第137話「琉球王国開祖の血筋」

「…来たか。久しいのう、重明じゅうめい


徳本とくほんよ、よく来てくれた。奴士ヌシの隣にいる者はもしや…」


 戸を潜った先には徳本の他にもう一人の男いた。重明は自らや徳本とさして変わらぬ年齢に見える初対面のその男がここにいる理由に心当たりがあった。


「うむ。この者はわしの弟分の與四郎よしろうじゃ。はこの者に託そうと思う。前にも云ったがわしは一つの所に留まって居られん性質たちでな、引き受けたくても引き受けられん。だが與四郎よしろうは違う。じっと腰を据えて生きられる男だ」


徳本とくほん殿、現在いまの私は與四郎よしろうではなく宗易そうえきです。いい加減覚えてくだされ。…それはさておき、そちらのあなたは儀間ぎま重明じゅうめい殿とお見受けする。私は田中たなか宗易そうえき宗易そうえきとお呼びください。あなたと徳本とくほん殿がこの地で交わした約束について、相手方の仔細は聞いておりませぬが、徳本とくほん殿の代わりに私がお引き受けするという前提でここへ参りました。是非、あなた自身の眼で、いや…あなたの心魂こころで私に任せられるか否か、その判断をしてください」


 徳本による紹介を訂正しながら重明に挨拶を行ったこの男の姓名なまえは田中與四郎。号を宗易といった。

 ごうとは、僧や文人が用いた通名を指す言葉であり、武士でいうところの輩行名に近いものである。また、商人や職人などにも号を用いる者が多くおり、生涯で何度も号を改める者もいた。

 琉球王国に於いての親方うぇーかたも号であるが、親方は優れた功績を上げた者が王より賜る正式な称号であり、通名として自称する号とは扱いが全く異なる。この親方という称号が広く用いられ始めたのは琉球王国に於ける階位制度の改革が進められた十七世紀初頭と云われており、重明及びその後継者の岩嵜がんき、岩嵜の後継者となる象山、この三人は制度改革前の段階で親方の称号を賜った先駆者である。


宗易そうえきか…」


「………」


 重明は宗易を視た。宗易もまた重明を視た。

 鋭く重い重明の視線に対し、宗易は全く怯むことなく、交錯したその視線を逸らさなかった。

 現在は宗易を名乗っているこの男は商人の身分に生まれ、十代の中頃までは與四郎という幼名を名乗り続けたが、茶人に弟子入りして以降は宗易の号を名乗り始めた。そして更に、この時から凡そ二十年後、人生の晩年になって宗易という号を改める。

 改号の原因りゆうは、茶人として確固たる地位を確立していた宗易が招かれた茶会に帝が参加していた事に起因する。

 当時の世では、帝、即ち天皇が参加する会合に町人は参加してはならないという規則があり、町人が帝に謁見する折には居士こじ号と呼ばれる号をたまわる事が通例となっていた。

 その為、宗易は時の天皇である正親町おおぎまち天皇より利休りきゅう居士という号を賜り、その後は利休と名乗る。

 また、宗易という男は利休という号を賜る以前に田中という姓も改めており、改めた後の姓は千であった。即ち、重明の前にいるこの男は後の千利休せんのりきゅうである。

 田中たなか與四郎よしろう田中たなか宗易そうえき千宗易せんのそうえき、そして、千利休せんのりきゅう

 これらは全て同一人物を指す名である。


「…気に入ったァっ!!」


「む!士父よ、急にどうした?」


 突然大声を発した重明は宗易に近寄ると肩を掴み、真っ直ぐ眼を視ながら口を開いた。


「その眼、そのすがた、実によい!気に入ったぞ!宗易そうえきとやら、奴士に琉球の秘密を託す!いや、御奴士オヌシに琉球の平和を託す!」


「あの士父シフが御奴士と呼ぶだと…!?奴士らは一体何者だ?いやそれよりも琉球の秘密とは何だ?」


 象山は重明が敬称扱いである御奴士という言葉を用いた事に衝撃を受けた。

 一騎当千にして古今無双の烈士と称される重明は、自国の王である琉球王に対しても、琉球の冊封さくほう国、即ち、国としての主である明の皇帝に対しても敬称を用いた事はなく、例え死すとも武の心魂こころを曲げず、という信念を以て言葉を選択し、武を示すことでその言葉遣いを相手を認めさせてきた。

