少年の居場所

次の日の早朝に、セイムを揺り起こしたのは、古びた鶴嘴つるはしの柄だった。



彼は吐きそうになる程に気分が悪くなって、すぐにジゼルの事を聞くべきだと、内心急かされたが、無言のまま鶴嘴の柄の角を恨めしい思いで頭から放すと、男の後をついて行った。




 谷にへばりついた人気のない長屋や、摩耗した煉瓦で出来た家々を横目に通り越して、黄色い砂がしみこんだ乾いた木の階段を下へ下へと降りていき、谷の底が見えて来る頃に漸く太陽が遥か上方の世界を暖かく照らしはじめているのが見えた。


その美しい風景を眺めて居ると、彼は急に不安になって『もう、あそこには戻れないかもしれない。』などと言う根拠の無い心配をせずにはいられなかった。


谷底にいくつも空いた竪穴たてあなの一つに着く頃には、起きる前からずっとどこかで響き続けていた旧式の蒸気機関が奏でる規則正しい騒音も気にならなくなっていた。


男は打ち捨てられたオイル缶の上の羽を間引いた『ヒカリシロコバシ』の入った小さな鳥篭の中にパンくずか何かを僅かに撒くと、取っ手を掴んで穴の中へと進んでいった。


ヒカリシロコバシは雛の間にだけ暗闇で発光する鳥のような見た目をした生物だ。


こうした鉱山では暗闇の光源としての役割だけでなく、運悪く掘り当てられた『ガス溜まり』をいち早く感知するためにも抗夫たちに重宝され、さらに、成長した後は彼らの腹を満たすためにも役立てられるというその美しい外見からは想像もできないような悲劇的な宿命を背負わされている生物でもあった。


セイムはこの生き物を取り巻くあまりに無情な背景から、何処かで一度聞いただけのヒカリシロコバシの事を知っていた。


竪穴に掛けられた縄梯子を伝い、下へ下へと降りていき、たどり着いた前後に四角く掘られた横穴には前後両翼に向かって丁寧に金属のレールが敷かれていた。


おおよそ寄せ集めで轢いたレールはそれぞれ異なった錆の生え方をして、辿っていけばそれぞれがまるで違う材質で作られているようでもあった。


ヒカリシロコバシを先頭に片側の行き止まりまでくると男は壁に打ち込まれた杭に篭を吊るしてやはり無言のまま鶴嘴を硬い岩盤に振り下ろした。


セイムは、暗さと、歯が浮くような金切り声の騒音にうんざりしながら。


一緒になってつるはしを振り下ろした。


セイムははジゼルの事を聞かなかった。


聞く気すら起きなかったのだ。


そうすることで、やはり自分は卑劣なのだと。その魂に納得させた。



穴を出たころには、すでに空は暗くなり始めていた。



隅々にまでこすりつけた泥が入り込み汗と天井から滴り落ちてくる地下水を吸いこんでずっしりと重くなったジャケットを、今にでも谷底に投げ捨ててしまいたくなるのを静かに耐えた。


体を引きずる様に地上に戻るころには、すでにほかの何かをする気分さえ起きなくなり。


彼は命令されたわけでもなく納屋で寝た。


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