第二章

「こちらから、討って出ようと考えています」

 その発言に、その場にいた全員が動転した。

「どういう意味ですか討って出るなんて、室長らしくもない物騒なお言葉ですが」

 側にいた一人の男が驚きを隠せないまま尋ねる。

「皆さん、この研究所が先日の事故を受けて、組織からの査察が入ったのはご存知ですよね」

 その男の発言を無視するように、室長は続ける。

「……」

 全員が静まる。意見した男も口を噤む。

 とある一つの試験の最中にその大事故は起こった。その試験専用に建設された予備施設は半分が吹き飛び、もちろん被験者も消し炭一つ残さずに消えた。

「その後、組織から通達がありました。『今回の事故によりこの研究素材は我々には手に余ることが判明。よって研究は現時点を持って全て廃棄』そのように告知されました。皆さんも覚えていますよね」

 シンとした室内。先日その室長本人から聞かされた組織からの決定事項。忘れるはずも無い。聞かされたその瞬間、その場は騒然となっていた。

『廃棄!?』『研究を止めろだと!?』『それじゃ一体何のためにこんな体に!?』

 色とりどりの肌の色をした研究員たちが意見を言い合う。

 被験者としての強靭な体組織を維持するために皮膚の色が様々な色に変化した肌。頭部の両脇からはアクセスを簡易とすための接続端子の突起が覗いている。研究員という名でその施設で作業に当たっていた全員は、人間の容姿をしていなかった。

 全てを捧げてこの研究に携わっていたというのに、今さら全てを捨てろと。もちろん全員が納得のいかない思いだった。

 そして開けて一日、再び集められた研究員全員を前にして室長はそのように言い放ったのだった。

「廃棄との決定が伝えられましたが、当研究の重要性を考えるとそれは紙媒体の記録処分及び電子記録の消去だけには収まらないと思います」

「……それは、この研究所ごと廃棄ということですか」

 別の男が聞いた。秘匿性の高いこの場所ごと廃棄するのは、当然ともいえる。

「町一つ消せる焼夷爆弾でも設置して全施設を消去――というところですかね、本来なら」

 これから起こるであろう惨状を想定して、室長が冷徹にいう。周りの被害など考えないほどにこの研究の重要度は高い。それを処理するのだから周りにある全てのものを燃やして高熱で溶かすくらいのことはするだろうと、研究員の全員が想像する

「しかし、それだけの規模の爆発を起こしては、この方舟艦にも被害が及ぶ。別の手段を講じるでしょう、それも確実に消せることを」

 室長は、当然実行される行為すら超える廃棄が行われると口にする。

「組織は『全て廃棄』といっています。全てです。研究を続行できるもの、全てです」

 室長が何を言わんとしているのか多くの研究員が分らないでいたが、何かに気付いた一人が口を開いた。

「……我々も?」

 その瞬間、どよめきが走った。

「ま、まさか……」

「まさかとは、私も思いたいのですが、この研究はあまりにも枢要です。多くの人間の体を改変させ、莫大な予算も注ぎ込み、その実現を夢見た。しかし大事故とはいえ一つの失敗だけで研究は廃棄となった。だが事故自体は、我々もその発生は薄々気付いてことでもあります」

 ほぼ全ての研究員が、今回の事故はこの研究をこのまま続けたらいつかどこかで起こるだろうことは予想していた。そしてたまたま運の悪かった一人の研究員が被験者となった時、大事故は起こった、予想通りに。

「だからこう考えたのです。もしかしたらこの、起こるべくして起こるだろう事故を検証するためだけに、我々はこんな体にもなって研究を続けてきたのか……と」

「組織は最初から、我々を捨てるつもりで……?」

「そうだと決定付けるのは早計ですが、極初期段階からその思惑自体があったのは間違いないでしょう」

 一人の研究員の意見に室長はそう答えた。

「研究が廃棄されたと決まった時点で――否、研究が始まった時点で、我々も廃棄は決定していたのです」

 恐るべき事実を淡々と語る。

「ならば、捨てられた我々はもう組織の思惑に従う必要もありません」

 しかし室長はそれを扇動に利用しようとも思わずに、あくまでも冷静に自分の言葉だけを重ねる。

「我々は生まれてしまった。そして、どれだけ危険な因子を孕んでいるとはしても生き物であるならば、生きていく権利はあります」

 この場に集った研究員は、研究を実現させるために驚異的な身体能力を持つに至った。一人一人が歩兵一個大隊に匹敵するくらいの力を有する。更に戦闘に陶酔することによりその力も跳ね上がり死すら恐れなくなる体質の戦いの民としての血族になっている。研究員という言葉の雰囲気からくる柔和な雰囲気は彼らには無くなっていた。

 廃棄という名の口封じがなされるのなら、研究で得たこの体を使い自由と安寧を得ようと。さればこの研究施設ごと廃棄される前に行動を起こさねば。

「……だから室長は討って出ようと」

 最初に室長に意見をした男が得心したように言う。

「ええ、その通りです」

 ようやく分かってもらえたかというように、室長は微笑を見せた。

「世界の全てを敵に回さねば我らの義憤が晴れぬというのなら、それも致し方なし」

 そうして彼が笑顔を見せたのはそれが最後になる。

「自分達が新たな時代の架け橋となるべく得た力を、自らをこの世界に存続させるための橋渡しに使う。なんと滑稽な顛末か」

 その眼球の輝きから今までの温和な彼の想いは消えていた。これから殺戮者となることを望んだのだ。

「こんなミテクレです。だから我らはいっそのこと――」

 赫々とした色に瞳が変わる。

「鬼となる」


 ―― ◇ ◇ ◇ ――


「――……、ん……、朝かぁ」

 陽子が瞼を開くと部屋の中は朝の光に包まれていた。

「なんか変な夢を見たような気もするけど……全然思い出せないや」

 そういいながら「ふぁー」と欠伸する。

「……あれの所為か変な夢見たの?」

 伸びをしながら何気なくテーブルの上を見ると、昨日借りていたハードカバーの薄い本が目に入る。表紙には「大工と鬼六」という題名。

 昨日前席の彼女にあんなことをいわれて少し気になったので、部活に行く前に図書室に寄って鬼が出てくる話というものを探してみたらこれがあったので借りてきていたのだ。高校の図書館にこのような絵本が置いてあるのも不思議だが、授業教材のひとつなのだろう。

