夏のある日

帰りの道は壁に開けられた大穴の裾から延びる狭い階段だった。


岩肌に丈夫な角材が差し込まれただけのようなこの階段は、さぞ泥棒の類を拒むのだろうとセイムは考えていた。


彼は何の躊躇もなくそれを伝い上へと昇っていくシャズの姿を見て少しほっとして、体の動きを自分なりにトレースして後に続いた。


「シャズさん。あの人たちはどういった人たちなんですか?」


シャズは遠くの山や森から吹き付けてくる気まぐれな荒野の風が渓谷のエッジに切り裂かれてひゅうひゅうと悲鳴を上げているのが収まるまで待って、それから答えた。


「そんな事、聞いてどうする」


「いえ」


セイムは少し黙って、非日常から湧いて出た図々しい自分の好奇心を恥じた。


そして、岩壁から蜜のような『乳銀』が下まで真っ直ぐ垂れているのを見つけ、それを指ですくってぺろりと舐めた。


シャズは上まで登り切ると地上の砂を一歩踏んだところで喉を鳴らして語りだす。

その表情はクロヒョウのように鋭くこめかみに僅かな影を落としていた。


「随分前にな、この辺りは『ヴェール』に挑む連中の溜まり場だったんだ」


「ヴェール?」


シャズは最も近くにあった橋を無視してムーンシャイン鉱山が一望できる崖の際をだらだらと歩き始めたのでセイムもそれに続いた。


「ヴェールってのは、世界の果てみたいなもんだ。ドーム状になってるという奴もいるし、筒状になってるという奴もいるが、実際知ってる奴はいない」


セイムはいつもそうするように実態を見つめる事無く知識に対しての質問をした。


「あの人たちは、そこで辛い目に遭ったんでしょうか?」


「いや違うな、あいつは直前で怖気づいた腰抜けだ。だがと言って。それからずっとあんな調子だ。いいや、その前からかもな」


二つ目の帰路は崖に張り付くように設置された木製の下り階段だった。忘れ去られた階段には、砂が縞模様を描いて薄く降り積もっていた。


シャズはそこも無視した。


「それで、って僕たちに。」


「ああ。頭で忘れたくても、当時の匂いや、空の色、地面を踏む感覚、風の音、歩くたびケツに流れ込んでくる冷気なんかがそう出来なくしてるんだろう。哀れな奴だ」


シャズの物言いは、セイムにとってとても他人事のようには思えなかった。


セイムは不安を誤魔化すように崖の向こうの屋敷の後ろの小さな森から湯気がゆらゆら上がっているのを見つめその美しい光景で何かを上書きしようと試みたものの、やはり上手くいきそうにはなかった。


シャズが半分振り返ってセイムを呼ぶ。


「セイム。お前もうここから出てけ」


「え・・・?」


「一日やる、シオと相談して行先を決めろ。わかったな」


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