お泊り

客室がずらりと並ぶホテルマンボウの廊下は狭く、あちこちにゴミが吹き溜まり、染みが付着して色が変わり、おまけに全方位から放埓ほうらつな騒音が響き渡っていた。


先頭をゆくセイムのすぐそばの扉のドアノブがゆっくりと下りて、留め金の外れる音が聞こえたのでセイムは、酷く心細くなった。


「ジゼルさん?」


「はい、ここにいますよ」


ジゼルは自然に押し殺した声で不安そうに答えた。


セイムはほっとして、足早に扉の前を通過した。


幸い、その扉から誰かが出てくることは無かった。


「こんなことを言っては失礼なのかもしれませんが。このような場所に一人で来るなんて、メイプルさんには、よっぽどの使命がおありなのでしょうね?セイム」


ジゼルはずっと摘まんだままのセイムのジャケットを僅かに引いた。


その時セイムは、2階へと続く階段の踊り場で濃厚にスキンシップを取る二人組を発見し、心臓が止まりそうになっていた。


ジゼルもすぐにその存在に気が付いて、一度ジャケットの裾を放したが、すぐにまた摘まみなおした。


2階へとつながる階段を一段上がり、未知の領域へと踏み込むとセイムも、また、ジゼルも、これ以上恐ろしい事が起きないようにと心の底から願っていた。


二人は、手にかいた汗にも気が付けない程に緊張して、一歩また一歩と階段を上った。


二人の願いが天に届いたのか、それとも、彼等の世界には元々お互い以外に存在していないのか、踊り場で触れ合う二人は、セイムらに気が付きすらしなかった。




 2階は、1階を反転させたようにまるっきり同じ造りになっていて、折り返したその先はまた階段になっていた。


二人はほっと胸をなでおろした。

向こうまで繋がる廊下の沢山の扉のうち一つの前に、見覚えのあるシルエットがあったためだ。


二人は思わず足早になって部屋の前まで移動した。


「ロドリゲスさん」


「こんばんは、ロドリゲスさん。またお会いしましたね」


ロドリゲスは一呼吸おいてから二人の方に僅かに体を傾けた。


「メイプルさんのお部屋は、こちらですの?」


「・・・」


ロドリゲスは、再び一呼吸おいて体を斜めに傾けた。

それから、小さな金属板を扉にかざし部屋の鍵を開けた。



2501号室、メイプルの言っていた部屋は2階廊下の中ほどの位置にあった。


二人は扉の前で互いに見合って頷くと扉を叩いて彼を呼んでみる事にした。


「メイプルさん。セイムです。ジゼルさんも一緒です」


『・・・』


それから、何度か呼んでみたが返事は無かった。


二人はもう一度見合って頷いて、次は、扉のドアノブに手をかけた。


銅色のノブは金属の摩擦音と共に下がり、頑丈そうな鉄板の内側で留め金の外れる音がした。


セイムは思わず呼吸を忘れ、そのままゆっくりと扉を開けた。


ガチャ・・・。


「メイプルさん・・・?」


「うあっ?!ああ!セイム?!」


部屋はセイムが思っていたよりも広くて比較的に見て清潔にされていた。

形だけの窓があって、壁には、綺麗な絵が飾ってあって、部屋の中は薄暗く石鹸のような香りがした。


セイムはすぐにメイプルを探した。

しかし、彼の視界はすぐに何者かによって奪われてしまう事となった。


「・・・ジゼルさん?」


「何となくです・・・!いけません・・・!」


「はぁ」


ジゼルの手は、暖かく柔らかく小さかった。


セイムは思わずその手に触れたくなって、すぐにガサガサになってしまった自分の手のささくれを気にした。

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