「でも橋を作ってくれるなんて、結構鬼って良いヤツだよね」

 大工と鬼六の内容を思い出しながら陽子が思う。鬼六は橋建造の引き換えに自分の名前を呼ぶかお前の目玉をよこせとはいうのだが、結局は自分の名前をちゃんと呼んでくれた大工に対し、橋だけ残して帰っていく。友情とか礼節とかそういうものに関係した逸話なのだと陽子は読んで感じた。

 鬼が悪役である話は確かに多いが、意外にもこのように悪さをしないで終わってゆく話も多い。しかしそれでも典型的な悪役に据えられてしまうのは、倒すべき相手として一番都合が良いからだろう。

「かくゆうボクも、倒され役なんだけども」

 ベッドから抜け出して絵本の一ページ目をぺらっとめくりながら陽子が言う。西洋地域にある物語作品では狼人おおかみびとは大抵退治される役になっている。そういう意味では鬼と似ている。

「でもボクは縫い物以外はあんまり器用じゃないから橋とか作るの無理だなぁ」

 陽子はまだ半分くらい寝ぼけているのかそんなことをいいながら着替えを出し、部屋を出て洗面室に向かった。

「相変わらず酷い寝起き顔だねぃ」

 まだ目が開ききっていない陽子が、鏡に写った自分の姿に話しかけるように小さく言う。

 寝ているときに顔の毛に変なクセがついてしまっているので、あちこち毛が飛び出していた。頭ではなく顔に寝癖がついているという恐るべき状況である。

 というわけで陽子の毎朝はまずは洗面台に向かって顔を洗うところから始まる。それはスポーツ刈りの男性が頭を洗うような感覚だろうか。ただ、陽子にとっては生まれた時からこの洗顔方法なので不満も無ければ不都合も無いのだが

 ただ、顔を乾かす=毛を乾かすなので、普通の人より顔が乾くのが遅いのは仕方ない。神狼の血を受け入れた先祖から生まれてくる子孫達は、生まれてからずっとこの狼と人を掛け合わせた顔なので、既にこれが素顔である。陽子もこれが素顔である。

 小学校の時の遠足で動物園に行ったことがあるのだが、その際に狼の檻を通った時、そこにいた狼が全て檻に顔を押し付ける勢いで自分の姿に見入っていたのを陽子は覚えている。狼にとっては我を忘れて見惚れるほどの美人であるらしい。そしてそれは狼人にも通用するらしい。

(でも狼男とか、他にいないしなぁ……)

 陽子は自分の家族以外の狼人を知らない。唯一の自分以外の狼人である両親がいつ位の生まれで一体何歳くらいなのかも陽子は知らない。

 今まで訊いたこともなかったので知らないだけなのだが、この先訊く機会が無ければずっと知らないままだろう。前に父親が「維新の時にもう少し官軍の奴等をこらしめておけば良かった」とか恐ろしげなことをい

っていたような気もするが、聞かなかったことにしている。

 ちなみに陽子の実年齢はちゃんと高校一年に通うべき年齢である15歳である。両親が一体いつくらいから生きていたのか不明だが、相当な長命であるならば恐ろしいほどに遅くにできた子供になる。

 なんでこんな時期に陽子が生まれてきたのだろうか。長命といえども寿命はあるので、死期を悟って血を残そうとしたのか? その割には両親ともピンピンしているので、そういう訳では無い様子。

 多分、新しい時代に合った新しい血を残す必要があったのだろう、このあまりにも移り変わりの激しすぎる方舟の中でも生きていける血を。

「だとしたら、はた迷惑な話だよねぇ」

 陽子はそういいながら着替えを再度抱えて隣のシャワー室へと向かった。

 え? そこで顔も一緒に洗えば良いんじゃないのかって?

 陽子さんも女の子ですから、まずは顔の身嗜みからですよ。


「なんだか今日、転校生が来るって話だね」

「てんこーせー?」

 授業開始前のホームルームの時間。

 今日も今日とて「あぢーっ」といいながらぱたぱたをしている陽子に、前席の女の子が話しかけている。

「こんな時期に?」

 自分達は新一年生であり、まだ夏休み前の一学期である。教室内の空気もクラスメイト全員が、全てのクラス内の人間とはまだ馴染めていない状態。だから今は初期状態で出来た仲良しグループ内でのみしか会話が弾んでいない時期。

「というかヨーコってばまた今日もノーブラ?」

 ぱたぱたの最中にたまに毛の生えた胸が大きく覗くのを前席の女の子が突っ込んだ。

「今日は陸上部の練習休みでさ、やっぱり下着の方が楽だからね。夏場は下着仕様の場合は上部パーツは無しなのだよ基本的に」

「はぁ? ていうかまだ初夏にもなってないような気がするけど」

 衣替えを済ませているのは陽子のみであり、まだまだ肌寒い日は多い。

「それはそうと休みなんだ陸上部? 陽子の楽しみが減るね?」

「まぁそうだけど今日は先輩たちの遠征準備とかで。明日はその遠征日なんでまた休み」

「へー、二日連続? でもそれとは別に中が下着じゃ暑くなったら制服脱げないじゃん? なんのためにいつも制服の下がレーシングウェアなんだか」

 前席の女の子はそう言いながら、陽子の制服の少し開かれた襟の裾をつまんでぐいっと広げた。

「乳首見える!?」

 さすがに陽子も飛び退くようにして開かれすぎた上着を両手で押さえる。「乳首」と言う単語に多くの男子生徒が反応して声の発生源の方に顔を向けたが、それが銀狼娘だと知れると「なんだ灼熱の犬飼さんか」と、全員が何事もなかったかのように元に戻る。

