第155話「狼煙」
白煙の立ち込める戦場で
「げははは!あんちゃ、デカいのー!まーまー座っちょ座っちょ!」
「お主が
噂通り…
義太夫は対峙した武蔵を視てそう云った。
この噂通りとは、世間に流布されている噂ではなく、義太夫の
「いかにもいかにも!わっしゃが
「む…お主、
「げはげは!読んだ読んだ!あー読んだわいな!随分前にわっしゃに負けて廃れた剣術道場の
「
「おーおー!それですわい!そのヨショーカケンポーはこのわっしゃが殺したったんですわい!」
「む!…
「死んだもんをなんと云おうがわっしゃの勝手ですわい。わっしゃもおどれも畜生も、
「……
義太夫は武蔵が四代目憲法をそれと呼んだ事を咎めようとしたが通じず、死んだ者は土という持論を語った武蔵に対して明らかな怒気を纏い、名を呼び捨てにして訊いた。
その瞬間、武蔵の纏う気配もまた変化した。
「……云えんですわい。所詮死んだら負けですわいな。跡継ぎだなんだ云ってもあんちゃは本人じゃねーですわい。あんちゃがわっしゃに文句があんならいざ知らず、
「………」
「………」
義太夫と武蔵は暫く無言の
たった一度の瞬きすら許されない緊迫感に包まれたその睨み合いを打ち破り、先に口を開いたのは義太夫だった。
「我輩は
「げはげは!……嫌だと云ったらどうすんだわいな?」
「我輩とお主、互いに真剣を用いた
「真剣を
「うむ。
義太夫は面と向かって武蔵へ決闘を申し込んだ。
冷静に会話を続けてはいるものの、義太夫が目の前にいる武蔵の態度に業を煮やしたが故の宣戦布告にも似た申し込みであった。
この時、義太夫は自らの思惑通りに事を運んでいるつもりであったが、その実は既に武蔵の術中に嵌まっていた。
のらりくらりと義太夫の言葉を
その思惑とは、義太夫自身の
「アブクマ…あーや、ヨショーカ?ちゃーった、ギヨン?…ちゃーったちゃーった!ケンポー!
「その土という物云いは捨て置けぬが…如何にもそうだ。我輩は四代目と吉岡潰しによって死んだ者の名誉を挽回し、四代目の
「げははは!あーや、すまんわいの。実はわっしゃも跡継ぎがいるんだわいの」
「なに?」
「二代目
「貴様、ふざけておるのか?」
「怒るのは筋違いだわいの。ほれ、これを視るわいの」
武蔵はそう云いながら
「ここに先代と立合う者は当代の許可を取ってからと、そう書いてあるわいの。これは武蔵流の鉄則だわいの。あんま覚えとらんが、たっしゃ、
「武蔵流の鉄則は
「この場でわっしゃと?そりゃームボーを通り越して滑稽だわい。ここはわっしゃが決めた場だわいな。その意味を承知で云ってるわいの?」
武蔵の云った「その意味」とは、この場に於ける優位性を表している。
早朝に武蔵のいる寺へとやって来た義太夫達は七人全員が武蔵の門下である見張り役からあっさりと中へ通されたものの、武蔵との会談を許されたのは義太夫のみであり、その会談場所は寺の敷地内にある小屋だった。
そして、会談を行う際の前提条件として、吉岡側の代表として小屋に入る義太夫は一切の武器の持ち込みを禁止された。即ち、義太夫はこの場に於いて完全な丸腰である。
無論、公平感を持たせる為に武蔵もまた義太夫同様に丸腰ではあるが、この小屋は武蔵側が用意した場であり、武蔵にだけわかる様に武器が隠されていても不思議ではない。何より、体格で圧倒的に勝る義太夫の「問答無用」という言葉、圧力を込めたその言葉に対して未だに
だが、義太夫は
「元より承知の上だ。場を改めて立合うならば命までは取らんが、この場で
「……げはげは、冗談わいな。仕方がないから特別にわっしゃが
「承知!」
義太夫はそれ迄ずっと立合を拒む様な態度を見せていた武蔵がそれを受け入れた事には裏があると感じつつも、それが何に起因しているか迄はわからなかった。しかし、それでも自身と武蔵が一対一の決闘を行う展開へと話が進んだ事は義太夫の予定通りと云えた。
「コジロー、予定変更だわい。二代目以下の出番はなしだわいな。こっちゃとはわっしゃが直々に相手してやる事になったわいの。急いで用意するわいな」
「御意!」
先に小屋を出た義太夫の後へと続いた武蔵は外で待機していた男へ自身が決闘を行う旨を伝えた。
武蔵からコジローと呼ばれたその男は義太夫達を会談場所へと案内した者であり、男に対する武蔵側の関係者の態度や男自身の振る舞いから、そのコジローという男が単なる門下ではなく、武蔵の側近であると推測された。
