世界樹の緑茶

「全く、使えねぇ奴」


メイプルはそう言うとロドリゲスのドーム型の天板に肘をついて、拳で軽くたたいた。


2501号室は早くもメイプルの諜報活動の拠点になりつつあり、部屋の中央に置かれたガラス天板のテーブルには書類が累々と積まれていた。


また、これら書類の多くは、特殊な細工を施されたレンズ越しにしか内容が確認できないようになっている。


「へ・・・。へっくしゅ!ま、とにかく早く入れよ。プロフィットボーイズが来るまで、行く当てもないんだろ?」


二人は、黙ったまま頷いた。


2脚しかない、背もたれなし、おまけに、中心部分がごっそりと凹んだ椅子に二人を座らせると、メイプルはすっかり冷めた緑茶をひとすすりして、探偵の目、探偵の耳、そして、探偵の鼻を総動員して二人をじっくりと観察してから、一言。くせぇ。と、だけつぶやいた。


それから、メイプルは、落ち着きなく部屋の中を行ったり来たりして、時々悩んで、テーブルの書類の数々に目を通した。


その間彼は、絶えず集中を持続し、必要な情報以外は一切視界に入れないように努めている風だったので、二人も体の筋に力を入れて、動かず、話さずを貫いた。


メイプルは、次第に我慢が出来ない様子になって遂には街の淀んだ空気で汚された外套を二人からひっぺがして入り口付近のクリーニングクローゼットにぶち込んだ。


「・・・これでよしっと。次は風呂だな。セイム、お前から入れよ。天井から延びてるバルブは絶対開けんなよ?別料金なんだから」


「わ・・・わかりました」


メイプルは外套をぶち込んだ勢いのまま、セイムを部屋の一辺を占有しているシャワー区画へと、羊にそうする牧羊犬の如く追いやった。


そのシャワー区画という奴は曇ったパネルで区切られただけの殆ど部屋の一部だった。


「こんなところで・・・?」


「なんだよ?セイム」


「いいえ、しかし、これは」


セイムはパネルの際に立って、何度も何度も視線を往復させて、その都度ジゼルの様子を伺った。


「ぁあ!お前恥ずかしいんだ!」


「違います!ただ・・・」


「ただ。水が、そちらに飛んでしまわないか心配なだけです!」


「真面目ちゃんね全く」


「いいから!出てってくださいよ!」


「わあったよ。怒鳴る事無いだろ」


「ありますよ!」


緑色の錆で覆われたシャワーのノズルから出るお湯はぬるく、科学的な妙な臭いがして塩辛かった。


セイムは(恐らくメイプルの私物であろう)置いてあった使いかけの石鹸を容赦なく泡立ててべたつく体を洗った。


全ての泡を体から洗い流すと同時に、パネルの向こうからメイプルが得意げに言った。


「洗い終わったら、壁の赤いスイッチに触ってみな」


セイムはその言葉に従った。


すると、壁や天井に開けられた通気口から温風が吐き出されて、瞬く間に辺りをからりと乾かした。


セイムは完全に乾いた四肢を衣服に通すのが久しぶりだったので、大変豊かな気持ちになった。


「幸せそうな顔しやがって、女子かお前は」


明日までの束の間の凪を確信しているセイムはこの頃になるとメイプルに対する感謝の気持ちで一杯だった。

彼はそれを素直にメイプルに伝える事にしたのだった。


「今日は、一日大変でしたけど、こんなに気持ちのいいお風呂に入れたのは、メイプルさんのおかげです。ありがとうございます」


メイプルはそれを聞くと満足そうに小さな鼻を鳴らした。


「ふん、わかればいいんだよ。ジゼル、お前も風呂に入れ、ひでぇ臭いだ」


メイプルの態度があまりにも不躾で同時に親切だったので、二人は少しだけ笑った。

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