「なによ、今さらそんなもん見えてビクつくタマか、あんた」

「そんなもんって……ていうかセクハラだぞーっ!?」

「同姓同士ではセクハラは適用されないのだよヨーコくん」

「じゃあ痴女!」

「いつもは中にユニフォーム着てて隙あらばどこでも脱げるようにしている女に痴女呼ばわりされたくないな」

「そういわれると言い返せないねこんちくしょーっ」

「それに陽子の胸を見て嬉しがる人間がどれほどいるのか」

「なぬ? それは聞き捨てならないな、狼女の毛の生えた胸じゃそんなに不満かね?」

「だってヨーコと同じくらい胸に毛の生えてる人ってたまにいるじゃない男で」

「うぉーうっ」

「おーい静かにしろー、ホームルーム始めるぞー」

 陽子の手刀が前席の女の子の脳天に決まったところで担任教師が入ってきた。クラス内の喧騒が一気に静まる。もちろん陽子と前席の女の子も元に戻る。

「今日は転校生を紹介する」

 担任のその一言で一端静かになった教室内が再びざわつき始めた。

(あ、そういえば転校生来るって話だったっけ)

 今は背中を向けている彼女の話の出だしがそんなんだったと、陽子は思い出した。多分職員室の前を通りかかって聞いたとかなのだろう。

「みんな静かにしろといっただろ? おーい、入って来い」

 担任教師は教室内を再び注意すると、開かれたままの扉から廊下に声をかけた。

「……」

 優雅に厳かにまるで忍び寄る影のようにその生徒は入ってきた。

「……」

 一歩進むたびに短いスカートが静かに揺れる。この高校指定の女子用制服に身を包んだ女の子。手足の長さで長身であるのがすぐに分かる。このクラスにも犬飼陽子という背の高い女生徒はいるが多分彼女と同じくらいの上背はある。

 しかしそういった部分よりも、まず全員の目に飛び込んできたのはその肌の色だろう。

 真っ赤。肌の弱い者が日焼けしたかのような赤。長袖の上着から覗く手も、スカートの裾から伸びる健康的な太さの脚も、そして顔も首元も、赤。

 だが、そのように日焼けした者の肌は、色素の足りない薄く透けた赤色のはずだが、彼女の皮膚は染色のごとくしっかりと色づけされた赤。

 次に飛び込んでくるのが髪の色。綺麗な金髪。ハニーブロンドといわれる濃い目の金色。しかも彼女の髪には脱色特有の頭頂部に残る黒髪の部分がない。脱色直後で染髪直後かとも思われたがどうもそんな雰囲気でもない。それにこの国で生まれた人種であるならば、染めてもあんなに綺麗な金色にはならない。この国の人間でも陽子のように生まれながらの銀髪か、年老いて白髪になったならば綺麗に染められようが、それもありえない。

 そうして最後に気付く、頭の上にある一対のもの。

 角。

 誰しもそう形容するだろう黄色い三角錐型のあれである。

 最近では猫耳の生えた帽子を被っている者など普通に歩いている御時世なので(これが男子でもいるのだから困ったものである)ヘアアクセなのかとは最初は思うが、やはりどうも違うらしい。

 そしてその三つを体に揃えた彼女をその場にいた全員がこう思った。

(……赤鬼)

 この国の人間なのかそれとも外の国から来たのかとか、そんな疑問を全部すっ飛ばして全員がそう思った――ただ一人を除いて。

(……あれ? あの赤鬼さん前にどっかで見たことあるような……?)

「では名前の紹介を」

 陽子は角付きの赤い彼女になんともいえない既視感を感じたのだが、担任教師の言葉にそれ以上は遮られた。指示された彼女は、チョークを手に取ると背後の黒板に字を書き始める。

 読めない謎の異国の言葉でも書くのかと思ったが、普通にみんなが読めるこの国の言葉で、彼女はこう書いた。

 鬼越魅幸。

 それは人の名前のようでもあり四文字熟語のようでもあり、クラス内の全員が読める言葉で構成された四文字のはずなのにそれが一瞬分らなかった。そして彼女はチョークを置いて振り向いてこう言った。

鬼越魅幸おにごえみゆきです」

 それは声に出してみると意外にも普通の音感の名前であり「みゆき」という下の名前も女の子らしい名だ。それに始めて耳にした彼女の声が意外に可愛いかったので、聞いていても聞き心地が良かった。

 しかし――「なにかおかしい」とは、それでもクラスの全員が思った。その名前はこの国の人間であるならば標準から逸脱していない国字の組み合わせだが、それでもなにかがおかしい。そして陽子もその声を聞いて(あれ、この声もどこかで聞き覚えあるような?)とおかしく思っていた。

「新しいクラスメイトの鬼越だ、みんな仲良くしろよ」

 教師だけが一人この「何か分らないけど異常」に気付いていないのか、型通りの言葉で場を濁す。

「で、鬼越、その頭のものは?」

 更には「それは訊いちゃいけないのでは?」といった事まで、ずけずけ訊く。やはりこのクラスには陽子という少し変わった女の子がいるからか、それなりに体性が出来ているのかも知れない。それともそれを本当にヘアアクセサリーだと思って注意しようとしているのだろうか。

「胼胝が凝固したものだと医師には言われました。診断書もありますが見ますか?」

「いや、結構」

 鬼越に質問を軽くかわされると、教師は別に気にした風でもなく教室内を見回す。髪の色と体色はスルーらしい。

「さて、席だが――斉藤の後ろが空いてるな。鬼越の席はそこだ」

 教室内の全員がその空席へと顔を向ける。

「……」

 陽子が軽く息を呑む。

 なぜかというと、陽子の前席は直前まで話していた女子生徒の席であり、斉藤という名前の生徒は彼女の隣なのである。それはつまり――

 教室内を堂々とした足取りで進んできた鬼越が、斉藤の後ろの席に着いた。

 そして優雅に金髪を揺らしながら隣の席の者――陽子へと顔を向ける。

「よろしく」

「は、はぁ……」

 厳かに簡潔に放たれたその挨拶に対して、陽子はそれだけしか返せなかった。


「犬飼さん」

 五時間目と六時間目の間、午後授業の狭間に遂にそれは起こった。

 本日は体育も無ければ家庭科も無くその全てが個人プレイで済む授業内容ばかりだったので、鬼越魅幸は特に誰かとの接触も無く転校初日をこなしていた。

 転校生が来ればとりあえず休憩時間ごとの質問攻めと相場は決まっているのだが、彼女から放出される雰囲気を越えてまでそれをしようとする者は遂に現れなかった。このクラスにも何人かいる、怖いもの知らずの軽率系男子も、さすがに彼女が相手では接触を躊躇した様子。

