第139話「尚陸」

 その日、光と闇が混じり合う黎明時の琉球の空に突如、轟音を放ちながら光輝く龍が天へと舞い上がった…

 それは、龍などではなく、明け方の雷による自然現象、そう結論付けるのが当然のことわりである。

 だが、或いはその現象は…

 凄絶な生様いきざまを繰り広げた末に死に逝く者の誕生を告げるだったのかも知れない。

 天に輝いた光が地を染め、くうを裂いた音が海を震わせた。

 そして、龍が舞い上がった東の空から陽が昇ると同時に一人の男が琉球で誕生した。

 その男は自らを隠し子と明言して密かに育てた者を実父と確信しんじ、その身に琉球王家の血が流れている事を知ることなく、宿命の子をのこして世を去った。

 男の名は…


「───あれは不思議な光景であった…あの日、ワシら四人は夜通し酒を喰らっていた。そして、もう間もなく子が生まれそうだと知らされてりょうの家へ向かう道中、それまでは雲一つ無かった東の空がにわかに淀み始め、まさしく子が生まれ様という瞬間に空が輝いた。朝陽を引き連れる様に雷轟が天を裂いたのだ。…この象山しょうざん、六十年以上生きておるがあの様な現象にまみえたのはあの瞬間ときのみじゃ。…ジンよ、ここまで話せばもう察しは付いておるな?」


「ああ…」


(そうか、父上は…)


 象山は慶一郎けいいちろうの眼を真っ直ぐ視ながら話を続けた。


 琉球王朝の根幹を揺るがし兼ねない第一尚氏の血を継ぐ者が誕生してから十日後───


 象山は諒と共に琉球本島の北端へと来ていた。

 その理由は倭国へと帰還する徳本と宗易を見送る為だった。


りょう殿、本当に来ないのですか?」


「…私は故郷この国を愛しています。先祖の眠る地があり、愛したあの人が眠る海もある。私だけが離れることは出来ません」


 宗易そうえきの言葉に諒はやさしく微笑みながら答えた。


「そうか…辛いでしょうな」


「心配はいりませんよ、宗易そうえき。例え離れていても地と天、そして人の心魂こころは常に繋がっています」


「海もな」


「ええ、象山しょうざん。その通りです。海もまた繋がっています。ですから私は辛くはありません」


「そうか…」


 悲しそうな表情かおをする宗易の腕には一人の赤子が抱かれていた。

 その赤子は、逃げ延びてから百年あまりの間ずっと女しか誕生しなかった第一尚氏の血を継ぐ唯一の男だった。

 男は宗易そうえきの隠し子として育てられ、幼少時より宗易の人脈つてで剣聖と称された者に剣術を学ぶと同時に稀代の暗殺術の使い手から多くの業を授かり、更には琉球を離れる時に母である諒が持たせた琉球王家にのみ伝わる秘技を記した武術書から琉球闘士の業を会得する。この時に諒が持たせた武術書は第一尚氏より第二尚氏に移り変わる以前に写本された物であり、原本は琉球王国の国庫に保管され、王を含めた一部の王族と極一部の闘士にのみその秘技は伝授されている。尚、この書に記された秘技を創造したのは琉球王国を開く以前の第一尚氏の一族である。

 剣聖を師とした正統な剣術に加え、世間に知られぬ暗殺術と琉球闘士の秘技を組み合わせた闘術を身に付けた男は、その唯一無二の極致かたちの武を頼りに凄絶な生様いきざまを示し、その中で武家の娘であり、自身と同じく宿命を抱いて生をけた女と出逢う。

