第141話「女であるが故に男に…」

 立花たちばな慶一郎けいいちろうは女である。

 そして、慶一郎は自身が女である事を認め、決して男になれぬ事も理解わかっている。それ故に慶一郎は自らに対して「男であったら…」と感じ、男という存在に嫉妬していた。


『男も女も関係ねえ!』


喜助きすけ殿…そうだ。喜助きすけ殿があの日云ってくれた!)


 不意に喜助の声が聞こえた気がした。

 面と向かって「だろ!」と云ってくれた喜助の声は慶一郎の心魂こころに深く響いていた。

 そして、その言葉を思い出した慶一郎はゆっくりと口を開いた。


「……そうだ。私はジンではない。そして、


「む!」


「なにいっ!?」


「なんと!?」


 慶一郎は初めて他人に自らの言葉くちで女であると明かした。

 早雪さゆきうつろ秀頼ひでよりの様に相手に看破された故にしたのではなく、自ら進んでそれを明かした。

 斬ると決めた者や間も無く死ぬ者には同じ行為をしてきた事もあったが、未来これからも生きる人間に自らの言葉くちで真の性を明かしたのは初めてだった。

 儀間ぎま象山しょうざん寧破ねいは、三人の琉球闘士は三人共にその告白に驚きを隠せなかった。中でも寧破は、寧破自身が抱えていた事情からその驚きは他の二人よりも大きかった。


「まさか…お前ほどの力量うでを持った女がいるとは思わなんだ。象山しょうざん、お前はかつてこんな強い女闘士に出逢ったことがあるか?」


「無論ない。まるでマジムンに化かされておる心境きもちじゃ」


「だろうな。或いは数年待てばそんな女がかも知れんが…いや待て。ジン、よもやお前は俺達を謀ろうと…」


けい


「む!」


立花たちばなけいよろこびと書いてけい。故あって現在は立花たちばな慶一郎けいいちろうを名乗っていますが、けいこそが私の生来の名です」


 慶一郎は儀間の言葉を遮って名乗った。

 慶びと書いて慶。

 それは、甚五郎と千代ちよ、両親の想いが込められた一文字だった。


「そうか!けいか!あんたはけいって云うのか!ははは、けい!最高だよあんた!」


 その名を聞いた寧破が嬉しそうな声を出しながら慶一郎に抱きつき、そのまま力強く抱き締めた。

 抱擁の理由、それは慶一郎の性が女であると聞かされた時に儀間や象山よりも寧破が強く驚いていた理由と同一おなじだった。


(この感触にこの気配…そうか。寧破ねいは殿、あなたは……)


「やめんか寧破ねいは!客人にその様な真似をす…む!儀間ぎま?」


よ。暫く寧破ねいは自由すきにさせてやったらどうだ?」


 象山が寧破をたしなめようと立ち上がったその瞬間とき、象山の肩を儀間が掴みそれを制止した。

 この時、儀間は敢えて象山のことを親方うぇーかたと呼んだ。

 その理由は、象山が儀間と寧破と共に倭国へと渡る際にとして士族を抜け、同時に親方の号も返上したのにも拘わらず、寧破は常に象山を親方と呼び続けている事を思い出させると共に寧破自身の心情を意識させる為であった。


