第155話「狼煙」

 白煙の立ち込める戦場で喜助きすけ創傷けがを負った時刻よりさかのぼること凡そ半刻はんとき前―――


 義太夫ぎだゆう武蔵むさしと一対一で対談する場を得ていた。


「げははは!あんちゃ、デカいのー!まーまー座っちょ座っちょ!」


「お主が武蔵むさし殿であるか。なるほど噂通りの人物と見える」


 噂通り…

 義太夫は対峙した武蔵を視てそう云った。

 この噂通りとは、世間に流布されている噂ではなく、義太夫の人脈つてで得た噂を指している。


「いかにもいかにも!わっしゃが武蔵むさしですわい!斯く云うおどれは誰ですわいな?」


「む…お主、立札たてふだを読んだのではないのか?」


「げはげは!読んだ読んだ!あー読んだわいな!随分前にわっしゃに負けて廃れた剣術道場のあだ討ちをしたいとか何とか云うとる酔狂な奴ですわいな?たっしゃ、名はヨシなんとか…あ、もっしゃ、おどれがそのヨシカーだかヨシウラだか云う奴ですわいな?」


吉岡よしおか憲法けんぽうだ」


「おーおー!ですわい!そのヨショーカケンポーはこのわっしゃが殺したったんですわい!」


「む!…武蔵むさし殿、死者に対してそれと称すのは無礼ではないか?」


「死んだもんをなんと云おうがわっしゃの勝手ですわい。わっしゃもおどれも畜生も、みなが死ねばになるわいな。死ぬ前こそ人と畜生という差違ちがいがあれど、死んだ後には皆が土になって何も云えなくなるんですわい。土になったもんは人であるわっしゃになんも文句が云えんのですわい。だから死人しびとなんてあれとかそれで十分ですわいな。げははは!」


「……武蔵むさしよ、我輩がその吉岡よしおか憲法けんぽうの跡を継いだ者だとしても何も云えんと申すか?」


 義太夫は武蔵が四代目憲法をそれと呼んだ事を咎めようとしたが通じず、という持論を語った武蔵に対して明らかな怒気を纏い、名を呼び捨てにして訊いた。

 その瞬間、武蔵の纏う気配もまた変化した。


「……云えんですわい。所詮ですわいな。跡継ぎだなんだ云ってもあんちゃは本人じゃねーですわい。あんちゃがわっしゃに文句があんならいざ知らず、死人は黙る事しか出来ねーのですわい。…わっしゃに云いたい事があんならあんちゃは他人ひとの立場を使わずにあんちゃ自身の心境きもちを云うべきですわい。そもそもあんちゃはどこの誰ですわいな?」


「………」


「………」


 義太夫と武蔵は暫く無言の状態ままで睨み合った。

 たった一度の瞬きすら許されない緊迫感に包まれたその睨み合いを打ち破り、先に口を開いたのは義太夫だった。


「我輩は阿武隈あぶくま義太夫ぎだゆう。またの名を祇園ぎおん藤次とうじ。そして現在いまは五代目吉岡よしおか憲法けんぽうである。武蔵むさし…いや武蔵たけぞうかつての、そして現在いまの吉岡への非礼を全て詫びよ。お主のやった全ての行為を世間に明かして二度と剣を持たぬと約束せい」


「げはげは!……嫌だと云ったらどうすんだわいな?」


「我輩とお主、互いに真剣を用いた立合たちあいを所望する」


「真剣をもちーた立合たちあい?それっちゃつまり…殺死合ころしあいですわいな?」


「うむ。もっとも我輩はお主を殺す気はない。だが、お主は自由すきにせい。我輩が勝てば少々屈辱だろうがお主にはこちらの指示に従って貰う。逆にお主が勝てば我輩は死ぬ。死を賭して立合たちあう我輩と生を約束されたお主、悪い条件とは云わせんぞ」


 義太夫は面と向かって武蔵へ決闘を申し込んだ。

 冷静に会話を続けてはいるものの、義太夫が目の前にいる武蔵の態度に業を煮やしたが故の宣戦布告にも似た申し込みであった。

 この時、義太夫は自らの思惑通りに事を運んでいるつもりであったが、その実は既に武蔵の術中に嵌まっていた。

 と義太夫の言葉をかわす武蔵にはある思惑があった。

 その思惑とは、義太夫自身の言葉くち立合たちあいを申し込ませる事であり、武蔵はあくまでも受け手側として渋々応じたという事実を得ることであった。


「アブクマ…あーや、ヨショーカ?ちゃーった、ギン?…ちゃーったちゃーった!ケンポー!現在いまのあんちゃは五代目ケンポーだわいな?わっちゃが殺した土の跡継ぎだわいな?」


