殻破りの明日

黒犬

それでも変わらないといけないんだ。

 本を読む事が前までは好きだった。だが、ある時期から「創作なんて無意味なんじゃないか」なんて事を思うようになってしまったから今ではもう一冊も本を読まない。そのせいでもう今は、何にもならないような文章しか頭に浮かばなくなってしまった。やっぱり読書は文章力を維持するために必要なものなのだろうね。ま、だからといって読むつもりなんか無いんだけど。

 ある時期、というのはあれだ。君が……いや、「俺」が現実を見るようになったあの時期さ。詳しくは机の上の日記の方に書いてると思うよ(そんなに詳細には記述していないから読んだら読んだで拍子抜けするかもしれないが)

 まあ、でもいいだろ? こんな自分しか読まないような物に気を遣う必要は無い。


 「いや私に読ませてんじゃんか」

 「そこは臨機応変というか」

 「へっ……お前あれだな、陰気だ。文章からそんなのがぷんぷん匂ってきやがるんだよ。くんくん…うえ、あたしの洗剤の香りがお前の文章のせいで淀んでるじゃんかよどうしてくれんの」

 「知らんが」

 「知らんが!? お前アタシの制服の匂い汚した事の重さ分かってねえな!?」

 「うるさいよ。少しボリューム下げて」

 「うっせーのはお前だよ黒木。教室だれも居ないんだから気にしてんじゃねえっつうの」

 「……いや俺いるんだが」

 「だから何」

 「はいはい……」

 そんな風にもう定型化したいつものやり取りを適当に終わらそうとしながら、彼女の手から一冊のノートを取り上げた。

 「……それで、どうだった?」

 「お前本当に死んだの?」

 僕の質問には答えないまま、彼女は質問をしてきた。

 「うん。死んだよ」

 ふーん、と面倒くさそうに席と席の間を片足で跳び交互に遊ぶように移動する。

 「それでそれが遺言書の全部か?」

 「まあ……そうだな。昔俺が書いた遺言書。一字一句そっくりそのままだ。」

 「昔っていつだ」

 「今から1年前」

 「死にたいって思った動機は?」

 「虚しいからだ。」席の背もたれに体重をかけながら答えた。

 「もう何をやっても無意味だと思ってきてね。変えようが無いものを変えようとしてきたんだと気が付いたんだ。だから、もう自由になりたい」

 「その年でか?」

 「ああ、この年で」

 「後悔するぞ? 死んでから魂になって、悪霊になるぞ?」

 「魂とかそういうの信じてないから別に」

 「自殺したら地獄に落ちるんだぞ?」

 「だから信じてないって…」

 背中に体重を乗せて、昔よく見た筈の教室の天井を眺めた。

 「だから、早く連れて行けよ。もういいだろ? 俺の意志はそれに入ってるよ。」

 「……そうか。」

 彼女の瞳がスッと細くなる。少しだけ怖い。

 少し構えると、それを意にも介さず、

 「分かった」

 そう言って、彼女は目を閉じて指を鳴らした。


 「”審判”」

 

 瞬きをすると、そこは元々いた自分の寝室だった。

 見回すと、服も普段着に変わっている。

 「一つ確認しておく」

 先程までの雰囲気は何処に行ったのか、長い黒髪をドレスみたいに回しながら、

 「お前は、本当に死にたいのか?」

 彼女の風貌は一言で言えば、黒。喪服かと疑うような上下真っ黒な服装をしている。

 「――俺は」

 「お前だって分かっているだろ? お前の中には残り物のカケラしか残ってねえよ。過去の後悔や、苦痛や、恨みはもう殆ど無くなっている。あるとして、将来への不安か、それっぽっちだ。」