 だがしかし、その重苦しい雰囲気は彼女の方から破られた。

 そしてこのクラスのほぼ全員も、予想はしていた。時期はずれもいい処のこの時期に転校してきたあの鬼女の目的は狼女(犬飼)なのだろうと。そうでなければなんなのだと。

 そうして鬼越女史はお約束を果たしてくれたのだった。

「放課後、顔を貸してもらえないだろうか?」

 更にはお約束な台詞まで披露してくれた。ある意味彼女はサービス精神旺盛なのではないだろうかと、その言葉を聞いた一部の生徒は思った。

「ほ、放課後でスか!?」

 それに対して陽子もお約束な噛み噛みで応える。

 いつもであれば「部活の練習があるので」と断れるものだが、今日はたまたま陸上部の練習も休みの日である。それでも「部活があるから!」と嘘をついて逃げるのも手だが、どうせ翌日以降も同じように「放課後は空いているか?」と訊いてくるとは予想できる。それに陽子自身嘘をつくのが非常に苦手である。だからここは正々堂々と

「い、いいですよ?」

 と、少しドモっての疑問符系で答えたのであった。


「おまえ、トーマスホガラという名の男を知らんか?」

 その日の放課後になって、約束を果たすべく陽子と鬼越は体育館裏までやってきた。顔を貸す場所までお約束である。

 狼の下に鬼がやってくる。

 普通なら何の関連性もないが、これがもし「相手が犬と勘違いして狼の下へとやってきている」のであれば、話は違ってくる。

 一緒に鬼を倒しに行こうと桃の剣士が団子片手にやってくるのではなく、倒しに行く予定(予定なのか?)の相手の方がやって来ると言う。そう、これから行くのではなく、もうやり終わった後であるらしい。

『いやー、この前私がいったことが現実になっちゃったねー、ちょっとシチュエーションが違っちゃったけど』

 授業が終わり、早々に姿を消した鬼越を追うように教室を出て行こうとする陽子に対して、前席の女の子がそんな風にいっていた。

『まぁ危なくなってもヨーコなら全力で走れば逃げれるよ』

 そう励まし(?)の言葉を追加して、陽子のことを送り出してもいた。他のクラスの面々も特にこれから何かエライことが起こるとは露とも思っていないらしく、普通の放課後の雰囲気である。あの鬼娘と真っ向からやり合っても陽子なら大丈夫だとクラス全員が思っているらしい。頼りにされているのか変人扱いなのか本人にとっては複雑な気分であるが、多分腕力なら負けて脚力なら勝てると本人もそれとなくイメージトレーニングをしている時点で、色々手遅れのような気もする。

 そんなある意味いつもと変わらない雰囲気の中、陽子は教室を後にすると既に待っていた鬼越の下へと到着し、そしてお互い向かい合って「これからなにが始まるんだろう」と陽子が軽く身構えた時に、そんな風に訊かれたのだった。

「とーます、ほがら、さん?」

 なんのことやら、といった感じで陽子がその謎の名前を繰り返す。

(トーマスっていうと英国系の人なのかな? スチームパンクな作品にでも出てきそうな名前だけど――)

「あやつは水と火のからくりの使い手だったらしく、蒸気侍と呼ばれていた」

「マジで!?」

 鬼越の説明で自分の頭の中の想像が半ば当たってしまって陽子は思わず声を上げてしまった。火と水が組み合わさればそれは湯となり、最後には蒸気となる。液体が気体へと変異する際に生み出される力は、ボイラーから歯車へと転換させれば鋼鉄製の大重量物ですら動かす力となるのだ。

「なんだやっぱり知っているのか?」

「知らないです!」

 陽子が反応を見せたので鬼越が訊いていると、力いっぱいの全力否定が帰ってきた。

「――嘘をついているではないな」

 陽子の瞳を覗き込むようにして見た鬼越が言う。

「だから知らないです!」

 更なる陽子の全力否定。

(……しかしその名前の後ろのホガラって……炎の殻でホガラとか? 辺り一体全焼させそうに中々物騒な名前だなぁ……だから蒸気侍なのか、火とか操って?)

 陽子はそのホガラという名前の印象から、稲穂刈りの終わった田んぼに転がっている稲ロールが燃え上がって何本も転がってくるところを想像して怖くなってしまった。もしそんなことが現実に起こったなら恐ろしいほどの大火災だ。

「トーマスホガラ――あやつは、犬の姿をした銃士、猿の姿をした銃士、そして鳥の姿をした銃士を連れて我が領土に攻め入ってきた」

 一人で怖くなっていた陽子に鬼越が説明を始めた。とりあえず陽子が本当に知らないという態で話を進めるつもりらしい。

「あやつが蒸気刀スチームブレードで戦士長格の鬼を次々と斬り倒していく後ろで、三騎の銃士は構えた蒸気銃スチームライフルで残りの鬼たちを次々撃ち抜いていった」

 文献に残されているのであろう、蒸気侍一派と鬼たちの凄惨な戦いを鬼越が語る。

「……」

 言葉を失って聞き入っていた陽子だが、思考のどこかではその話を冷静に分析している自分もいた。

(なんか本当にどっかで聞いたことあるようなお供のメンツだけど「サイユーキ」とかいう昔話も同じようなメンツだから、どっかで話がごっちゃになってるのかも知れないしな……)

 昔起きた史実が時を経るごとに事実とは食い違ってくるとは良くあることで、歴史の殆どが実はそうなのではないかといわれる時もある。本当の現実とは実際にそれを目の当たりにした者の中にしか存在しない。

 しかし彼女が語る話や歴史の真実などは置いといて、まずはとりあえずはっきりさせておかなければならない事柄がある。

「……あの、鬼越さん?」

「なんだ?」

「もしかしてボクの顔を見て……尋ねてる? 犬の銃士の話とか?」

「無論だ」

(……やっぱり)

 トーマスホガラという蒸気侍のお供には犬の銃士がいて――という彼女が知る史実が前提となって話が進んでいるが、今この場には該当する動物に関係した者がいない、というのが事実である。

「ボク、一応、狼なんですけ、ど」

 とりあえず申し訳なさそうに陽子が言う。なんで申し訳ない気持ちになってしまうのだろうとも思うが、そういうものなのだろう。わざわざ鬼が遠路はるばる訪ねてきたのだし。

 鬼越はそういわれて陽子の体に顔を近づけるとスンスンと鼻を鳴らして匂いをかいでみた。

「……なるほど、犬の匂いではないな」

「でしょー」

 というか鬼越女史の嗅覚の凄さはスルーですか陽子さん?

