第136話「北方の集落」

 儀間ぎま重明じゅうめい

 琉球闘士で初めて烈士と称された人物である。その武は比類無く、一度戦場へおもむけば徒手であっても百人以上をほふるとも云われ、その烈火の如き武は闘士の域を遥かに超越しているとして、烈士という名を王より与えられた。

 だが、重明はある日突然に士族の身分を抜けて一介の民となった。

 この重明こそが、しょうざんという生来の名から同音異字のしょうざんへと改めた二代目烈士の士父シフである。


「士父よ、こんな北方ほっぽうまで連れてきてなんのつもりだ?」


「理由は着いてから話す。奴士ヌシがここまで来るに足る理由を用意してあるつもりだ」


 象山は名を改めた直後に重明から「旅支度をしろ」と云われ、王家や士族が暮らす首里城付近にある家から遥か北方の集落へと向かっていた。正午しょうご前に家を発ってからの二人は日中殆ど休むことなく歩き続け、陽が暮れた後も一刻ずつに分けて二度、計二刻という休養時間を設けただけで一日の大半を歩く事に費やした。

 現代の様に舗装されていない隘路あいろを歩み、山河を越えながら一日辺り十里以上という長距離を歩んだ二人が目的地である集落へと辿り着いたのは、象山の家を発ってから三日目の夕方だった。

 首里城から実に二十里以上離れた琉球本島の北端付近に位置するその集落は、表向きは単なる琉球民族が暮らすだけの変哲のない集落だが、その集落を創った者は琉球王朝にも影響を及ぼし兼ねない重大な秘密を抱える者であり、重明は凡そ十月とつき前に一人の倭人と共にこの者の血を継ぐ人物とを交わし、その約束を果たす日が迫っているが故に弟子の象山を伴って遥々この集落へ来たのであった。


「烈士儀間ぎま親方うぇーかた、よく来てくださいました。あの御方も既にご到着しております」


 二人が着くなり集落を統治する族長が重明を迎えた。

 族長の云うあの御方とは重明と共に約束を交わした倭人である。


「族長、親方はやめてくだされ。我士ワシは既に士族を抜けておる。故に親方の号も有しておらん」


 烈士儀間親方。

 かつて琉球王国全土に名を轟かせ、全ての琉球人からそう呼ばれていた重明が、王族に次ぐ権力を有していながらもその座を呆気なく放棄したのは、象山がまだ二歳の頃だった。

 当時の重明は四十歳目前ながらも一切の衰えを知らず、少なくともあと十年はその地位をおびやかす者はないと云われていた。その能力ちからは武だけではなく、人心掌握にも長け、誰もが重明を慕い、琉球王でさえも重明に助言を求めることもあった。しかし、ある時に一人の倭人と出逢った重明は意気投合し、その倭人の生家に保管されていた書物を見せられた事でそこに記された琉球王朝の根幹を揺るがし兼ねない秘密を知り、親方の号を返上するに至った。

 偶然出逢った倭人によって知らされた琉球王朝に纏わる秘密、その重大さが重明を動かした。王に仕えるを抜け、王に仕えるとなり、士族という身分を抜けて権力の支配から脱却したのである。

 本来ならばそう易々と士族を抜ける事など叶わないが、重明の人望と功績がそのを通させた。

 兵として命令に従わなくてはならない立場ではなくなった重明だが、琉球王朝から距離を置きつつも生まれ育った祖国を捨てたわけではなく、士族ではない個人の闘士として常に琉球に留まり、侵略者達から琉球をまもる闘士として戦い続けた。

 そして、そんな生活を続けて二年程が経った頃に重明は幼い象山と出逢い、自らの弟子とした。

 重明と出逢った時、象山はある遊びを行っていた事で無自覚に武の才を示していた。その遊びとは、尾を木の棒などへ固定したハブの頭を指で弾くというものであった。

 常人であれば動き回るハブの頭を指で弾くなど不可能に近いが、僅か四歳にして象山はハブの動きを完全に見切っており、この遊びは幼い象山にとってまさしく児戯だった。


「士父の云う通りだ族長。遠慮なく儀間ぎま、或いは重明じゅうめいと呼んでやるといい。二十歳にじゅうを過ぎた娘がいる老士ろうしに気遣いなど無用だ。そうだろう、士父よ」