 「そうだろうな」

 「変わりたいんじゃないのか? まだ途中だろお前。」

 「疲れたんだよ、もう。」

 「ああ、分かる。瘴気でも漂ってきそうな面してんよ。お前。」

 「俺は小さい頃から他の奴らの出来ることが出来なかった。しばらくそれが当たり前だと思ってたし、俺にやさしくしてくれた人らはいたけれど、その人たちは口をそろえて言ってたよ。『君はそのままでいいよ』なんてな……馬鹿げてるだろ? 甘えでしかないんだよ。そんな言葉。そのまま生きてたら見事なくらい人とズレた。不思議なくらい他人の考え方と自分の考え方が違ってたんだ。このままで良い訳なんか無かった。変わらないと生きる事さえ出来ない現実だけが確かに有った。」

 「……」黙って聞いてくれている。

 「だからどうしたって言いたいんだろ。ああ、自分でもそう思ったよ。昔の俺は、だから確かに変わろうとしたんだ。つい最近まで変わろうとしてたんだ。何回も、何回も。」

 「……分からないな。なら尚更死ぬ理由なんて無いんじゃないのか? 努力してきたんだろう? 抱えていた筈の膨大な量の無力感や恐怖がお前の中から見えないのは、お前が変わろうとしたからだろう? そのままではだめだと、努力して努力して、お前なりに動いた結果だったんだろう?」

 「だから、だ。俺は人と違って、人のやることが出来なくて、だから頑張って変わろうとしてきた。だけどその上で俺が思った事はこれだ。『何回変わらないと俺は人として普通に生きていけないんだろう』。終わりが見えない変化の旅なんて、何も魅力が分かんないんだよ。所詮無価値だ。」

 「……それは嘘っぱちだ。無価値だなんてそんなこと」

 「本音だよ。……もういいだろ。俺を、連れてってくれ――さん」

 「分かんないな……あーもう本当分かんない。何でここまで要素を持っておきながら捨てようだなんて、なんて事をしたのさ。……黒木くろき 優太ゆうた。」

 「全部消えればいいって思ったからかな? 分からない。気分で俺は」

 「嘘をつくな。お前は知ってるはずだろ? 何回だって乗り越えて来ただろ? 自分が無理だって思ったら逃げて、そして逃げたその先で見つけた場所で、一人でも、いや、ちゃんと人間を好きになることだって覚えて来ただろう? なのになんだ。何でなんだ。」

 「……変わりたかったからだ」

 「死んで何が変わるんだ?」

 「ゼロには出来るだろ」

 「全てを無くすことを変化とは呼ばねえよ。それはただの破壊だ。……ああ、何か嫌だな。お前、質問に答える気無いだろ? お前が死んでから、お前の魂を見定めて来いと言われたから何事かと見に来てみれば。」

 「ごめん」

 「はーっ。謝れなんて言ってないよ。お前に一つ種明かししてやる。」

 「え?」

 「私にはお前を地獄に連れていく力なんて無いんだ。いい加減気が付けよ。思い出してみろ」

 「思い出すって何を」

 「私が、お前の前に現れたのはいつだ?」

 「それは……」記憶をたどる。

 

 手っ取り早く死のうと思って薬をまとめて用意して。

 遺書を新しく書こうとも思ったけれど面倒くさくて、やっぱりちゃんとこれくらいは書いておかないと都は思ったけれどやはり何も書けなかった。

 書くことなんか無かった。

 自分が死ぬことに関して、自分が遺書を残すにあたって書くことなんて一言も思い浮かばなかった。

 何と言えば良い? 死んでごめんとでも書けばいいのか?

 僕はどうして生まれてきた?

 なじられるためか?

 怒られるためか?

 誰かを困らせるためか? 

 苦しむためか?

 

 愛情は貰って来た。

 誰かを想う幸せも知った。

 誰かを好きになる辛さも知った。

 それなのに、

 まだまだ目の前に道は続いていて、果てしなかった。

 あとどれだけ苦しめば、俺は変われる? 変わったって言える?

 この気持ちがずっとずっと続く怖さ。

 

 薬を飲んだ。

 意識が途絶えた。

 そして――



 そして?


 あれ?

 じゃあ、何で。

 え?