 その重明が宗易を御奴士と呼んだ。

 武人の礼儀という意味を持つを以て敬称を拒み、信念で人と接してきた重明の五十年あまりの生涯、その生涯で初めて敬称を用いた瞬間であった。


象山しょうざんよ、よく聞け。この集落と琉球王に関わる秘密を聞かせてやる───」


 そう云うと重明は順を追って説明した。

 全ての発端は徳本の生家である永田家に保管されていた書である。その書には琉球王国の開祖である第一尚氏に纏わる秘密が記されており、この世にたった一冊のみが存在しているその書は代々朝廷に仕える暗殺者として生きてきた徳本の一族が密かに保管し、琉球王ですらもその存在を知らない物だった。その秘密を知った重明はこの集落を自らの管理下に置き、他者から干渉出来ない様にした。

 重明は事の経緯いきさつの全てを語り、徳本はその書を見せることで証を示した。


「この書に記された事がまことなら王家には絶対に知られてはならんな…だが、なぜ倭人がかつての琉球にいる?」


 全てを聞き、書を読んだ象山は徳本に問い掛けた。


「わしの家は代々朝廷に…倭国の朝廷に仕えておるが、その朝廷とわしの家は主従関係ではない。時には他者に雇われて海を渡ることもある。斯く云うわしも現在いまは朝廷に仕えると同時にとある武家にも雇われておる。あくまでも客人扱いではあるがな。…それを考慮かんがえればわしの先祖がかつての琉球王族に雇われていたとしても異常おかしくはない」


 とある武家とは、信玄しんげんの法名で有名な武田たけだ晴信はるのぶが治める甲斐武田家である。

 徳本は医術を学んだ師が結んだ縁によってを条件に晴信の侍医じいを務めていた。そして、その縁は晴信の死によって家督を継いだ勝頼かつよりの代まで続き、勝頼の侍医としても武田家に関わった。

 尚、史実に於いては徳本が放浪医として十六文先生と呼ばれる様になったのは武田家滅亡後とされているが、徳本の放浪癖はまだ晴信が生きているこの頃には既に現れていた。


「だが、この話はあまりにも荒唐無稽だ。たった一人の倭人が王族同士の争乱から王家の娘を連れて逃げ延び、この集落で子孫が誕生したなど…」


「王はその書の真偽など問わん。王座を継ぐ者は異常なほどに畏怖おそれる。象山しょうざん、奴士も王族なれば血の持つ意味くらい理解わかるであろう?」


 重明の問い掛けに象山は何も答えなかったが、王族でありながら闘士の道を選んだ象山自身の存在こそがその結論こたえだった。


「…王族は血の濃さで身分が変わる。即ち、のだ。そして、王族の血は争乱を生み、争乱は虐殺を生む。故に我士はこの事を知った時に親方を辞した。この秘密を守り、全ての琉球の民を等しくまもる為に我士は王と距離を置いたのだ。王に仕えていては血の重みに逆らえんからな」


 それは琉球王国開祖の血。即ち、第一尚氏の血。

 現在の王族の第二尚氏、その祖は金丸かなまるという人物である。金丸は政治的反乱クーデターで第一尚氏を廃した後に即位し、しょうえんという名に改名して琉球王の座についた。

 金丸は王座についた時に尚氏の姓を継いだが、当然の如く第一尚氏の血は継いでいない。即ち、金丸を祖とする第二尚氏の王族は琉球王国開祖の一族の血統ではない。

 これは、考え方によっては第二尚氏はではないと主張する者が現れてもおかしくないきずと云えた。その瑕を畏怖おそれた金丸は即位の際に第一尚氏の一族を虐殺し、血に関して異論を唱える者が現れることのない様に対策を打った。正式な記録として第一尚氏虐殺についての実情を詳細に記載した史書がない事がその虐殺の苛烈さを物語っており、金丸は第一尚氏の証である尚の姓を名乗る者達のことごとくを殺したとも云われている。

 尚を名乗る者をみなごろしにした上で尚円を名乗った金丸は、尚の姓を継いだ自らの一族こそが新たなる王族にして正統な王族であると印象付けた。

 こうして、延べ四百五十年に渡って続く琉球王国開祖である第一尚氏の血脈は途絶えたかに思えた。

 だが、琉球の戦国時代とも云える三山時代を終わらせ、一つの王国として琉球王国を開いた一族の血脈は、金丸とその子孫である第二尚氏の王族すらも知らぬところで密かに受け継がれていた。