 重明には二十一歳になる娘がいた。

 その娘の子が後に生んだ子、即ち重明の曾孫。この曾孫こそが、凡そ五十年後の京都で慶一郎けいいちろう異合いあいを行う儀間ぎまである。

 尚、琉球王国に於いて親方という地位を賜った者は王家の姓である尚に次いで格式の高い向という姓を名乗ることが出来るが、重明は親方の地位を返上して士族を抜けた日より自身の生来の姓である儀間を名乗っている。


「老士?…象山しょうざん、喧嘩を売っとるのか?」


「そう感じたなら買えばいい。いつでも相手をしてくれる」


「ふっ…奴士が我士とやり合おうなど百年と四日早いわ」


「いや、士父こそ二年と六カ月早い。だが、どうしてもというなら…」


 象山のこの言葉の直後、二人は同時に「酒で勝負だ!」と云って大声で笑い合った。

 一見すると目上に対して無礼な態度を取っている様に思える象山だが、象山と重明は師弟でありながらも闘士としては対等の関係であり、特に戦場に於いては無二の戦友でもあった。この関係は重明が象山を弟子としたその日から、象山こそが自らを越える唯一の存在となる者と感じた重明が「弟子であれども闘士としては対等である」と教えたが故に築かれた二人だけの絆と云えた。

 それから二人は談笑しながら族長の案内で重明と同様に約束を果たしに来た倭人が待つ家へと向かった。

 その倭人は重明が親方を辞して士族を抜ける発端きっかけとなった書物を所持していた人物であり、重明にとって琉球王国と倭国という枠を超越こえた友であった。

 倭人の名は永田ながた徳本とくほん

 この永田徳本は、慶一郎と戦って創傷けがを負った信繁のぶしげの治療にたずさわっている医師の徳本と同一人物である。

 徳本は医学を追究する為に同じ亜細亜あじあに位置する琉球、朝鮮、明などへ渡り、土地に伝わる民間医学の調査を行っていた。しかし、そんな徳本には医聖いせいと称される医師としての顔とは異なるがあった。

 歴史には一切遺されていない徳本の裏の顔とは、武家の台頭により権力ちからを失いつつあった朝廷に仕える密偵であり、朝廷と関係の深い者にのみ伝えられた倭国古来の暗殺術の使い手という医師とは凡そ真逆の顔であった。


生命いのちを救うことに精通する者は、生命いのちを奪うことにも精通する』


 それが徳本の持論だった。

 表の顔は生を保つ手助けをする医師、裏の顔は死を与える暗殺者という生と死の両端を扱うことから表裏双方の顔を知る朝廷の者に徳本はこう称されていた。


 


 死の医師を意味するその異名はまさしく云い得て妙であり、代々伝わる暗殺術と医術を融合させた徳本独自のわざは木の枝すらも殺人に至る凶器へと変えた。

 これが、歴史上では奔放に旅をして民を助けたと伝えられる永田徳本の知られざる裏の顔である。

 表裏異なる顔を併せ持つ徳本は、生来の奔放さから密偵として従順ではなかったが、行く先々で医術を施すか或いは暗殺術を扱うことで各地の人間と独自の縁を結んでいた。

 だが、琉球王国の北方にあるこの集落へ縁を持つのは徳本自身ではなく、徳本の先祖によって結ばれた縁だった。

 徳本の生まれた永田家には、かつて永田家にいた者とこの集落を創った者、その縁を結ぶ証が残されていた。その証こそが琉球王朝に纏わる秘密を記した書物であり、その内容は現代では第一尚氏と呼ばれる初期の琉球王朝に関する内容であった。

 第一尚氏とは、十五世紀中頃に政治的反乱クーデターによって滅ぼされた琉球王朝の開祖に当たる一族であり、その一族を政治的反乱によって廃した者が王座についてから十九世紀後半まで続く琉球王朝の王族もまた尚の姓を用いている事から、政治的反乱以後の王朝を第二尚氏、それ以前は第一尚氏と区別されている。


「中でお待ちです。…では、私は失礼します」


「うむ。話が済んだらすぐに彼の者の家へ行くが、遅くなりそうであれば明日にする。そう伝えておいてくれ」


 重明は案内を終えた族長にそう声を掛けるとゆっくりと戸を開いて中へ入った。

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