「その土という物云いは捨て置けぬが…如何にもそうだ。我輩は四代目と吉岡潰しによって死んだ者の名誉を挽回し、四代目の真実ほんとう死様しにざまを世間に明かさんが為に唯の一度だけ五代目となった吉岡道場の跡継ぎよ。今更それがどうした?そんな事よりもやるかやらぬか、その答えを聞かせい、武蔵むさし


「げははは!あーや、すまんわいの。実はわっしゃも跡継ぎがいるんだわいの」


「なに?」


「二代目武蔵むさしだわいの。先代のわっしゃと立合たちあいたいなら二代目の許可を取ってからにするわいの。あーや、その前に三代目以降の許可も必要だわいの」


「貴様、ふざけておるのか?」


「怒るのは筋違いだわいの。ほれ、これを視るわいの」


 武蔵はそう云いながらふところから一枚のを取り出し、それを広げながら話を続けた。


「ここに先代と立合う者は当代の許可を取ってからと、そう書いてあるわいの。これは武蔵流の鉄則だわいの。あんま覚えとらんが、たっしゃ、現在いまは八代目くらいまでいる筈だわい。わっしゃと立合うにはまず二代目から八代目の七人の許可を取るわいの」


「武蔵流の鉄則は理解わかった。だが…我輩がこの場で問答無用と申さばどうするつもりだ?」


「この場でわっしゃと?そりゃームボーを通り越して滑稽だわい。ここはわっしゃが決めた場だわいな。を承知で云ってるわいの?」


 武蔵の云った「その意味」とは、この場に於ける優位性を表している。

 早朝に武蔵のいる寺へとやって来た義太夫達は七人全員が武蔵の門下である見張り役からあっさりと中へ通されたものの、武蔵との会談を許されたのは義太夫のみであり、その会談場所は寺の敷地内にある小屋だった。

 そして、会談を行う際の前提条件として、吉岡側の代表として小屋に入る義太夫は一切の武器の持ち込みを禁止された。即ち、義太夫はこの場に於いて完全な丸腰である。

 無論、公平を持たせる為に武蔵もまた義太夫同様に丸腰ではあるが、この小屋は武蔵側が用意した場であり、武蔵にだけわかる様に武器が隠されていても不思議ではない。何より、体格で圧倒的に勝る義太夫の「問答無用」という言葉、圧力を込めたその言葉に対して未だに飄々ひょうひょうとしている武蔵の態度が不気味であり、その不気味さが隠された武器の存在を匂わせていた。

 だが、義太夫はまさしく問答無用であり、例え武蔵が武器を隠していても一向に構わないという覚悟であった。


「元より承知の上だ。場を改めて立合うならば命までは取らんが、この場でり合うというならあやまってくびり殺してしまっても致し方ない。…武蔵むさし、お主の自由すきにせい!」


「……げはげは、冗談わいな。仕方がないから特別にわっしゃが死合しあってやるからおもてへ出るわいな」


「承知!」


 義太夫はそれ迄ずっと立合を拒む様な態度を見せていた武蔵がそれを受け入れた事には裏があると感じつつも、それが何に起因しているか迄はわからなかった。しかし、それでも自身と武蔵が一対一の決闘を行う展開へと話が進んだ事は義太夫の予定通りと云えた。


「コジロー、予定変更だわい。二代目以下の出番はなしだわいな。こっちゃとはわっしゃが直々に相手してやる事になったわいの。急いで用意するわいな」


「御意!」


 先に小屋を出た義太夫の後へと続いた武蔵は外で待機していた男へ自身が決闘を行う旨を伝えた。

 武蔵からコジローと呼ばれたその男は義太夫達を会談場所へと案内した者であり、男に対する武蔵側の関係者の態度や男自身の振る舞いから、そのコジローという男が単なる門下ではなく、武蔵の側近であると推測された。

 コジローは異様だった…頭巾で顔を隠し、その頭巾を喉元で厳重に縛っている姿はまさしく異様であった。

 それから程なくしてコジローは武蔵の愛刀を持って五人の男と共にその場へ戻ってきた。

 これで七対七である。

 この七対七という状況は義太夫の「たちあいにんは六人ずつ」という提案を武蔵が受け入れた為に生まれた状況である。

 立会人とは、現代で云う審判に似た立場の者であり、決闘を行うという約束とその結果を覆されない為には必須となる者である。

 決闘という行為の是非はともかくとして、それを行う上で立会人は必ずいなくてはならない。立会人が欠けていては決闘は成り立つものではない。

 何故ならば、仮に立会人なしで決闘を行った場合、どちらか一方が多勢を率いていたとしてもその証明が出来ず、数の力によって勝った者が一対一で決闘を行ったと主張すればそれが真実となる。それだけでなく、立会人がいない決闘をとして、その結果が互いに死なないかたちで決着した場合、勝敗を裏付ける証拠がない為に両者が共に勝ちを主張する事もあり得る。