自由すきに、か。そうじゃな。幼少時から常に武の頂を目指してきた寧破ねいはにとってこの出逢いは何事にも代替かえられん至高の出逢い。放っておくとするかのう…」


「くく、象山しょうざんには弱いと見える。今度試合ためしあいでもしたらどうだ?その調子では恐らく負けるだろうがな」


「ぬかせ!闘争たたかいに私情は挟まん!ごふっ…ぐっ!」


「!!…象山しょうざん親方!無理をしてはなりません!怪我人であると自覚してください!」


 象山が血を吐くと寧破は慶一郎から離れて口を濯ぐ水と桶を持ってきた。


「掃除するのは俺なんだからあまり汚さないでください!酒も程々に!」


「ぬかせ!こんなの怪我のうちには入らんわ!三日で治る!ごばっ…ぬぐう!」


象山しょうざん親方!?」


 象山は吐血を繰り返しながら酒を呑み、寧破はそれを制止しつつ飛び散った血を水で濡らした手拭いで拭き取っていた。


「ジン…いやけい。それとも慶一郎けいいちろうと呼ぶべきか?」


 象山と寧破が押し問答している最中、儀間が慶一郎に話しかけた。

 姓は儀間ぎま。名は重慶じゅうけい

 烈士儀間ぎま重明じゅうめいの孫であり、奇しくも慶一郎と同じ慶の字を名に用いられているこの男は、現在の琉球闘士で随一の強者もののふであり、琉球一である。

 儀間は闘士として自由であるが故に戦よりも純粋な闘争たたかいを愛し、同時に娯楽あそびを愛した。

 そして、闘士としての矜持を忘れる事はないが故に娯楽あそびに負けたらそれを受け入れる潔さがあった。


「この場は自由すきに呼んでください」


「そうか。ならばけいと呼ぼう。けいよ、お前のその口調が本来の口調か?こう云うのも何だが、その口調でもまだ女とは思えんな」


「ふっ、それは誉めているのか貶しているのかどちらなのですか?何れにしてもこれが私の生様いきざまです」


「だろうな。…寧破ねいはもまた生様故に男の様に振る舞っているが、奴もお前と同じく女だ」


「その様ですね」


 抱擁時に既に寧破が女であると気がついていた慶一郎は唐突に明かされた事実に驚くこともなく受け入れた。


寧破ねいはは一途なやつだ。二十六歳にじゅうろくになるのに未だに力を追い求める。一度髪を剃り落としてからは伸ばそうともせん。…哀しいほどに一途な女だ」


「それで、あの髪型あたまなのですね」


「ああ。…けい寧破ねいはにとってお前が理想ゆめだ」


「………」


 理想ゆめ

 寧破は女でありながら圧倒的な武を体現する慶一郎の様になりたかった。しかし、幼少時から象山の指導を受けるも儀間や象山には一度も勝てず、他の男の闘士にも負ける方が多いという日々を過ごす中で迎えた十五歳の夏、寧破は自らが女である事実とそれ迄頑なに女である事を否定し続けた自分自身の限界を知った。

 寧破はその夏、初めて駆り出されると思って準備していた戦に置いていかれ、男達が戦場で生命いのちを懸けている最中に見知らぬ男の家を訪れていた。その理由は婚礼を挙げる為であり、相手は一度も実戦へと赴く事なく政治的な手腕で権力を得た士族の跡継ぎだった。

 だが、寧破はその婚礼の場で自らの髪を剃り落とすとそこから力付くで逃げ出し、そのまま姿を眩ませた。髪を剃ったところで寧破の生まれ持った性に対する周囲の認識が変わるわけではなかったが、自らの性を恨む様に無造作に剃り落とされた寧破の髪の毛には鮮血が混じり、その行為に対する寧破の想いが込められていた。そして、その行為に込められた寧破の無念を感じる事が出来た男は唯一人、儀間のみだった。

 儀間は戦から帰還したその日に寧破の行為を知り、その行為に秘められた真意を悟った。


「寧破はが故に強さを求め続けている。そしてその理由わけは…いや、もはや云っても詮の無い事だ」


 儀間は、自身の儀間一族と象山の一族の関わりが深いことから幼少時より寧破を知っており、寧破が自身の性におうのうしている事も、その原因りゆうも知っていた。しかし、原因を知りながらも儀間はその夏の日まで寧破の想いに気付かぬふりをしていた。それが寧破の為だと考えていたが故の儀間の不器用なやさしさの証だった。

 だが、戦から帰還した儀間は寧破の件を知ると自身のやさしさが寧破の中にある男になりたいという願望をより強め、女である寧破を苦しめていたと知った。そして、儀間は婚礼以後琉球本島内を逃げ回っていた寧破を捜し出すと、寧破が女に生まれた証となる行為を行った。