 彼女の風貌を見た。

 黒い。

 僕も黒い服を選んでよく着ている。


 目つきが悪い。 

 僕も目つきが悪くて何もしていないのに怒られる。


 雰囲気が独特だ。

 僕もよく言われた。もう人とあまり関わっていないから縁も無いけれど。

 

 とても自信過剰に見える。

 僕が、そう、遺書書いた当時言われていた――


 「私はお前だよ。いつだってそうだ。お前はどうしたってお前にしかなれない。


 「あ……」

 「お前が自分の事をどう思ってたかは知らんよ。お前だって分かってるだろう? 時間が経てば、もう別人も同然だってさ。なあ……」

 「お前は……」

 「情けねえ面してんじゃねえっつうの。ばーか」

 「何で……」


 「何でも何もないっつうの。夢のせいだ。」

 「夢……」

 「お前が昔飲んだ薬な……あれ勝手に睡眠薬だと思ってたけどただの栄養剤だったんだよ。お笑いだろ?」

 そうだ。

 僕が中学の時に飲んだのは、ただの栄養剤だった。

 

 「過去に顔を合わせる……夢ならではじゃねえか。なあ」

 「所詮は夢だろう」

 「口調だって変わって、考え方も変わって、本当に別人だ。昔のお前は根拠も無いのに自信があって、常に大口叩いてたものなあ」

 「ただの恥ずかしい思い出だ」

 「本当にそうか?」

 「何を言って……」

 「そうだなあ。何言ってんだろうなあ。ハハハハッ!」

 「?」

 「否定されてきたもんなあ! お前!」

 「……」

 「何をするにしてもダメだと言われて生きて来たもんなあ!! 顔も知らない奴から文句言われるわ勝手に噂広げられるわ、忙しねえくらいに虐げられてきたもんなあ!! 自分ばっか期待されて!! 学んで大成するしか選択肢貰えなくて!! そうとしか思えなくて!! だから……」

 「……」

 「黙ってなんになる? 何だ? お前何のために変わろうとしてきた??」

 「俺、は」

 「否定されたから何だ? ってそれでも思ってきたから変わろうとしたんだろうがッ!!!」

 「俺は‥‥」

 「仮に誰からも認められなくたって! 家族がろくにお前の事を分かってくれてなくたって!! それでもいつか、いつか。いつか!」

 「……」

 「いつか、全部どうでもいいって思えるくらいでっかくなってやるって、そう

想ったんだ。忘れてんじゃねえぞ、忘れんじゃねえ馬鹿野郎が!!!」

 「……」

 喉から言葉が出てこない。

 何も言えない。

 

 「忘れんな。お前はお前で、あたしはあたしだ。あたしとお前はもう別の人間だ。それは間違いない。間違いないが、」

 「……。」

 「アタシがお前の延長線上にいないとしても! お前には、お前が正しいと審判する義務がある!」

 「それでも変わらないといけない」

 「甘んじて受け止めやがれ。それくらい」

 「それでも痛みが消えない」

 「馬鹿が、怪我したら治せ! 当たり前だろうが」

 「それでも泣きたくなるぐらい辛い」

 「泣けばいいじゃないか!」 

 

 肺一杯に空気を吸い込んで。彼女は言った。


 「お前は生きてて良いんだッ!!」

 「……ッ」

 「まだ見ていたい物がたくさんあるんだ! そうだろう! だから……だからこんな夢を見るんだ」

 「どうも……そうみたいだな」

 思い出してきた。

 現実の出来事が一つ一つ頭に浮かんでくる。


 俺は薬何か飲んでない。

 いつも通り不安を抱えて眠っただけ。

 つまり、これはただの俺の記憶の寄せ集め。

 夢だ。

 

 いつでも見るような、平凡な夢。

 「お前の背後にはあたしがいる。お前の傍にもあたしがいる。どこまで行っても、大丈夫だ。」


 認識が始まって、夢から覚めていく感覚が広がっていく。

 これは夢だと認識していく中で頭が覚醒していく。


 「大丈夫だ」

  手を差し出してきた。

 それがどちらの手なのかは分からなかったが、

  


 「ありがとう」と言って握っておいた。



  答えは無いけれど

  明日も生きていく。

 

 

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