仲間だったりするの?」
「まぁそんなところです」
質問攻めに困っている鬼越に変わって、陽子が助けるように答えた。
(……なぁヨーコ)
鬼越が陽子にだけ聞こえるような声で囁いた。
(そんな友達とかいってしまって良かったのか?)
普通の人間たちの関係でも友達だと思っていたのが急に敵同士になってしまう場合もあるのでそのような紹介も構わないと思ったが、改めて考えてみるとそんな紹介をしてくれて本当に良いのかとも思ってしまう。
(へ? だって他に説明のしようもないし)
なにか問題でもあるのかといった表情で鬼越の方を見る陽子。
(それともミユキとは血で血を洗う討つか討たれるかの関係ですとか正直にいった方が良かったかな?)
(……お前の判断の方が正しい)
「そうそう、ヨーコちゃんに会ったらお願いしたいと思っていたことがあってね」
こそこそ話す二人の女子高生に割って入るように保育士が会話を挟んだ。
「うちの園にハルくんって男の子がいるんだけど」
「ヒトミちゃんと一緒にいた男の子の一人ですよね」
自分が園児たちに取り囲まれている時、そんな名前で他の子から呼ばれている子がいたのを陽子も思い出した。
「うんそうなんだけど、そのハルくんが最近嘘つきの悪戯を覚えちゃってね」
「ありゃりゃ」
「最初のころは可愛らしいものばっかりだったんだけど、昨日悪質なものも覚えちゃって」
「というと?」
「『かいじんがでたぞーっ!』っていって、みんなを脅かすの」
「うわー……」
その園児の暴挙に陽子が流石に呆れた風な声を出す。
怪人が出た。
鉄車帝国とチャリオットスコードロンの戦いの舞台となってしまったこの国にとっては、それは冗談では済ませない虚言だ。鉄車帝国が繰り出した怪人たちはとんでもない脅威であったのだから。
そして二日前、園児たちはその恐ろしさを身を持って知った。間近にいきなりそそり立った鋼鉄の巨体は、恐怖以外の何ものでもなかっただろう。特に直接捕らえられてしまったヒトミなど、陽子と鬼越の活躍で早急に救出できたから良かったもの、あのまま長期戦となっていたら、心にトラウマが残ってしまっていたかも知れない。
「そんなこといわれちゃったら信じちゃうでしょ、園児くらいの歳の子だと。私たちだって信じちゃう時あるし」
それが真実であれば園児たちを避難させなければならない訳で。
「そうですよね、みんなは本物に遭遇しちゃったわけだし。ボクも信じちゃいますね」
「というわけでね、お願いしたいのはヨーコちゃんの力でちょっとで良いからハルくんをこらしめて欲しいの」
「じゃああれですか『リアル狼少年』をやれということなんですね、ボクに」
「まぁそういうことなのよ。他の園児たちのこともあるし、ハルくんにはそんな遊び早くやめてもらいたいから」
まさに狼女ならではの頼まれごとである。こんな風に邪まな気持ちが全く無く自分のことを頼りにしてくれるのなら、陽子も協力は惜しまない。
「嘘つき少年をこらしめて更正させるのはやぶさかではないですが、ハルくんともお互い顔見知りになっちゃったからなぁ『よーこちゃんなんかこわくないやいっ』なんていわれちゃうのがオチなのかな……って、あ」
その時自分の隣で所在無さ気に立っている赤い人物が目に入った。
「ミユキ女史、ちょっと手を貸してもらって良いかな?」
「は? アタシが? アタシなんか何の役に立つっていうんだ?」
隣にいたので陽子がこれから何をやろうとしているのかはある程度察しが付くが、自分はトーマスホガラという名の蒸気侍を討つためだけに生きてきたようなものである。他に手を貸せと頼まれても、そんな女に使い道があるとは鬼越自身も思えないのだが。
「だいじょうぶだいじょうぶ、すっごい役に立つから。ハルくん今日いますよね? だったらさっそく今から園に行きましょう。善は急げってね」
そういって保育士の抱えている荷物を三人で手分けして持つと、そのまま保育園へと向かった。
それから数十分後の保育園。
園内の一番広い一室。学校校舎の授業教室ひとつ分くらいの面積のある、通常は園児たちの遊び場となっている部屋。現に多くの園児たちが様々な道具を使って遊んでいた。
「うつせみのじゅつっ!」
一人の園児がそういいながら、壁に園児服のようなものを立て掛けるとその場から走り去って、ロッカーの陰に隠れた。