 儀間は寧破を力付くで抱いた。

 女に生まれた事を恨む寧破を儀間は犯し、女である事実を示した。その上で儀間は「これでもお前は女ではないのか?」と訊いた。その問いに寧破は「女で何が悪い!?俺は男になりたいんだ!」と力強く答えた。破瓜はかの痛みや男に腕力で組伏せられた悔しさを圧し殺しながら精一杯強がり、あらゆる想いを込めて叫ぶように寧破は云った。その真っ直ぐな想いが儀間へ伝わった。

 力によって寧破を抱いた儀間はその翌日、寧破と共に婚礼相手の家へと行き、近い内に自身が寧破を連れて倭国へ渡る事を宣言すると直ぐにその準備を始めた。無論、寧破の両親及び婚礼の相手の一族はこれに反対したが、儀間の武に敵う者はなく、その申し入れは力によって通された。この時、力ではなく心によって儀間と寧破の倭国行きを受け入れたのは象山唯一人だった。

 象山は寧破の想いも儀間の想いも理解わかっていた。

 寧破の想い…寧破が男になりたいと願った原因りゆう、それは儀間だった。

 寧破は象山をも上回る儀間の強さに憧れ、儀間を慕い、儀間を愛していたが故に男になりたいと願った。

 闘争たたかいの中に生甲斐いきがいを感じ、自由を愛するが故に家庭を持たない儀間の近くにいたいが故に寧破は強さを求めて男になりたいと願ったのである。しかし、儀間は寧破の想いに気付きながらも女である以上は女の幸福しあわせを全うする事が寧破の宿命であると考え、それに気付かぬふりをして寧破を遠ざけた。

 儀間と寧破の人生みちは、寧破の婚礼によって完全に分かれる筈だった。

 だが、寧破が女の人生みちを拒むと儀間は寧破が女に生まれた証を示してその覚悟を問い、二人は互いにその答えを受け入れた。

 そして、二人はたった一夜だけ男女として過ごし、共に歩む新たな人生みちを求めて海を渡った。


儀間ぎま殿、あなたは…」


「…どうした?」


「いえ、何でもありません」


 慶一郎はある事を訊こうとしたが思い止まった。


『あなたは、真実ほんとうは寧破殿を女として愛していたのではないか?』


 寧破を視る儀間の視線に慶一郎はそう感じたが、それを言葉くちにはしなかった。

 それからすぐに象山と寧破が再び会話に加わり、四人は暫く語り合った。

 そして、陽が傾き始めた頃…


「……私はそろそろ戻ります」


「そうか。けい、お前にどんな事情があるかは知らん。だが、俺もお前も、そして寧破ねいは象山しょうざんもまた闘士。俺達がこの生き方を貫いていれば闘争たたかいの渦中でまた出会うだろう」


「そうですね。叶うならば味方として出会いたいものです」


「くく、俺は敵同士でも構わんが?」


けい、貴様は完全に儀間ぎま様に目を付けられたな」


「気に入られたと云ってやれ。そうじゃろう、儀間ぎま?」


「さあな。だが俺は強い者は嫌いじゃない。それはけいだけではない。寧破ねいは、お前の事もだ」


儀間ぎま様…」


「む!ワシはどうした?ワシも好きなのであろう?」


「くく、残念だが衰えた者に興味はない」


「なんじゃと!…ぐっ!」


「ふふふ。象山しょうざん殿、怪我をしている事を忘れてはなりませんよ。…ではお三方、いつかまた機会があればお会いしましょう」


 慶一郎はこの日、偶然の出逢いによって父である甚五郎の出生を知るに至った。

 そして、女として生をけ、男を愛しながらも男として生きる人生みちを選んだ寧破という女と出逢った。

 この日の出逢いは慶一郎に自身の人生みちを振り返らせるにあたうものだった。

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