 女の名は千代ちよ

 千代は武家にとって凶兆となる双子として生まれた為に姉妹二人で一人の人物とならなくては生きられなかったが、男は千代に絡まった宿命を断ち斬った。

 千代を宿命の渦中から救いだした男は千代と婚姻を結び、名を立花たちばな甚五郎じんごろうと改めた。

 宿命の子、立花たちばな慶一郎けいいちろうの義父である甚五郎こそがこの時に宗易に抱かれて海を渡った赤子であり、甚五郎もまた秘密を背負って誕生した宿命の子だった。


「あなたは強いな…女子おなごにしておくには勿体ない程に強い……」


宗易そうえき女子おなごとはいつでも…いえ、母となった女はいつでも強くなくてはならないのです。そうでなくては子が泣いてしまいます」


りょう、無理をするでない。母とて泣きたいときは泣けばよい。子と別れるのは辛くて当然だ」


 母とて泣きたいときは泣けばよい…

 この徳本の言葉が諒の心魂こころに風を吹かせた。

 それまでは無理に作った偽りの笑みを浮かべていた諒の表情かおは、晴れやかなまことの笑顔になった。


放浪斎ほうろうさい、ありがとう。私はもう大丈夫です。これは別れではなく、なのです。子の旅立ちは悲しいことではありません。私は笑ってこの子の門出を見送ります」


「うむ。よいかおだ」


「はい。実によい表情かおになりました。…ところで放浪斎ほうろうさいとは?」


「無論、わしのことだ」


 放浪斎…これは、数年前に諒が付けた徳本の号の一つである。

 史実に於いては知足斎の号が有名だが、徳本は幾つかの号を使用していたとされ、この放浪斎は放浪癖がある徳本にとっては云い得て妙な号である。


「しかし徳本とくほん殿。いかに徳本とくほん殿がどうどうしているとは云え、生まれたばかりの赤子に海を渡ることが可能なのですか?」


「ほ?何を今更…お主に頼んだ時に子を引き取って海を渡ると伝えたであろう?」


「生まれて十日の赤子とは聞いておりません。沖で大きな船に乗り換えるとはいえ赤子が海を渡るのはあまりにも…」


「大丈夫です」


 諒は赤子を連れて海を渡る行為の危険性を説く宗易の言葉を遮った。

 そして、海を見つめた後で赤子へと視線を移して話を続けた。


「この子の父は山間やまあいにある私達の集落で唯一の漁師の家に生まれたまこと海人うみんちゅでした。私が愛したあの人は…かい現在いまうみからこの子を見守っています」


「カイ?この子の父の名はカイと申すか?」


「ええ、うみと書いてかい。どうですか宗易そうえき。この子が海で生命いのちを落とすはずがないと思いませんか?…りく、あなたもそう思うでしょう?」


 諒が語りかけると赤子は微笑みに似たやわらかな表情を見せた。

 しょうりく

 これこそが立花甚五郎の生来の名である。


「嵐が来そうだ…宗易そうえき、そろそろ行くぞ。沖まではこの手漕ぎ舟で行かなくてはならんのだ。海が荒れては骨が折れる」


徳本とくほん殿、暫しお待ちください。…りょう殿、別れの前にもう一度この子を抱いてやってくれぬか?迷意まよいを抱くかも知れぬからと昨日からずっと抱いておらぬではないか」


「…では、最期にもう一度だけ……」


 そう云うと諒は陸を抱いた。その諒の姿はまさしく子を愛する母そのものであった。

 母である諒にとって子の陸と別れるのが辛くない筈がなかった。

 だが、諒は自らの子の未来これからを想って陸を倭国へ送る事を決断した。


りょう殿?さい…」


宗易そうえき、何も云うな」


 諒が云ったという言葉に対し、宗易は「今は離れ離れになろうと何れ時が経てば再び会う事も不可能ではない。決して今生の別れではない」と云おうとしたが徳本がそれを制止した。宗易は自身の言葉を遮った徳本の悲しげな眼を見て諒が最期と云った原因りゆうを理解した。


 諒の生命いのちはあと僅かで尽きる…


 宗易はそれを悟った。

 諒は自身がまだ子を宿した事実を知る以前に直感的に自身が子を宿す事を感じ取り、同時に自身の死期が近いことを悟った。そして、この旅立ちの日より凡そ十月とつき前に重明と徳本が同時に集落を訪れた際、一年以内に子が生まれると宣言した上でやがて生まれくる子を倭国へと連れていって欲しいと提案した。

 重明と徳本はその提案を受け入れ、子が生まれた時には必ず実行すると約束した。

 その約束の日は、諒が予感した通りに早々に訪れた。


「………宗易そうえき、私とあなたは先日初めて逢いましたが、あなたにならばこの子を託せます。どうか自由に…」


 


 諒は陸を抱きながらそう云ったつもりだが、その声は最後まで発せられず、それを聞き取れた者はいなかった。

 そして、諒は最後に陸の耳許みみもとで何かを囁くと、宗易の腕の中へ陸をいたかせた。

 生まれてから十日という短い期間しか共に過ごせなかった我が子を抱きながら、生まれてくる前に我が子と過ごした日々を想った諒は…


『生まれてきてくれてありがとう。父と母はいつでもあなたを想っています』


 諒は陸へそう囁いた。

 それは、感謝の言葉であり、愛を伝える言葉であった。

 まだ言葉を理解する事の出来ない陸へ父母の想いが伝わる様に願いながら囁いた。


 こうして陸は倭国へと渡り、宗易の隠し子となった。

 宗易が陸を正式な義子でなく隠し子としたのは、宗易自身が商家生まれの茶人であった事に起因している。

 宗易は陸を敢えて隠し子とした上でおおやけには身分不詳の人物とし、時が来たら自身が結んだ織田おだ信長のぶながを始めとした各地の戦国大名との人脈つてによって正式な武家として取り立てて貰おうと考えていた。

 だが、時が来た際に当の陸に武家となる気がなく、本来は存在していてはならぬ隠し子という宿命たちばを選択した上で名も無き小姓としてに仕えた。

 陸は信長と初めて逢った際、信長から「名無しでも構わぬが、呼名こめいが無くては俺が不便であろう」と云われ、仮名文字のリクという名を書き留めて信長に伝え、それ以後、何らかの機会に署名をする際はリクの名を用いる事となるが、宗易が千利休せんのりきゅうを名乗り始めた頃からリクも同音異字の千利久せんのりきゅうを名乗り、最終的に立花甚五郎となる。

 琉球王家の血を継いだ尚陸という男が運命の巡り合わせを経て立花甚五郎となり、同じく血の宿命を背負って生まれた立花慶一郎を育て、そして死んだ。

 慶一郎が甚五郎に剣を学んでいた事で象山の放った琉球王家の秘技を打ち破り、それによって甚五郎自身も知り得なかった甚五郎の正式な出生がここに明らかになった。

 それは、甚五郎と慶一郎の剣が紡いだ運命と宿命の邂逅がもたらした真実だった。

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