 それらの不正行為を防ぎ、決闘を成り立たせるのが立会人なのである。

 本来ならば両者に対して公平な立場の第三者が立会人となるのが望ましいが、多くの場合は決闘を行う当事者が互いに同数の立会人を用意するのが当時のであった。

 尚、一対一の決闘に於ける立会人の数は通常は一人ずつ、多くても三人以下であるが、義太夫は吉岡勢として参戦した全員を立会人とする為に立会人の数を六人とする事を武蔵に提案した。

 六人ずつ、計十二人の立会人というのは通常ならば考えられない程の数だが、義太夫はもしも武蔵が決闘の約束を反故にした場合や決着後に乱戦となった場合に、数で劣る自分達はなるべく同じ場に纏まっている事が得策と考えてそれを提案したのである。

 そして、互いに七対七となった一行は決闘の場へと移動した。


「…さて、ここでどーだわないな?」


「悪くない。広くて見通しもよく、地面もぬかるんでいない」


 武蔵側が案内したのは寺の敷地内にある草木が一切生えていない広場であった。

 その広場は土が剥き出しとなっており、強く踏み込んでも足を取られる事もなく、近くに物陰が無い為に伏兵が用意されていたとしても黙視から接近まで猶予があるという、敵地へ乗り込んだかたちの義太夫達にとって悪くない条件だった。


(ここはか?義太夫ぎだゆう殿の云う通り決闘を行うには悪くない場だが……)


 慶一郎けいいちろうはその場を悪くないと認識しながらも周囲が気になっていた。

 投げ込み場とは、所謂である。

 現代では考えられないが、寺の中には投げ込み寺と呼ばれる寺が存在し、その寺には身元不明の死体が運ばれて無縁仏として弔われていた。そしてその殆どが無断で運ばれていた為に死体を置いていく行為をと呼んでいた。

 特にこの寺は周囲に人家がなく、尚且つ広大な敷地を有していた事でその敷地内に死体が運ばれる事が多かった。

 疫病や飢饉による集団死や略奪による殺戮行為が発生した際には、日に数十体から百体以上という数の死体がこの場へ運ばれる事も珍しくなく、そのあまりの数に処理仕切れなかった為にこの寺では当時の常識では非常に珍しい行為が日常的に行われていた。

 それは…


「げははは!見るわいな!視るわいな!ここは世にも珍しいだわいな!死体を焼き払う場所だわいな!」


 人焼ひとやきとは、 現代で云う火葬場である。

 当時の日本に於いて火葬は非常に珍しく、死体をその侭に地へと埋葬する土葬が主流だった。

 しかし、この寺では死体をそのまま埋めるにはあまりにも多くの死体が投げ込まれていた為に日頃から火葬を行っていた。

 そして、火葬を繰り返していたこの人焼場はいつしか草木が生えることのない不毛の土地となっていた。


(人焼場だと?この妙な匂い、これは人を焼き続けた為に土に染み付いた匂いなのか?)


 その場は独特な匂いに包まれていた。

 誰も言葉くちにはしないが、その場にいた皆がその匂いに違和感を覚えていた。

 特に喜助は匂いだけでなくその場所自体にを感じ、鼻を押さえながらしきりに周囲まわりを見回していた。


「…喜助きすけ殿、どうかしましたか?」


 周囲に聞き取れない声量で慶一郎が耳打ちすると喜助は又兵衛またべえと出逢った日の話をしながらこう云った。


「あの時にはぜびとを見た時と同一おなじなんだ…よくわかんねえけどここに居ちゃいけねえ気がする。上手く云えねえがここは危け…なんだっ!!?」


「くっ!?」


(爆発音!?)


 喜助が云い終える直前だった。

 慶一郎達が今いる広場の周囲から爆発音が連続で響くと同時に辺り一帯は瞬く間に白煙に包まれた。

 そして、どこからともなく大勢の男達の怒号と女達の悲鳴が響いた後に一段と大きな爆発音が辺りに轟いた。

 その音は、武蔵の用意した卑劣な罠がその効力を発揮し始めた証であり、苛烈な乱戦の開幕を告げる狼煙のろしとなる轟音だった。

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