「ではなぜおまえの名前は犬飼というのだ?」

「それはうちの父母おやに聞いて!」

 なんでうちの家の苗字は犬飼なのだろうといつも思う。狼なのに。改名とか考えなかったのだろうか?

「この世界――この町には犬の化身の種族がいる。そう記された文献をたよりにアタシはここまでやってきた」

「だからボクは狼だってばっ!」

 陽子はそう全力否定を続けるが、ふと彼女の言葉に思うことがあるのに気付いた。

「……でも『いぬのけしん』っていわれちゃうと、ちょっと返答に困るのは確かだね。違うとは言い切れなくなっちゃう」

 犬の化身。狼などあまり見たことのない地域で、しかもそこに狼人おおかみびとが現れた場合、その存在を「犬の化身」と呼称して後世に伝えた……というのは充分考えられる事実だ。

「だろう?」

 納得したか? といった雰囲気で鬼越が言う。彼女はそういう話も含めて陽子に接触してきたのかも知れない。

(もしかしてうちの家系ってそのための家系なのかな……?)

 今まで自分の家系が一体どんな目的で神狼の血を受け入れたかなんて、陽子は両親に訊いたことが無かった。15歳の娘として成長するまでは、特に必要としない話ではあったのは確かだ。

 それは自分自身を「普通」として受け入れてくれるこの国この町の風土があったからこそであり、だから自分自身も自ら異常になりたくなかったので、必要無い限りは訊かなかった。そして今まで必要なかったのだ。

 そして鬼越が自分と同じような家系の者であろうことは陽子にも分った。自分自身がそんな血筋に生まれてしまったのだから、もう匂いで分る。

 彼女の血筋は何を目的にして亜人間の血を受け入れたのだろう。そしてそれが引き金となって蒸気侍一派に滅ぼされてしまったのだろうか。

「……」

「犬の銃士は本来八騎ほどいて、その中の一騎があやつの供に就いたといわれている」

「マジっすか!?」

 考え込んでいた陽子はいきなりそんなことを教えられて、思わず大きな声を上げてしまった。

 それが本当なら、それだけ数がいるなら犬飼家の家系も実は蒸気侍や他の銃士となんらかの関係があるのは否定できなくなってくる。全く無関係――という方が可能性としては低くなってきた。

「あの、ボクはトーマスホガラさんって人は知らないんだけど、そのトーマスホガラさんを見つけたら鬼越さんはどうするつもりなの?」

 彼女の目的である蒸気侍とは、犬飼家の人間にも関係の無い話ではなくなってしまったように思う陽子は、少し躊躇うようにそう尋ねた。

「無論、討つ」

 陽子が出した質問に、あまりにも簡潔な答えが返ってきた。

「アタシはあやつを討つ。ただその為だけに生を受けたし、それ以外の生き方など知らん」

「あの……お供の銃士のみなさんも?」

 更に陽子が恐る恐る訊く。自分はあやつ本人よりも、お供の者たちとの方が関係が深そうであるからだ。

「あやつが怠った二の鉄は踏まない。遺恨が残るのであれば、同じように討つ。根絶やしにする」

「……」

 陽子の目前でそう宣言する。その覚悟の言葉に何の意見も返せない。彼女の言霊に込められた強い意志。

「本当に戦いを終わらせたければ、戦い合ったもの同士のどちらかを完全に絶滅させなければ終わらん。そしてあやつはそれを怠った。一人でも生き残れば怨みは残る。あやつが我ら鬼の種族を一人残さず皆殺しにしていれば、そこで全てが終わっていた。アタシも生まれてくることは無かった」

 悲しい色に瞳を満ちさせながら鬼越が言う。

「自分に生まれながらにしてこんな使命モノを背負わせたくれた、その恨みもある」

「……ボク、今すぐ鬼越さんと戦わなければならないのかな……命を懸けて」

 鬼越の強い言葉を受けて、陽子がそんな風に漏らす。

 自分と同じような存在である彼女に不思議に惹かれる気持ちが、そんな言葉を形にしていた。近しい者であるというお互いがここで出会った結果がそうだとしても、それに従った方が良いのかと考えてしまうほどの思い。

 心のどこかでは「多分自分は普通の女の子としての人生は送れないのだろうな」とは、陽子も覚悟している部分があった。そういう意味では毎日陸上に打ち込んでいるのは、もうすぐ実体化しようとしていた「本当の現実」から逃げている行為なのではないかと思う自分もいた。そして自分の人生をとんでもない方向へと導きに、彼女はやってきたのだろうか。

「わからん」

 しかし、そんな陽子の気持ちを更に煙に巻くように鬼越が言う。

「……へ?」

 唐突な鬼越の返答に、陽子も訳がわからないように答える。

「お前があやつを討つ障害となるならば同じように討たなければならないし、お前を残してしまったら遺恨が残るというのであればここで討って全てを終わらせなければならない。しかし現状のお前にはその二つともが見つかっていない。だから、わからん」

 自分の気持ちを正直に言葉に表す鬼越。

「……じゃあ今の時点ではお互い敵対者ではない、ということだよね」

「そうなるな」

 鬼越にしても、鬼ではあるが殺人鬼ではない。殺人に快楽を感じる趣向もないので無益な殺生はしたくないのが本音だ。それに陽子自身はトーマスホガラと関係があるのかどうかまだ不明なのだ。

