ハンガー
寝具の中は、ぬるま湯のように暖かな幸福で包まれていた。
チュンチュン・・・・。
チュンチュン・・・・・・。
この日セイムは、本当に久しぶりに小鳥のさえずりで目を覚ました。
彼は、この小鳥のさえずりが機械的なものであることに気づいていて、メイプルが用意した目覚ましの類であろうと、まるで液化してしまった頭で考えた。
だとすれば、多分メイプルが先に起床するはずなのでセイムはその時が来るまでこのままでいようと思った。
さらにセイムは、メイプルがもっと長く、もっと安心して眠ていられるようにそっと彼を抱き寄せた。
すっかり冷え切っていたメイプルの体は、今では心地よく温まり、健やかな寝息を立てている。
セイムの胸は達成感で一杯になった。
そして、彼の意識は再び寝具に広がる温もりの中に熔けていったのだった。
否。
「あなた方・・・・!いったい何をしてらっしゃるのですか?」
その声にセイムの止まっていた心臓はギュッギュッと乱暴に伸縮して、鼓動が耳元で警鐘の如く激しく打ち鳴らされた。
セイムはすぐに飛び起きて、事態の説明をしようとしたが、伸縮する首の血管が喉を規則的に締め付けるせいで彼の息は絶え絶えになった。
それに、思考の方もまだ心地の良い眠りに片足を突っ込んでいる最中だった。
「『ドロシー』が・・・!」
寝ぼけていたとはいえ、つい口に出した瞬間、セイムは自身が犯した限りなく偶然に近い必然的な間違いに思わずハッとなった。
ジゼルは怒らせていた華奢な肩を急激に萎ませた。
「・・・違うんです。ジゼルさん」
セイムはベッドの上で俯いて、剥いでしまったシーツを引き上げた。
ジゼルは握っていた手を開いて、右手で髪の毛先をかき上げると、一度可愛らしく鼻を鳴らして言った。
「どうしたんですかセイム?浮かない顔をして、おねしょでもしてしまいましたか?」
「いえ・・・。本当に何でもないんです。もう朝ですか?」
窓の無い部屋には、時間の経過を認識させるものは何もない。
約700ルーメンの明るさに設定された2510号室の間接照明は、気を許したものを容赦なくまどろみに引きずり込む魔力を秘めていた。
「朝ですよ。さぁ、セイム、起きなさい」
「はい。おはようございます、ジゼルさん」
「おはようございます。セイムさん。ほら!メイプルさんもいつまでそうしているつもりですか?」
ジゼルは未だセイムの傍らでうずくまる様に寝ているメイプルの肩を掴んで強制的に寝返りをうたせた。
メイプルは整った顔を不細工にのぉーっと伸ばして、辛うじて意識を取り戻したようだった。
そしてメイプルは今にも死にそうなくらい苦しげに呻いて顔を上げた。
「ああ。ジゼル?まだもう少しだけいいだろ?頼むよ?」
「いけません。一年の計は元旦に在りと言うように。一日の計は、その日の朝にあるんですよ?さぁ、昨日はさぞよく眠れたのでしょ?起きてください。だらしがないんですから」
「ぅううううん」
「そうだ、メイプルさん」
セイムは人を起こす手本を今更ながらジゼルに示すように、うずくまるメイプルの耳元でそっと囁いた。
「うううん。なんだよ?」
「僕たち、今夜、『ハンガー』と言うお店に来るように言われているんです」
ジゼルは赤くなって唸った。
「二人とも!起きてからになさい!」
セイムはこれ以上ジゼルの苛立ちが溜まると、また、いつかのようになってしまいそうだったので、とても名残惜しいと思いつつも、話の場をテーブルへと移すことにした。
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