コジローは異様だった…頭巾で顔を隠し、その頭巾を喉元で厳重に縛っている姿は
それから程なくしてコジローは武蔵の愛刀を持って五人の男と共にその場へ戻ってきた。
これで七対七である。
この七対七という状況は義太夫の「
立会人とは、現代で云う審判に似た立場の者であり、決闘を行うという約束とその結果を覆されない為には必須となる者である。
決闘という行為の是非はともかくとして、それを行う上で立会人は必ずいなくてはならない。立会人が欠けていては決闘は成り立つものではない。
何故ならば、仮に立会人なしで決闘を行った場合、どちらか一方が多勢を率いていたとしてもその証明が出来ず、数の力によって勝った者が一対一で決闘を行ったと主張すればそれが真実となる。それだけでなく、立会人がいない決闘を真っ当に行ったとして、その結果が互いに死なないかたちで決着した場合、勝敗を裏付ける証拠がない為に両者が共に勝ちを主張する事もあり得る。
それらの不正行為を防ぎ、決闘を成り立たせるのが立会人なのである。
本来ならば両者に対して公平な立場の第三者が立会人となるのが望ましいが、多くの場合は決闘を行う当事者が互いに同数の立会人を用意するのが当時の習わしであった。
尚、一対一の決闘に於ける立会人の数は通常は一人ずつ、多くても三人以下であるが、義太夫は吉岡勢として参戦した全員を立会人とする為に立会人の数を六人とする事を武蔵に提案した。
六人ずつ、計十二人の立会人というのは通常ならば考えられない程の数だが、義太夫はもしも武蔵が決闘の約束を反故にした場合や決着後に乱戦となった場合に、数で劣る自分達はなるべく同じ場に纏まっている事が得策と考えてそれを提案したのである。
そして、互いに七対七となった一行は決闘の場へと移動した。
「…さて、ここでどーだわないな?」
「悪くない。広くて見通しもよく、地面もぬかるんでいない」
武蔵側が案内したのは寺の敷地内にある草木が一切生えていない広場であった。
その広場は土が剥き出しとなっており、強く踏み込んでも足を取られる事もなく、近くに物陰が無い為に伏兵が用意されていたとしても黙視から接近まで猶予があるという、敵地へ乗り込んだかたちの義太夫達にとって悪くない条件だった。
(ここは投げ込み場か?
投げ込み場とは、所謂死体置場である。
現代では考えられないが、寺の中には投げ込み寺と呼ばれる寺が存在し、その寺には身元不明の死体が運ばれて無縁仏として弔われていた。そしてその殆どが無断で運ばれていた為に死体を置いていく行為を投げ込みと呼んでいた。
特にこの寺は周囲に人家がなく、尚且つ広大な敷地を有していた事でその敷地内に死体が運ばれる事が多かった。
疫病や飢饉による集団死や略奪による殺戮行為が発生した際には、日に数十体から百体以上という数の死体がこの場へ運ばれる事も珍しくなく、そのあまりの数に処理仕切れなかった為にこの寺では当時の常識では非常に珍しい行為が日常的に行われていた。
それは…
「げははは!見るわいな!視るわいな!ここは世にも珍しい人焼場だわいな!死体を焼き払う場所だわいな!」
当時の日本に於いて火葬は非常に珍しく、死体をその侭に地へと埋葬する土葬が主流だった。
しかし、この寺では死体をそのまま埋めるにはあまりにも多くの死体が投げ込まれていた為に日頃から火葬を行っていた。
そして、火葬を繰り返していたこの人焼場はいつしか草木が生えることのない不毛の土地となっていた。
(人焼場だと?この妙な匂い、これは人を焼き続けた為に土に染み付いた匂いなのか?)
その場は独特な匂いに包まれていた。
誰も
特に喜助は匂いだけでなくその場所自体に何かを感じ、鼻を押さえながら
「…
周囲に聞き取れない声量で慶一郎が耳打ちすると喜助は
「あの時に
「くっ!?」
(爆発音!?)
喜助が云い終える直前だった。
慶一郎達が今いる広場の周囲から爆発音が連続で響くと同時に辺り一帯は瞬く間に白煙に包まれた。
そして、どこからともなく大勢の男達の怒号と女達の悲鳴が響いた後に一段と大きな爆発音が辺りに轟いた。
その音は、武蔵の用意した卑劣な罠がその効力を発揮し始めた証であり、苛烈な乱戦の開幕を告げる
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