「なんかそれを聞いて安心したよ――やっぱりあの時助けてくれたのは悪い鬼さんじゃなかったんだね」

「!」

 笑顔でそう語る陽子の言葉に虚を突かれたかのような貌になる鬼越。

「……なんだ、ばれていたのか」

 ばつが悪そうに鬼越が顔をしかめる。

「ばれてたというか、確信したのは鬼越さんがボクの匂いをかいだ時かな。ボクもその時、おととい感じたのと同じ匂いを感じたから」

 鬼越が朝に教室へ姿を見せた時も声を発した時も「もしかして」とは思っていたが、陽子が確信を持ったのはやはり自分の匂いを嗅がれて接近した時だ。

 鉄車怪人に立ち向かい倒れてしまった陽子を寸前で助けてくれたあのちょい派手女子。それが目の前に立っている赤鬼さんだったのだ。

「やはりで過ぎたまねをしてしまったか……」

 遺恨が残るのならば全てを滅さなければ。その覚悟で来たはずなのにいきなりつまずくような真似をしてしまったと鬼越が悔やむ。もしもの時を考えたらお互い情を持ってしまう行為は禁物だというのに。そして不用意に匂いを嗅いでしまったのもミスの内だ。そんなことをしなければ気づかれなかったかも知れない。

「まさかこんなタイミングでいうことになるとは思わなかったけど、あの時は助けてくれてありがとう」

 鬼越の悩みなど知らぬ陽子は、降って沸いた機会に軽く頭を下げた。

「お前に死なれては困ると判断したから手を貸したまでだ。利己的な行動に礼は必要ない」

「でもあの時鬼越さんがいてくれなきゃ、ボク……は元より下にいたヒトミちゃんも大変なことになってたかもしれない。だからその意味でも感謝してる」

 鬼越は今後のためにあくまで乾いた関係を存続させようとする素振りを見せるが、陽子には鬼越はもう新しくできた友人であるに違いない。

(そう、ボクにちょっと普通じゃない友達ができただけ。まだ普通の女の子としての普通の人生は続いている)

 いきなり鬼の血を引いた女の子が目の前に現れても、それは突発的な事故に合うようなものなのではないのか、何かの崩落に巻き込まれるなど。自然の中の崖の陥落以外にも、都会の中でも老朽化したビルの外壁がいきなり剥がれ落ちることもある。それは稀な出来事ではあろうが、稀だからこそ普通に暮らしている普通の人間でも、そのような危険には囲まれている。

 そして鬼越魅幸の出現は崩落事故のようではあるけれど、しかし突発的に何かに巻き込まれ手遅れ――という状態にはなっていない。自分自身の力でこれからいくらでも修正できる領域にいるはずだ、まだ。

「鬼越さん、とりあえず今日は」

 だから修正のための一歩を踏み出す。

「もう帰ろうよ」

 鬼越も今はそれが一番の選択肢だと判断したのか、半ば諦め気味に「……そうだな」と応えた。


 というわけで本当に何事も無く顔を貸したのが終わった陽子は、顔を貸した相手と連れ立って学校を後にした。校門を出る時に鬼越の住まいを聞いてみると「今日から寮生活だ」というので、帰り道も一緒になった。こういう目的の人物は、誰にも知られない秘密のアジト等に忍んでいそうだが、あえて敵中に乗り込んでの探索だったのかも知れない、当初の予定では。

「ただいまー」と陽子が寮の玄関をくぐるのに続いて鬼越も入ってくると、その声を聞きつけた寮母が奥から出てきた。

「ちょうど良かったヨーコちゃん、一緒だったのね」

「一緒?」

 陽子が頭の上にクレッションマークを出して首を傾げると

「後ろの子、今日から同じ部屋になる鬼越魅幸さんよ。来たばっかりで鬼越さんもわからないことだらけだと思うから色々教えてあげてね」

 寮母はそういうとそのままぱたぱたと廊下を走っていった。多分夕飯の準備の途中なのだろう。

「……まぁなんとな~くそんな予感はしてたけどさ」

「どうしたんだ?」

 少し後ろにいた鬼越は寮母の言葉が聞こえていなかったのか陽子に何ごとかと訊いた。

「ボクたち同じ部屋だってさ」

「そうか、それは助かる……って、いって良いのかこの場合?」

 不本意ながらもなんとなく気心が知れた相手となりつつある陽子が相部屋の住人であるのはありがたい反面、一瞬にして敵対者になってしまうかも知れない存在と同部屋というのは如何なものかと、さしもの鬼越女史も思った様子。

「まぁいいんじゃない? 本物の鬼と一緒に寝泊りしなきゃいけなくなる普通ののことを考えたら、ボクと一緒ってのは妥当な考えだと思うし」

 基本的に寮生は相部屋が基本なのがこの寮のルールである。空き部屋は多くあるのだが生徒たちのお互いの触れ合いによる情緒成長を考慮しての処置だ。陽子に関してはその特異な存在から今まで一人部屋だったが、鬼越が現れなければ夏休み直前には誰かと相部屋になっていたはずである。

 そして教師陣も含めた他の者たちは、この二人の間にある複雑な繋がりを知らないわけで「あの鬼娘は前からいる狼女に任せるのが一番」となるのは普通の考えだろう。

「……そうだろうな。すまん、世話になる」

 鬼越もその考えに至ったのか、靴を下駄箱に入れて廊下を進み始めた陽子に習うように、自分の靴も下駄箱に納めて後を追う。

「同級生で同じクラスでしょ、そういうのは無しだよ鬼越さん……いや、ミユキって呼んだ方が良いのかな?」

「そうしてくれ」

 ここまで来たら鬼越もある程度は相手の流儀に従う様子。何しろ同部屋になってしまったのだし。

「アタシの方はヨーコで良いのか?」

「うん、そうして。その方が楽チン!」

 二人はそのまま廊下を歩いて、奥にある食堂に入った。鞄をぶら下げたままなのもなんだが、二人とも空腹の方が優先されたので、とりあえずお腹を落ち着けてから部屋に行って休もうということで、先に夕飯を済ませることにした。食堂に入ると揚げ物の良い匂いがした。メニュー表を見ると鳥のから揚げ定食と書いてある。

