みちづれ

ジゼルはボイラーの騒音とは逆の方向へと向い、行く手には常に開いたばかりの色とりどりの花が咲き乱れていた。


彼女は時にしもべを携えた女王のように気高く振舞って、かと思えば、たまに振り向いて子供のように気ままに跳ねた。


木々の隙間や花のトンネルをくぐって、最終的に二人は先ほどの小さな水槽へと戻ってきた。


ジゼルは逆光を受けて再び透き通った服を体に合わせて直してから、慣れた態度で近くの丸太にゆっくりと腰を下ろし、短く息を吹いた。


「いいな。リナさん」

「ジゼルさん?」


ジゼルは世界一小さな湖に浮かぶ波が白く輝く様を虚ろに眺めて居るようだった。


セイムは彼女の姿を久しぶりに静かに眺めて、普段と変わらず正直な気持ちに満たされた。


彼は僅かに考えて、そして、屈託のない気持ちが自らの魂に満ちるのを感じると、ジゼルに声をかけた。


「ジゼルさんは、ここが好きですか?」


ジゼルはハッとして振り返り、ええ。とだけ答えて水面に視線を戻した。


何度も耳の中で反響していたシャズの言葉と、昨夜の暴力的な体験が交互に押し寄せて、セイムの顔は引きつった。


「いいな。リナさんいいな・・・」


言うべきか、言わざるべきか。


「いいないいな・・・」


ジゼルはそれからすっと立ち上がった。


それから


「ええーい!」


水に飛び込んだ。


バシャアアアアア!!


「ジゼルさん・・?ジゼルさん!!」


セイムは飛び散る水しぶきから反射的に顔を覆った。

それからすぐに貯水槽の木枠に飛び乗った。


ジゼルは一度肩まで水に浸かって立ち上がり悪戯な顔をしてセイムを見上げている。

幸い水は彼女の胸の下あたりの深さだ。


「はあぁ、意外と・・・っ、暖かいのですね・・・っ」


ジゼルは一度沈んで水の中で方向転換してからセイムを見上げ非常に満足そうに言った。


「セイムさんも一緒にいかがですか?とてもすっきりいたしますよ?」


彼女がいつもと変わらない様子だったので、セイムは安心した。

すぐに引き上げるという選択肢も彼にはあったが、当の本人が心から今の状態を愉しんでいるようだったので彼はこれから先に備える事にした。


「やめておきます。何か拭くものを持ってきておきます」


リナのおさがりを日頃から拝借しているジゼルと違ってセイムには替えの服が無かった。


そうやすやすと濡らしてしまうわけにはいかない。


「・・・そうですか」


ジゼルはセイムの答えを知っていたので特別残念がる事無く彼を見送った。


セイムはシャズに言われたことを告げるきっかけを思い通りに発見出来ずにいたために、仕切りなおすにはかえって良かったのかもしれないと思いながら小川の下流へと足を向けた。


きゃあっ!!!


短いジゼルの悲鳴のすぐ後に水が飛び散り水面が唸りを上げた。


「ジゼルさん!!」


「セイム!中に!水の中に何かがいます!!」


セイムは大急ぎでジゼルの元へ駆け寄って膝をついて彼女の様子を見た、水浸しになった彼女の装いは、頭上で結った豊かな髪を除いて重力の影響を強く受けていて彼女の体に張り付いていた。


一方水中ではそれらは自由になり、彼女の周りを気ままに漂っている。


よって、ジゼルの足元は不気味な謎に包まれていた。


レプトンセファルスかもしれない、あれらは体こそ小さいものの獰猛な肉食の生物なのだ。


「早く!もう上がりましょう!ジゼルさん!!」


セイムが手を差し伸べると、ジゼルは表情に後悔を漂わせて両手を水面からあげて足元を伺いながら水槽の縁の元へと向かい彼の手を取った。


二人の体に力が漲って、ジゼルの体は水面から持ち上がりその体には小さな滝がいくつも出来た。


セイムはその流れ落ちる水を一滴残らず目で追っていた。


体が半分ほど水から出た所で急にその体が重さを増した気がしてセイムは放してしまわないように両手にさらに力を込めた、しかし、それでもジゼルを引き上げることが出来なかった。


「ジ・・・ゼルさん!」


セイムは顔を赤くしてジゼルの口元に視線を持ち上げた。

ジゼルは無表情のように思えた。

セイムの額から浴びた飛沫が一滴伝い顎から落ちる。


すると、ジゼルの無表情だった口元が羞恥にまみれて、いたずらに引き締まるのが彼には見えた。


「・・・・。えい!」


次の瞬間、彼女は無邪気に破顔してセイムを貯水槽に引きずり込んだ。


セイムはバランスを崩したまま水に飛び込んで思わずジゼルを頼った。


彼は泳げないのだった。


「どうですか?セイムさん」


体制を整える手助けをしたジゼルは得意げにセイムにきいて、結わずに流していた髪に着いた水滴を絞った。


「思っていたよりも、ずっとすっきりとしています」


セイムはとうとう観念して、一度体をかがめて肩までつかり顔を洗った。


浮かび上がる泡が割れる音が静まると、辺りは、自然が作り出す静寂に包まれて、すべてが銀色に光り輝いていた。


そこには、紛れもなく二人だけしかいなかった。


セイムはジゼルを見た。


そして、


ジゼルはセイムを見た。


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