「わはー、にんじゅつにんじゅつ」
その場にいた園児の数人が、その園児服のようなもの――昼寝用のクッションに園児服を被せたもの――をふざけて軽く蹴ったり殴ったりする。多分映像で流れていたのを見たのだろう。忍者が敵の目をごまかすために衣服を脱いで木の枝に着せる術法だ。
当園では、それを自分が着ている園児服を脱いでクッションに被せて再現するのが流行っているらしい。園児たちを識別するための園児服を脱ぐのはあまり宜しくない行為だが、室内でのことなので保育士たちも咎めたりはしていない。
そこへフラリと現れる一人の人物。
「……」
彼はまたしても、昨日見つけてしまった快楽へと本日も進もうとしていた。彼は忍者の真似事よりも余程面白いものを発見してしまったのだ。
「……」
その人物は息を大きく吸い込むと、その言葉を大声で叫んだ。
「かいじんがでたぞーっ!」
その言葉を聞いて今まで楽しげに遊んでいた園児たちが一斉にビクリと肩を震わせた。そして
「きゃーっ!」
「わーっ!?」
その場にいた全員がほぼ一斉に立ち上がり、逃げ場を求めて走り出した。腰を抜かして立ち上がれない者はその場で泣き叫ぶ。もう何度もその言葉は聞いているはずだがそれでも逃げ出さずにはいられない。体の芯に染み込んでいる消えない恐怖。実体験してしまった恐ろしさは中々消えることは無い。
「……」
その光景を見て彼はほくそえむ。
おもしろい。おもしろすぎる。
自分がたった一言叫ぶだけで、この場が混乱に包まれる。逃げ惑うその姿を見ているだけで楽しくてしょうがない。しかも自分だけが怪人なんかやって来ないのを知っている。だから自分だけが安全。
怪人なんかそう何度も現れないのを、彼は両親から聞かされていた。それは直接怪人と遭遇してしまった彼を安心させる為に語った親からの計らいだったのだが、彼はそれを違う方向に使ってしまっていた。
そうして手に入れたこの遊び。こんなに面白い遊びはないと、彼は楽しさの絶頂に浸っているところだろう。更に彼は翌日行われる舞台では主人公に匹敵する重要な役をやることになっている。そういった大役を負かされて心が大きくなっている部分も増長の一端なのだろう。自分は他人と違う、だから何をしても構わないと。
「――ハルくん、そういう時は『おおかみがでたぞーっ』っていうもんなんだよ、様式美としてね」
そんな絶好調の彼の背中に、一つの言葉が投げ掛けられた。
「!?」
ハルが驚いて振り向くと、そこには全身に銀色の毛の生えた顔見知りの女子高生が立っていた。
「よ、よーこちゃん?」
「というわけで怪人じゃないけど狼出ました」
嘘つき少年の下に狼が現れる。
狼少年の話はハルも、陽子という存在と出会う前に園内での本を読む時間に聞かせてもらっているのでもちろん知っていた。しかも今のこの状況は童話の世界ではなく現実である。更には現れた彼女は狼と人の掛け合わせなのだから、その存在感たるや本来の四足獣より強烈かもしれない。
「よ、よーこちゃんなんかこわくないやい!」
しかしそうはいっても相手は最近仲良くなった、相手の顔も知るお姉さんであるので、ハルも予想通りの台詞でなんとか持ちこたえる。
「そういうだろうと思って、今日は助っ人を呼んであります」
「……すけっと?」
「姐さん、よろしくお願いします」
陽子がそう促すと、開かれたままの扉の奥に何か黒い影のようなものが蠢いた。その蠢きの上の方でギラリと光る一対の輝き。それは徐々に姿を現すと、一人の人間の姿となった。しかし、赤黒い皮膚に金色の髪、そして頭部に生えた一対の角を見て、それを普通の人間と思う者は殆どいないだろう。
だからハルも、その見た目に相応しい名を叫んだ。
「お、お、お……おにーっ!?」
思わず尻餅をつくハル。
嘘つき少年の下に狼が現れ、そして鬼まで現れた。この状況を鑑みるに、本当に怪人が現れた方が気持ちとしてはまだ楽だったかも知れない。
「――お前か、人を悲しませる悪戯をするという小僧は?」
静かに影が染み出すような低い声で鬼が問う。滅茶クチャ怖い。もちろん鬼越女史はパーカーは脱ぎ去っているので鬼丸出しである。怖すぎる。
