逆転

「どうしたセイム!ケツに力入れろ!」


「・・・はいっ!」


太陽が遠くの峰から登る前に起きて、しっとりと冷たい霞の中を進んだところにある蒸気機関揚水機を掃除する。


埃と煤と汗にまみれて、『なぜ毎日綺麗にしているのに、これほど汚れてしまうのか?』と言う疑問は、ずいぶん前に考えなくなっていた。


やがて朝日が昇る頃にはボイラーが熱くなり力強く地下水をくみ上げる。


このくみ上げたばかりの地下水で1度目の水浴びをして。


給水用のバルブを調節し終えたらそのまま、穴に潜りシャズと共にひたすら鶴嘴をふるって穴を掘った。


セイムのシャズに対する印象は、あの日から少し変わって、『五月蠅い中年』と言った印象が元あった物に追加されていた。


それ以外は良くもならなければ、悪くなる事も無かった。


その日も地上に戻る頃には空は暗くなっていた。


彼はそんな発破はっぱ(岩盤を破壊するためにに使用される火薬)の導火線のような毎日に熱中していたのだった。



彼は食事が済むとすぐに2階に上がり窓際のベッドに入った。

瞼の裏の、たまに暗闇に散る鶴嘴つるはしが放つ火花や、耳をつんざく金属音や、ボイラーの鼓動が段々と静かなものとなる頃に。


決まって。


夕食の片付けを済ませたジゼルが部屋に入ってくるのだった。


この時セイムは出来るだけ目を覚ましてジゼルにお礼を言った。


「いつもありがとうございます。僕の分まで」


「いいんです。今日は風が強くて、少し怖い夜ですね。」


窓から月光が斜めに部屋の中に差していた。

照らされているところは白く、それ以外は、紫色に薄く染められている。


夜の荒野を音も無く、自由に駆け抜ける風たちにワシワシと撫でられる裏庭の木。


「『トリ・ネコ』です」


セイムは消えかける意識の中でぽつりとつぶやいた。


「トリネコ?トネリコでは無くて?」


トリ・ネコは成長の早い広葉樹だ。


成長が速いと言っても成木になる前の細い幹は、虫や病気に弱く、枯れやすい。


代わりに、少しの水さえあれば痩せた土地であっても根付く適応力と繁殖力でそれを補い、尚且つ、成熟した木質は軽く、強靭が高く、最高級の鶴嘴やシャベルの柄に使われる事が幸いして、ムーンシャイン鉱山のような過酷な土地でも、伐りつくされる事も、また、枯れ果てる事も無くしぶとく生息し、かつては『アルバイト』でここを訪れるプレイヤーたちにも重宝されていたらしい。


それから、季節を問わず条件さえそろえば、沢山のエレメントを吸収した種を風に乗せて飛ばすという。


名前は。


名前は、初めに付けたプレイヤーが呼び間違えたとか、そうではないとか。


「・・・」


「セイムさん?セイム?・・・本当でしたらわたくしは、今にでもあなたを起こしてしまいたいのですよ?」


「・・・」


「おやすみなさい」


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