「士父よ、民を想うのならばなぜこの書を焼いてしまわんのだ?この書が琉球に災いをもたらすと考えているならば処分すれば済むことだろう」


「無論、我士もそう考えた。だが、それは阻まれた」


「阻まれた?」


「うむ。そこにおる徳本とくほんによってな。象山しょうざんよ、この男のかおをよく覚えておけ。ここにおる徳本とくほんは一見すると凡人にも思えるがその実は我士と対等の力量うでを持つまこと強者もののふだ。何せこの我士が一対一の闘争たたかいに於いて勝ちを獲られなかった唯一の男だ」


「ふぁっふぁっふぁっ。わしが勝てなかったのも重明じゅうめい、お主のみよ。いずれ優劣を決めたい所だが、今更になってお主と死合しあうのも骨が折れる。わしらの武の優劣は長生きした者が優、先に死んだ者が劣、ということにしようではないか」


「うむ。それがいい。我士はしぶといぞ?」


「むはっ!闘士は殺死合ころしあいをする故に短命じゃ。わしの勝ちは目に見えておる」


 重明と徳本の出逢いは死合しあいだった。それも互いにそれ迄は体感した事のない死を間近に感じる程の死合。

 朝廷に仕え、武田家に雇われながらも放浪者として東西南北、北は蝦夷、南は薩摩まで津々浦々を旅していた徳本は、実父が死んだ際に引き継いだ一族の活動を記録した書によって導かれる様に琉球を訪れた。

 凡そ百年前の先祖が手助けし、密かに逃がしたとされる第一尚氏の子孫が暮らすというその集落へ行く為、徳本は単身で舟へ乗り込み琉球へと入国したのである。

 朝廷も倭国も一切関係なく、永田徳本という個人として入国した徳本は、当時の物見遊山での入国をよしとしない琉球王国にとっては謂わば密入国者であった。

 そしてその日、偶々倭寇の討伐で琉球本島の北端へと遠征していた重明は、舟というには余りにも心許ない小舟で上陸した徳本と出逢い、許可のない入国を禁ずるという国の掟に基づいて徳本を殺そうとした。

 密入国者である徳本が当時まだ琉球王国に仕える親方だった重明と出逢った事でその死合の火蓋が切られたのである。

 互いに死力を尽くした殺死合ころしあいは一切の休息を取らない状態ままに長時間続き、武器えものが先に耐えられなくなり破壊された。しかし、重明と徳本は徒手或いはその辺にある蔓や木、砂や水すらも凶器に変えた。武器を無くした後の二人の死合はまさしく苛烈を極めた。

 砂が体を刺し、水が皮膚を撃ち、蔓が肉を抉り、木が骨を割った。そして、互いの体術が相手のいのちとうとした。

 その最中で一瞬だけ徳本が動きを止めた瞬間があった。それは、二人の死合に巻き込まれた野生動物が怪我を負って血を流した瞬間だった。たった一匹の野生動物が血を流した事で徳本はその動きを止め、明らかな隙を見せた。

 だが、重明はその隙を衝く事をせず、徒手だけでなくその場の全てを用いる死となった二人の死合はそこで終わった。

 その後、重明と徳本は互いを認め合い、徳本が琉球を訪れた理由わけを重明に明かすと、二人は共に集落へと訪れた。

 そして、集落へと訪れた二人はその書に記された内容が真実であると確信し、重明はその書を焼いてしまう事を提案したが徳本はそれを固辞した。

 その時の徳本の云い分は「この書は現在いまの琉球王国の平和維持を鑑みれば燃やすべきものであろう。だが同時にこの書は、わしの一族にとっても琉球にとっても重大な歴史の一部でもある。軽々けいけいに滅する事は出来ん。せめてわしが死に、永田家が絶えるまではその判断は待って貰おう」だった。

 対して重明は「やっと一つに纏まった琉球という国をまた分断させるわけにはいかん。その書は奴士が必ず守り抜け。集落ここは我士が守る」と応えた。

 その書には、徳本の先祖が第一尚氏の直系となる娘の死を偽装して密かに王朝の監視が行き届かない北方へ逃がした事の詳細が記されていると同時に、当時の琉球王にして第一尚氏最後の王であるしょうとくによる署名が為された書状が挟まれていた。

 その書状には…


ワガシンアイナルトモヨ

ムスメヲタノム


 というたった二行の言葉が、拙い仮名文字で記されていた。

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