輝くような鋭い眼光でハルを見下ろすように腕組みして立つ鬼越の隣に、陽子も同じようなポーズで並んだ。少し牙を出すようにして笑ってみせる。
陽子も顔見知りになった仲の良い年上のお姉さんとはいえ、その顔であるから犬歯を見せながらの凄みを見せた笑顔は相当に怖いだろう。食べられる――人間の深層心理に根付く狼という生き物への根源的恐怖が、彼の中では呼び起こされているに違いない。
更には、陽子も鬼越も同じ服を着ている(半袖と長袖の違いはあるが)というのも怖さを増長させるのに一役買っていると思われる。恐怖を撒き散らす集団の制服――そんな印象が付いてしまったかも知れない。
しかも二人とも長身なので、こんな見た目も怖けりゃ背もデカイ二人に見下ろされて保育園児が意識を保っていられるわけも無く
「ハルくん、もう嘘なんかついちゃダメだぞ。今度嘘をついたらその時はお姉さんたちが――」
「ぎゃーっっっ!?」
陽子の台詞を最後まで聞けず、ハルは早々に目を回した。
「うぉっと、ちょっとやりすぎたーっ」
ぱたりと倒れたハルを陽子が慌てて抱きかかえる。
「だいじょうぶハルくん?」
陽子の問いかけには答えないので失神はしているが、胸に耳を当ててみると心臓は動いているのでいきなり心肺停止とかそんな緊急事態にはなっていない様子。
「やりすぎだよミユキ女史」
ハルを大事そうに横抱きにしながら、まだ腕を組んだままの鬼越にいう。腕を組んだだけでこれだけ怖くなるのだから相当なものだ。
「やりすぎ? 軽く睨んだだけだが?」
「それで十分以上やりすぎだよアンタ鬼なんだから、生の」
「それならばお前が牙を出して笑うのも中々壮絶だぞ?」
陽子も陽子でやっぱり犬歯を出して笑うと怖い。
「う~ん……お互い反省だね」
「ヨーコちゃーん」
成り行きを柱の影から見守っていた陽子にお願いをした保育士の女性が二人の下に駆けてきた。
「ごめんなさい、ちょっとやりすぎちゃった」
「いいのいいの、これぐらい強くこらしめてあげた方がハルくんの将来のためでもあるから」
気を失ってしまったハルを陽子から受け取りながら保育士が言う。
「……そうですね」
そういいながら(また
その辺りのことも事前に鬼越にもちゃんと確かめて(鬼越が嫌がったら自分一人でなんとかするつもりだった)みたのだが「鬼が憎まれ役を辞退するなど身体に流れる血の矜持に反する」と、物凄く頼もしいお言葉をいただいてしまっていた。
しかしてそれを聞いても、生まれながらにして悪役を演じるのが義務付けられているような鬼越のように、陽子がさっぱりと割り切ることはまだ少し難しい。鬼であるならば「自分たちは悪役であって悪人ではない」という生まれながらの矜持を持っているが、基本ニュートラルな
「おにのおねえちゃんありがとう」
そんな一緒に悪役を演じてくれた素で悪役な鬼越の下に一人の女の子――ヒトミが恐る恐る近づいてきて、彼女のことを見上げながらいった。自分のことを助けてくれた陽子と一緒にいるんだから、鬼の容姿をしているが悪い人じゃないんだろうと思って近づいてきた様子。
「ありがとう?」
組んだ腕を解きながら鬼越が言う。そういえばこの女の子が怪人に捕まえられていた娘だったなと鬼越も思い出した。
「アタシはなにか礼をいわれるようなことをしたのか?」
キョトンとした顔で鬼越がヒトミのことを見下ろす。悪役にありがとうとはなんのことやら。
「ハルくんってばすんごいうそついていじわるしてたから、それをこらしめてくれたんだもんっ」
ヒトミはそういうと、精一杯の勇気を振り絞るように鬼越の足へと抱きついた。
そしてそれを合図にするように周りにいた園児たちが鬼娘と狼娘の方に集まってきた。
「よーこちゃん、このおにのおねえちゃんはどこからつれてきたのー?」
「えへへ、この鬼のお姉ちゃんとは友達なんだよー……って、誰だまた尻尾にさわる悪い子は!」
陽子はいきなり尻尾を抱えるようにしてきた園児を引き剥がすと姿勢を落としてしゃがみ、みんなと顔の高さを合わせた。
「ハルくんはこの狼のお姉ちゃんとこっちの鬼のお姉ちゃんでこらしめてあげたから、明日……は日曜日か、来週の月曜になったらハルくんは『ごめんなさい』ってみんなに謝りに来ると思うよ。だからそのあとはまたみんなで仲良くして遊ぶんだよ、ハルくんも入れてね」
「はーい!」