「よかったヨーコちゃんすぐ来てくれて、生の鶏肉ひと切れ取っておいたんだけど食べる?」

 片手に鞄、片手にトレイを持って二人が並ぶと厨房の中から陽子が声をかけられた。先ほど鬼越のことを陽子に説明した寮母だ。

「食べます食べますっありがとうございますっ」

 陽子が嬉しそうにそういうと、陽子の定食のトレイの上に一皿追加してくれた。

「いっただきまーすっ」

 二人して空いている席に着くと、陽子は食事時の挨拶をいいながら、寮母にオマケしてもらった生の鶏肉にいきなり噛み付いた。

「……大丈夫なのか生で食べて」

 さすがに鬼な鬼越も、狼女のその食べ方に少し疑問の顔になる。

「んん? あーだいじょぶだよ。それに定期的に生肉食べないと逆に体の調子がおかしくなっちゃうし。鳥でも豚でも牛でも羊でも何でも生で大丈夫」

 がふがふと生鶏肉を豪快に租借しながらの陽子の返事。

「……まぁそうだろうな」

 自分自身も食生活においては普通の人間とかなり大きな差異があるのは鬼越も自覚しているので、それ以上は追及しないで食事を始めた。日々の食事を用意してくれている寮母もそれを知っているからこそ、生の鶏肉を陽子のために用意しておいてくれたのだろう。鬼越と言う鬼娘が入寮してきても特にスルーなのは、陽子のおかげで既に態勢がつきすぎているからに違いない。鬼越のことは「ちょっと派手な女の子」くらいしにか思っていないのだろう、角丸出しなのに。素の状態の鬼越はちょい派手女子を演じている時よりも、更にちょい派手である。

「なんだか通常よりも鋭利な視線を感じるのだが」

 揚げたての鶏肉にしばらく舌鼓を打っていた、その「ちょっと派手な女の子」鬼越が、体を軽く射る視線に気付いて呟いた。寮母との接触では感じなかった種類の違う目線。町中を歩いている時ともまた違う感覚。

「そりゃあ、狼女と鬼女が連れ立ってご飯食べてりゃ注目されない方がおかしいって」

 大盛りにしてもらったご飯をばくばくかき込みながら陽子が答える。

「いったいいつ勇者様ご一行はあの二人を倒しにやってくるんだとか、そんな雰囲気だよ多分。狼も鬼もやっつけられる方の役だからね、ほとんどの物語の中で」

 しかも片方は今日入寮したばかりの新入りでもある。その新人補正も効いているので今日に限っては注目しない方がおかしいだろう。学生寮という障壁に守られた場所にいる者の視線なので、街中で感じるよりも相当に鋭利なはずで、さすがに赤鬼鬼越も違和感を感じたのだろう。

「でもまぁ三日も経てば慣れるからそれまでの辛抱だね」

「三日か。意外に早いな」

「そりゃまぁ、首都艦ほどじゃないけど神無川ここもそれなりに情報がいっぱいの町だからね。ボクたち不思議な生き物も、それだけの時間があればその情報の中にまぎれちゃうんだよ」

 他の生徒は寮母ほどの人生経験は無いのでそれほどの速さはないが、それでもそれくらいの時間があれば慣れる。そこから先の時間は自分たち少し変わった人間も、他の普通の人間たちの中に溶け込こんで生きて行ける。

 そういう意味でもしあわせな人生を送っているのかなと、口にした陽子が自分で改めて思う。ほんの少し前の時代であったなら、この姿が目立ってしまって人の来ない山中に住むしかなかっただろう。そしてそうまでしてでも未来に伝えなければならない何かを背負って犬飼の家の者は血を伝えて生きてきた。

「……」

「どうした、黙ってしまって?」

 突然口をつぐんでしまった陽子を不信に思った鬼越が尋ねた。

「いや、から揚げ美味しいなーと」

 あまりこういう所で口にはしたくないことだったので、陽子はお茶を濁した。

「そうだな、非常に美味だ。お代わりは可能なのか?」

 鬼越も陽子の考えが読めていてそういっているのか、そうではないのか、そんな風に話を合わせた。確かに本日のから揚げは美味しい。

「もちろん!」


「いやー食べた食べた」

 その後、ほぼもう一人前ずつを二人して平らげた陽子と鬼越が部屋に戻ってきた。鬼越にとっては始めての入室である。陽子がドアを開けると、二段ベッドの空いていた下の段に鬼越の荷物らしきものが運び込まれていた。多分寮母が入れてくれたのだろう。

「これがミユキの荷物全部?」

 量としてはスポーツバッグ二つ。多いのか少ないのか微妙な数だが、片方が異常に大きい。鬼越も陽子並に大きい女の子だが、その彼女でも入れそうなくらい大きい。ちなみに異常に大きい方は鬼越が鉄車怪人の攻撃を受け止めるのに使ったので、その意味でもいずれ陽子には正体がばれてしまった様に思われる。

「遠方、そして一応は敵地へと乗り込んできたのだ。荷物は必要最低限が良いのは当たり前だ」

「……そうだったね、一応」

 その辺りのことはご飯を食べている間にすっかり忘れてしまっていた陽子であった。

「でもこっちのでっかい方はなに入ってんの?」

「だから必要最低限のものだ」

 鬼越が簡潔に説明する。

「必要最低限のもの? こんなにいっぱい?」

 着替えとかがぎっしり詰め込まれてるとは彼女の性格からするとさっぱり想像できないが、変装用衣服とか入っていたりするのだろうか、その目立つ容姿を隠すために?

 それにしてもなんだか物凄く重い物が入っていそうな気がするのは気のせいだろうか? 寮母はどうやってこれを入れたのだろう?

「まぁいきなり質問攻めにするのもの悪いしね……ああそうそう、ベッドどうする? ボクは適当に上の段を選んじゃってたけど、こういうのは同じ部屋の者同士で決めるものだし」

 陽子も始めはどちらでも良かったのだが、高跳びの練習代わりに梯子を使わずにひょいっとベッドの上に飛び上がることもしたかったので上の段を選んでいた――という非常に陽子さんらしい理由により現在は上段である。

「いや、空いている方で構わない」

「そう? 別にボクは下の段へのお引越しでも全然構わないんだけど?」

「ベッドというものをあまり使用したことがないので本来なら床で寝たいくらいなのだが」

「……じゃあミユキが下の段で」

 まさかそう来るとは思わなかったので陽子も現状維持ということにした。

 とりあえず今さら展開を要する荷物などほとんど無さ気な鬼越が、スポーツバッグを寝るのに邪魔にならない所に置いたところで、二人は部屋の真ん中に置いてあるテーブルの両端に腰を落ち着けた。

