日記

小笠原寿夫

やってきたこと

「夢か。」

また、取りとめもない夢を見て、目が覚める。取り敢えず、普段どおりに、重たくなった身体を起こし、煙草に火を点ける。思えば、札幌後楽園ホテルで、結婚披露宴のカメラアシスタントをやっていた時代に、先輩方が仕事を終えた後に煙草を吸われる姿を見て、憧れに近い形で、煙草を吸い始めた。朝寝の一服は、夢を現実に引き戻す手段として用いられる。言わば私の日課になっている。

「ここでやって行けたら、どこに行っても通用するからな。」

と、尊敬するカメラマンさんが仰っていたのを思い出す。映像の面白さに目覚めたのは、もっと後のことだが、私は、その時、大阪に住む友人に、ひたすらコント台本を書いていた。ユーモアを交えた積りだったが、それが時に、友人の癪に障ることもあったらしい。どうやら、私が天狗になっていた様である。

 私が、最強だった頃、学生時代の話である。

「お笑い。」

それが、当時、私が思い描いた夢である。友人に、

「一緒に吉本に行こう。」

と、何度も打診したが、その都度、

「俺らみたいな奴らが、舞台に上がっても、何やこいつらと思われるだけだ。」

と、突っぱねられた。はっきり言って、当時の私は狂っていた。

 札幌の友人には、

「普段、何しているの?」

と聞かれては、くだらないコント台本を友人に認めていると言い辛かった。

「いや。別に何もしてない。」

と、お茶を濁すしか術はなかった。勿論、学生の書く事だから、大した本が出来上がる訳ではないが、それをひとつのステータスだと思っていたことも事実だった。学業を怠り、アルバイトとコント台本に費やす時間が、一日の大半を占めていた事に、何の抵抗もなかったと言えば嘘になる。それなりに後ろめたさは感じていたし、高い授業料を払い、勉強を怠った事を今でも後悔している。

 ある日、親しい友人にだけ、私が書いたコントの内、割かし大阪に住む友人に評判が良かった台本を、披露した。

「実は、コントの台本を書いているんだけど。」

と、打ち明け、それを親しくなった友人は、

「見たい、見たい。」

と、前のめりになった。猫が、自分の死骸をひた隠しにするが如く、ひっそりとやっていた為、マスターベーション的な要素を呈した台本に、恐らく、それを見た友人は、

「つまらない。」

という感想を持ったに違いない。にも拘らず、次に会った時、

「面白かったよ。」

と言ってくれたのが、社交辞令だという事に、気づいていたかどうかまでは、覚えていない。

 面白いやつが集まる学校だった。と言うよりは、田舎でこつこつ勉強しかして来なかった私には、到底、及ばない言葉の壁を、簡単に身につけているのだから、面白くない訳がない。水を得た魚が、水を失ったかの如く、私は関西弁コンプレックスに悩まされることになる。

 そんな折、心の支えになったのは、ダウンタウンさんであった事は、紛れもない事実である。今思えば、顔から火が出るほど、ダウンタウンというコンビに傾倒していた。

 というのも、関西に住んでいる時は、観られない番組を関東ローカルや東日本でのみオンエアしているという異例のスタイルを取る、先駆け的な存在が、私の中では、ダウンタウンさんだった。今でこそ、YouTubeで、ある程度のものは見られるが、当時は、テレビが盛んだった。札幌後楽園ホテルで、映像の世界に入りたい、と思ったのも、テレビの表面しか観ていない、ミーハーの視聴者だからに過ぎなかった。

「俺、テレビ局目指しているんだ。」

そう打ち明けた時、札幌の友人は、感化されたらしく、

「俺も、もう一回、医学部目指そうかな。」

と言った。理学部は医学部崩れが多い。理学部を卒業すると、製薬会社や研究所に配属されたり、SEになる事は、多々あるが、テレビ局には、コネがなかった。

 当時、私は、東京と言う街がどんなところか知らなかった。テレビの画面越しに映る東京は、華やかで、色とりどりのものがあると信じ込んでいたが、それはお金を持った人たちが、いい空気を吸っているという表面上のものに過ぎなかった。

「ここでやっていけたら、どこに行っても通用するからな。」

その言葉が、正に神の言葉に思えるほど、カメラマンさんの言葉が私の心を勇気付けた。

 東京、札幌、大阪、神戸で、就職活動をした私は、如何に今まで、何もして来なかったかが、鑑みえる程、悉く篩いにかけられた。

 辛い思いをする度に、頭をもたげるのが、「お笑い」だった。馬鹿には出来ない職業だと言う事は、百も承知である。ただ、その夢は、何か私の命綱でもあるかのように、生涯、付き纏う沈殿物であるようにも思える。

 簡単に人を笑わせられる人。そういう人を私は、心の底から尊敬する。人の心を揺り動かす人は、それなりの経験もあり、頭脳もある。何よりも強さと優しさを兼ね備えている。

 昔、嫌いだった父を尊敬しているのも、その為かもしれない。

 父が、この文章を見たら、恐らく一蹴するだろう。何の振れ幅も伏線も落ちもないこの文章を、私は日記と呼ぶ事にしようと思う。小説が書けるほどの技量は、私の頭には残っていない。

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日記 小笠原寿夫 @ogasawaratoshio

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