囚われのカナリア

この鉱山だけではないかもしれないが、ムーンシャイン鉱山は特殊仕様になっていた。


セイムが一瞬意識を失っていたと勘違いしていた時間は約一晩だった。



早朝のまだ仄暗い世界だというのに、セイムの冒険の胴着は早くもことごとく汚れ切っていた。


しかし彼はできるだけ何も考えないよう努め、それは同時に無力な自分を深く責める心の働きでもあった。


あくる日も、あくる日も、あくる日も、セイムは穴に潜っては無言で掘り続けた。


そんな毎日でありながらも、納屋に戻るまでの僅かな間に見上げる空は琴の弦を一度弾いたような楽しさを毎晩のように彼に与えたので彼は猶更辛かった。


そして、ほとんど気が付かないうちに夜が明けて、穴に潜り、一日の初めの一振りは昨日の最後の一振りに比べて肉体の疲労を越えた技術の一振りのような気がして、いつでも軽く、鋭かったので。


彼はやはり猶更辛かった。


何日か経とうとして、その日の作業の終了時間が迫る頃に硬い岩盤からひときわ大きな塊が転がり出た。


その時男はガラガラとした溜息をついて薄暗がりの中で初めて口を利いた。


「このクソは、明日やる」


セイムはその言葉を無視した。


彼は無言のまま鶴嘴つるはしを振りかざして、汗だくになりつつも捨てやすい大きさに塊を砕き始めた。


男ははじめ見て見ぬふりをしていたが自分以外の人間が放つ騒音がよほど気に入らなかったのか、壁の杭に掛けておいた鳥篭を回収すると空いている片手でセイムの鶴嘴を無理やり止めた。


「おい。聞こえなかったのか?」


動きを失った切羽場せっぱば(掘進現場の先端)は滴り落ちる僅かな地下水の水音も聞こえてくるほど急に静まりかえって、男のガラガラ声を永遠に反響させた。


男は続けた。


「お前は死ねと言われたら死ぬのか?」


何処か憐れむような、確かめるような、そして大部分は嘲笑する具合で男は言った。


セイムは咄嗟に反論した。


「そんな馬鹿な事する訳無いでしょう・・・!」


セイムの言葉は歯と歯を放さない叫びのようだった。


「だったら来い」


男は再びガラガラと喉を鳴らして光源を持ち上げると言った。


「こいつも腹を空かせている」


ムーンシャイン鉱山の夜空はその日もセイムの心を一度弾ませた。


いつものように彼の心は一度だけ弾んで、今夜も彼は自分でその心を止めてしまうのだった。



その日、男はいつものようにどこかに消えなかった。



不自然なほどのろのろと歩き、いつも屋敷に着く前に訪れる幾多の分かれ道をすべて無視して屋敷の前までやってきた。


これから起こるであろう出来事の予兆にセイムは辟易へきえきしていた。


うっとおしい中年の気まぐれに付き合ってなるものか、と、真っ直ぐ納屋に向かおうとしたセイムを男は呼び止め屋敷に案内した。


セイムは苛ついていた。


それは、やはり温かな光の下、お気に入りだった冒険の装いがことごとく汚れ切っていて、汗だらけで、おまけに靴まで穴が開いて、その穴が靴下まで貫通していて、顔や頭それ以外の体中の何処に触れても、また、一々触れていなくとも。


ビッシリと付いた粉炭と砂が汗で混じって中途半端に乾いたもので覆い尽くされていると知っていて、少し前を歩く汚い中年男の横顔を見ればその事が明確に証明されてしまったからに他ならない事でもあったが。


「おかえりなさーい、『シャズ』。それからえっと。あなたは?」


「紹介しよう『リナ』、セイムだ。セイム、リナだ」


二人を出迎えた女は質素だが温かな美しさを放つ屋敷が霞むほど、母性的な女性の魅力に溢れていた。


そして、


セイムは、やはり苛ついた。


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