「その棒刷毛のような物は何だ?」

 陽子が回転式の小型掃除具を取り出して床やテーブルの上を転がしているのを見て鬼越が訊いた。

「これ? ボクも正式名称はしらないけど『コロコロください』っていえばコンビニとかで売ってくれるよ」

「ころころ?」

「そうコロコロ。ていうか棒刷毛って……ああ、ローラーのことか、壁とか塗る」

 鬼越が塗装用ローラーは知っていても同じような形をしているコロコロは知らなかったのは、塗装用の方は意外に古くからあるので知識として知っていたのだろう。ちなみにコロコロの正式名称は粘着カーペットクリーナーである。

「ほら、ボクってこういう見た目だからさ、抜け毛が凄くってさ。これで落ちた毛を取ってるんだよ」

 コロコロをころころしながら陽子が説明する。

「難儀な体だな」

「ミユキも色々あるでしょ、他の人間にはない苦労とか」

「色々あるな」

 鬼越はそういいながらテーブルの上に一冊の薄い本が置かれているのに目を留めた。

「この本はなんだ?」

 ページをめくり始めた鬼越に「あー、それね」といいながら陽子が説明を始めた。

「ボクの前の席に女の子が座ってるでしょ? 昨日その子と話してたら色々となんやらかんやらの果てに、その本を借りることに」

「――アタシの話か、凄い偶然だな」

 内容を読んでいる鬼越がそう言う。

「うん、凄い偶然だねぇー」

 確かに非常に稀な偶然ではある。しかしお互いが非常に稀な生き方をしているのか二人とも余り驚いた様子が無い。

「この鬼六という鬼は随分と大工仕事が得意なのだな」

 一通り中を読み終わった鬼越がそう称した。

「ミユキもそういうの得意だったりするの?」

「里の外に出るために色々と学んだが、アタシは木工作業は苦手だな」

「はぁー、やっぱりそんなもんか。でもさぁ、鬼は全員橋を作れるくらい大工さんができるって思ってるんじゃないかな、普通の人は」

 このような話が絵本として出回っているのだから、そう信じている人も多いのではと陽子も思う。

「期待を裏切って申し訳ないが、アタシはこの手の細かい作業は不器用だ。もっとも狼人おまえに話を移せば、狼人全員が怪異狩人ヴァンヘルシングに追われている訳ではないだろう」

 鬼越がそういって返す。彼女が西方の魔的なモノを狩る者の名を知っているのは意外だが、里の外に出る為に得た知識の一つなのかも知れない。

「確かにそうだね……」

 何かを含んだ陽子の口調。何か思うことがあるのだろうか。

「……まぁボクもこんなミテクレなんで濃ゆい質問しちゃうけどさ」

 しかし彼女自身はそれ以上話題に出したくない様子で、話を変えた。

「なんだ?」

「ミユキって鬼なのに天パーじゃないんだね?」

 鬼といえば天然パーマとお約束のようになっているが、鬼越女史は流れるように綺麗な髪質である。鬼は天パーというのはただの伝説なのだろうか?

「……」

「……」

 時間が止まってしまった。

「……」

 さすがに陽子も話の雰囲気を変えるためとはいえ言い過ぎたかと思い、結局狼女VS鬼女のバトルが始まってしまうのかと覚悟していると

「実はがっちがちの天然パーマで毎週美容院でストレートパーマかけてもらってるとかいったらどうする?」

「マジで!? ホント!?」

「さぁな」

「さぁなって!?」

「想像に任せる」

「ごまかされた!」

「それではアタシもお返しといってはなんだが濃ゆい質問をさせてもらうが」

「おぅっ、どんときやがれ」

「お前の乳房は一対なのだな。狼らしく四対で八個は付いているのかと思ったのだが」

「うぉーうっ、ド直球なとんでもない質問だね! これが鬼娘ミユキからの質問じゃ無かったらぶっ飛ばしてるところだね!

「だからこその質問だ。濃ゆいといっただろ」

「……いや、子供のころはね『大きくなったら本物の狼みたいにおっぱいが八個とかになっちゃうのかな』って真剣に怖がってた時期があってね。将来は整形手術とか本気に悩んでた時期もあったよ」

「だが乳首は二個だったんだろ平たい時代から?」

「……大きくなったら新しく生えてくるんじゃないかって思っちゃうじゃない子供なんだから」

「確かにな」

「はぁ……こんな話、親にもしたことないわ」

「アタシも髪質のことを訊かれたのはヨーコが始めてだ」

「そっか、じゃあお相子か……でもなんかボクの方がダメージ大きいような気がするのは気のせいかな」

「気のせいだ」

 しばらくそんな不思議生物同士ならではの雑談(雑談?)が続いたが、もう夜も更けてきたので二人とも寝ることにした。

「すまんな」

「? なにが?」

 お互い夜着に着替えて、陽子が電気を消してベッドに潜り込んだ時、先に下の段に入っていた鬼越がいった。

「いつかお前の寝首を掻くかも知れぬ者との相部屋などと」

「あはははは、またその話?」

 夜の静かな時間に狼女の笑い声が小さく木霊する。

 一体どれだけの偶然が重なって引き起こされた結果なのか、狼人と鬼の血を引く少女が二人して同じ部屋の同じベッドで上下に寝ている。

 本来ならもっと血で血を洗う殺伐とした雰囲気でなければならないのだろうけど、なんだか妙に和やかだ。

 それは同じカテゴリーに生きる者と出会えた安心感の方が大きいからなのだろうか。

 そして元々が普通の人間よりかは強い体を持っている者だからこその余裕なのかも知れない。

「あーそうそう」

 陽子がベッドから頭を出して下の鬼越を見た。

「なんだ?」

「ボクの寝首を掻くんだったら銀製の武器とか用意してこないと駄目だよ、すぐ傷がふさがっちゃうから」

「心得た」

 鬼越は苦笑しながらそう答えると、そのまま掛け布を被って静かになった。

(そういえばミユキの笑い声、いま始めて聞いたかも)

 苦笑とはいえ彼女の笑った声を始めて聞いたような気がする陽子はそれで安心したのか、再び布団の中に戻りいくらもしないうちに眠りについた。

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