第135話「琉球」

「その状態で話せるのか?」


 慶一郎けいいちろうのこの問いに象山しょうざんは笑顔を見せる事で応えた。

 儀間ぎまとの異合いあいのち、慶一郎は二本目の勝負を行おうとしたが、儀間がそれを拒んで自分達の負けを認めると寧破もそれに従い、慶一郎と琉球闘士の戦闘たたかいはそこで終わった。当初予定していた九本勝負の内の二本のみで慶一郎の勝ちが決まるというその結末に口を挟める者はなく、程なくして野次馬も姿を消した。

 野次馬達が引き上げた後で約束の金を受け取った慶一郎は象山の話を聞くために三人が寝泊まりしている宿へどうどうした。


「ジンよ、お前は酒は呑めるか?」


「ああ」


「そうか。これは俺達の琉球そこくの酒だ。倭人わじんの作る酒とは多少味は違うが呑んでくれ。優れた闘士は他者よりも多く喰い、他者よりも多く呑むことが許されている。こっちでこの酒を入手するのは難しいが、お前ならば全て呑んでも構わん」


 慶一郎は酒坏さかづきを手渡す儀間の言葉に頷きながら「ならば少しだけ貰おう」と答えた。儀間の手で注がれた琉球の酒を呑んだ慶一郎はその酒にいつもよりも濃い酒の味を感じた。それは単に味が異なるからではなく、儀間達と出逢って立合たちあったことによる影響が大きかった。

 儀間達だけではない。様々な人と出逢って重ねた経験によって慶一郎は酒に血の味を感じなくなっていた。


「ジン、この瞬間を忘れるな。我ら琉球闘士は格下には酒をがない。幼少より一度も負けたことのない儀間ぎま様にとって他人に酒を注ぐのは初めてなのだ」


寧破ねいは、余計な事を云うな。…では象山しょうざん、お前の話を聞かせよ」


「うむ。多少聞き苦しいかも知れぬが、ワシの知る限りを聞かせよう。ジン、この話はヌシにも関わるかも知れん。いや、あの業を扱える者を父として持つヌシには確実に関係している。ヌシは事実を知る覚悟はあるか?」


「無論だ。その為にここへ来た」


 慶一郎は真っ直ぐな眼で象山を視た。

 その眼差しに迷意まよいなど一切なく、ただ事実を受け入れるだけという気概と覚悟があった。


「よい眼だ。では聞かせよう。この話はワシがまだ若輩者だった頃の話だ…」


 象山は砕けている顎を庇う様に喉で声を出して語り始めた。


 約五十年前、琉球王国───


向山しょうざん向山しょうざんよ!どこにおる!」


 二尺程の髭を蓄えた長髪の老夫が床を踏み鳴らしながら叫んでいた。髪も髭も真っ白なその老夫の肉体は衣服を着ていてもわかる程に分厚い筋肉に包まれており、その声は生気に満ち溢れていて老夫というよりは若い男の様であった。


「…士父シフよ、何を慌てておる。少し落ち着くがよい。せっかくの陽気なのだ。士父も共に陽に身を捧げぬか?」


 そう云いながら一人の男が屋根の上から飛び降りてきた。一糸纏わぬ姿で白髪のを諭した男の肉体は見事に日焼けしており、この日も屋根の上で一物にのみ布切れを掛けて日光浴をしていたところであった。

 白髪の男はこの男にとっての士父、即ち闘士としての師でありながら人として父と慕う存在であり、二人は弟子と師匠にして、子と父の様な関係である。


向山しょうざん、そこにおったか。我士ワシに対して諭す様な物云いをするその図太さは相変わらずよの。…やはり奴士ヌシは尚家に生まれるべきであった」


「王になれぬは我士の宿命。王族でありながらの姓を名乗れんのも仕方がないこと。生まれに未練はない。大切なのはどう生まれるかではなくどう生きるか。そう教えてくれたのは士父であろう?」


「うむ。その言葉の真偽、未来これからの奴士の生様いきざまで示してみせい」


 我士、奴士、これらは闘士が用いる独特の言葉である。

 我士はじぶんを称する言葉であり、奴士とはあいてを称する言葉である。

 奴士という言葉のという文字には低い身分を表す意味もあり、相手を奴士と呼ぶ行為は自らを唯我独尊として天下無双の闘士を自称するという行為であったと云われている。

 力量うでに自信がない闘士は相手に対して奴士という言葉を使わず、奴士という言葉に御を付け、御奴士オヌシという言葉を用いて礼を尽くしていた。

 そして、しょうという姓は琉球王朝に於いて最高位の姓であり、王とその直系の王子にのみ名乗ることが許される姓である。その他の王族は尚と同一おなじ発音にして同一おなじ読み方をしながらも画を欠いている同音異字のという姓を名乗る。

 これは、王の直系の孫にも適用されるものであり、当然のことながら王の甥などの姓も尚ではなく向となる。


「とは云え、天とは時に勿体ない事をする。奴士には王器おうきがあるというに」


 王器とは、文字通り王の器である。

 向山の士父は師弟の贔屓ひいき目なしに常々そう思っていた。


「士父よ、そんな事を云って誰かに聞かれたら内乱の火種もとになり兼ねんぞ。我士には尚は愚か向の姓すらも必要ない。ただ闘争たたかいに身を置ければそれでよいのだ」


「…向山しょうざん、奴士はその若さで闘士としての在り方を悟った様だな。流石は八歳にして岩嵜がんきとの試合ためしあいに勝った天成てんせいの闘士だ。我士に次ぐ二代目烈士の名を賜わる日も近いだろう。我士を越える武を以て琉球闘士の武の象徴となってみせよ」


岩嵜がんき親方うぇーかたは士父と変わらぬ世代の闘士であの時既に五十歳ごじゅう近かった。流石の親方もお歳を召されて衰えていたのだろう。それよりも士父よ、武の象徴とは奇妙おもしろいな。我士はこれから象徴のしょうざん象山しょうざんと名乗ると決めたぞ!」


「む!…琉球にいる限りは向の姓を捨てる事は出来ぬが、通名としてならばそれもよいだろう。武の象徴にして武のいただきという名を意味する象山しょうざん。王族でありながら真の闘士として闘争たたかいの中に生きる事を望んだ奴士にはそれくらいの名が丁度よい」


 象山…本来の姓は尚、名は山。

 向山は琉球の王族として生をけながら一介の闘士としての人生みちを選び七歳の頃には既に戦場にいた。その男がこの日より象山を自称した。

 象山というその名は、王族の中でも末端となる家系に位置し、どれ程に優れていても単なる王族の一人として人生を終える宿命を背負った男が敢えて選択した武の道、闘士としての生様いきざまを表す通名であった。

 この二年後、象山は秘密裡ひみつりに大陸に出向き、略奪者から弱者をまもる義勇兵として戦い、武象山ぶしょうざんという二つ名と共に数々の伝説を大陸に残して四年後に琉球へと帰還する。その更に数年後には琉球闘士として正式に大陸へと渡り、琉球と親交があった明や朝鮮だけでなく、大陸の多くの国々に士として迎えられ、その間に参戦した戦での活躍ぶりを耳にした琉球王から闘士の中でも最高の武を持つ者に与えられる烈士の名を賜る。

 琉球闘士に於いて、烈士と称されたのは象山とその士父の二人のみである。

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