みんなが声を合わせて素直に返事をする。この辺りはまだまだ遺恨が残る年齢でないのがありがたい。
「あ、でもハルくんともあしたあうよ」
ヒトミが翌日の予定に気付いて声を上げた。
「そうなの?」
「あしたおゆうぎかいがあるんだよ!」
「お遊戯会?」
「そうだよ、おにのおねえちゃんのおはなしをやるんだよ、おにのおはなしー」
「
足をぎゅうぎゅうと掴みながら説明するヒトミだが、鬼越は興味無さ気な顔。
鬼が出てくる話といえば、大体鬼そのものはロクな目に合わないので(陽子の部屋で読んだ話は違うが)鬼の話をやるといわれても全く興味がわかない鬼越なのであるが
「よーこちゃんもおにのおねえちゃんもみにきてよ!」
園児たちがそんな風に畳み掛けた。
「明日はどうせ休みだし、お呼ばれしよっか?」
元々がいつか園に来てくれと誘われていた陽子であるので、彼女は来る気満々の様子。今日はいきなり顔を出してしまったので改めて
「翌日は高等学校も全休日だから遠出しての探索に充てようと思っていたのだが」
しかし鬼越の方は全くその気は無さ気。
「あれ? 近くから調べていくっていってなかったっけ?」
「それはそうなのだが」
「じゃあ、明日はこの保育園を調べるってことで良いじゃない? この場所だって探索場所の一つだよ」
「今回の一件で必要量の情報収集は完了したと判断するが」
「えーと、よいこのみんな?」
煮え切らない鬼越をとりあえず置いて、周りにいる園児に話を振った。
「なーによーこちゃん?」
「今日大活躍してくれたこの鬼のお姉ちゃんのために、お礼に明日までに何かプレゼントを用意して欲しいんだけど良いかな?」
「ちょっ、おまっ、なにをっ!?」
いきなりの陽子のとんでもない提案に、鬼越が思わず突っ込む。そんなことをされては来ないわけにはいかないではないか。
「えー、いいよー、おにのおねえちゃんなにがほしいー?」
「えっ、いやっ、そんなっ、急にきかれてもっ」
「そこはみんなで鬼のお姉ちゃんが喜びそうなものを選んでよ」
会話が成立しそうも無い鬼越に変わって陽子がそう促す。
「じゃあ明日、また来るからね。みんなもお遊戯会がんばってね」
「はーい!」
陽子は立ち上がると周りにいる園児たち一人一人の頭を撫でた後、半分ほど固まったままの鬼越(ちゃんと脚からヒトミも剥がした)を引き摺るようにして、荷物をまとめて保育園を出た。
「お、お前、勝手に……」
しばらく歩いてようやく思考が回復してきた鬼越が隣の狼娘に文句を浴びせる。
「いいじゃんいいじゃん、地元の子供たちとは仲良くなっておくのは良いことだよファンタジー生物としては」
陽子が笑顔を見せながらそう言う。
「ミユキだってさ、何年、いや何十年この町にいるか分らないんでしょ探索のために? だったらあの子たちは未来の世界でもこの町で生きている子たちなんだから、今から印象良くしておかないとね」
意外にも聡明な判断だが、陽子も陽子で同じような経験は昔からしているのだろう。
「……今回はそういうことにしておくか」
そして鬼越も鬼越で陽子の考えは良く分かるので素直に了承した。
「さて、ボクたちはお返しのお返しにクッキーでも焼きますかね、寮の厨房を借りて」
鬼越へのプレゼントはただ単にこの鬼女を遊戯会観覧へと向かわせるための口実でしかないので、明日がんばる園児たちへの差し入れという意味の方がメインではある。
「お前料理得意なのか?」
それは良い提案なので鬼越も文句を挟むつもりは無いのだが、それを実現させられる力があるのかどうかは別の領域の問題だ。
「この前調理実習で指切りました」
「なかなか頼もしい腕前だな」
「ミユキ女史の方は?」
「お前と同じで肉はいざとなれば生でも食える」
「それは頼もしい意見をありがとう」
「今夜は徹夜か?」
鬼越も鬼越で目前に現れた強敵を前にして銃が奉納されている神社の探索はすっかり後回しになっている様子。
「その覚悟は必要だね」
「今まで戦ってきた相手の中でも最悪の相手になりそうだ」
「というかミユキも参戦してくれるんだね」
「乗りかかった船だからな」
「泥舟だよ?」
「覚悟の上だ」
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