第134話「刹那の差」

 …せんて、さきて。さきんじる事。優位に立つ事。勝負事で先に攻撃を仕掛ける行為またはその側。

 物事にいて先手は総じて肝要であり、ほんの僅かにおくれる事がそのの大きな遅れに繋がる。

 先手を取る事、即ち先取する事は、動作、意識、戦略、情報など、如何なる事柄であろうと有利になる場合が殆どである。


 刹那に修羅を宿す羅刹の剣士慶一郎けいいちろうと音を置き去りにする程のはやさの抜剣術を繰り出す琉球闘士儀間ぎまによる異合いあい、その異合の先手を取ったのは儀間だった。

 儀間は自らと慶一郎との間合まあいの差を埋めるべく先に足を踏み出した。

 この踏み出した足こそがまさしく先手だった。

 慶一郎と儀間が互いに繰り出す業は当たれば必勝、外せば必負ひっぷの一撃である。即ち、後にも先にもその業を放つ以上は必ず相手に当てなくてはならない。そして、儀間が慶一郎よりも先に一撃を当てるには扱う武器えものの長さ故に生じた間合の差を埋めなくてはならず、自身よりも広い慶一郎の間合を踏み越えなくてはならなかった。儀間はそれを踏み越えた。自らの武に絶対的な自信を持つが故に先手の絶対条件となる間合の差を一気に詰めた。

 恐れ、怯え、惑い、一切の迷意まよいを捨て去って無を纏い、死地へと足を踏み出す様に慶一郎の間合を越えた。それにより慶一郎の業が放たれようが放たれまいがその如何を儀間は問わなかった。ほんの僅かでも躊躇いが混じればとなるが、自らの信念と武への矜持を抱いて踏み出した儀間のその足は先手となった。

 この決死の踏み出しによって慶一郎は儀間に先手を取られた。

 同じ動作の業を放つ以上、間合が長い慶一郎は先に業を繰り出さなくては先手を取ることが不可能だったが、儀間の踏み出しによって二人の業のが同時となったのである。

 同時に放たれた二人の業は互いに至高の武を体現し合っていた。業の質は正しく互角だった。速さ、重さ、正確さ、全てが同等であり、差違ちがい武器えものの長さのみだった。しかし、互角の二人には僅かな経験の差があった。

 この異合の結末に直結するその差、それは…


 


 死を現実として感じた事があるか否か。それが二人の強者もののふの差であった。

 慶一郎と儀間、二人の異合は刹那の中に決着した。

 互いに業を放ったその刹那、空気が震え、木がぜる様な音が辺りに響いた。

 次の瞬間、儀間は地に座し、慶一郎は儀間の前に立っていた。


「今の音はなんだ!?」


「なぜ座っているんだ!?」


「も、もう終わりなのか!?」


 状況を把握出来ていない見物人達がざわめき、誰ともなく問いただす様な言葉を発して二人の優劣、その結論こたえを求めた。

 見物人達は何が起きたのかを眼で視ることすら出来ず、気がついた時には状況が変化していた。それ程に二人が業を放つ動作は疾く、見物人達とは圧倒的な実力差を持つ寧破ねいはも例外ではなかった。

 その場にいた誰一人として二人の優劣を見極められていなかった。

 本人達を除いて…


「………」


「………」


 慶一郎も儀間も何も云わなかった。

 慶一郎はただ立ち、儀間はただ座していた。

 二人はただひたすらに互いに放った業と業による異合の結末を受け入れ、無言の状態ままに語り合っていた。

 武器えものを用いた刀合かたりあいは刹那に終えたが、その刹那に二人は永遠とも思える長い一瞬を過ごし、決着後もまだ二人はその永遠の中にいた。

 この瞬間、風が、空が、地が、全てが二人と共に無となっていた。

 そして、先に口を開いたのは先手を取った儀間であった。


「ジン、今のは狙ってやったのか?いや、愚問だな。偶然ではあり得ん」


「半分は偶然だ。貴様の比類なき武が偶然を生み、その偶然が俺にをさせた」


「それ、か。…まるで他人事だな。どちらにせよ、お前の為した芸当ことは俺が一生掛かっても出来んだろう。…完敗だな、ジン」


 負けを認めた儀間の右のてのひらには傷があり、手にしていた筈の木剣は柄が粉砕した状態で地に転がっていた。


両者対等ひきわけでいい。貴様が強いからこそ俺もそれに応えられた。貴様の業を凌駕する為に必死になった結果がだ。俺一人では為せなかった」


「そう、これが結果だ。俺達がやったあそびの結果はお前の勝ちだ。潔く認めろ。どんな事でも勝者がてこそ敗者が生まれる。俺は今日まで実戦と試合ためしあいを問わず幾千の闘争たたかいを行ってきたが負けたと思い知らされたのはこれが初めてだ。ジンよ、勝者ならば勝ちを誇れ。それでこそ敗者も負けを誇れる」


(負けを誇れる、か……)


 勝ちを認めぬ慶一郎勝者と負けを受け入れた儀間敗者

 儀間は生涯初の負けに対する矜持を忘れなかった。


 


 それは、負けた事実を濁さないこと。

 死合しあいであれば死を以て決着とするが、この場で行われた事は死合ではない。

 勝敗に対して一定の条件は決めていたものの、それよりも深い条件での決着を儀間は望んだ。心魂こころからの敗北を求めた。

 負けを認める事、それこそが生涯初の敗北を感じた儀間の矜持であった。


「……わかった。この勝負、俺の勝ちだ」


「そうだ。それでいい…」


 二人の異合は慶一郎が勝った。

 その顛末てんまつはこうだった。

 先手を取った儀間の抜剣術は的確に慶一郎の身に迫った。踏み出した足と共に全身が加速し、刀身とうしん一体いったいを為した最速の業が放たれた。

 それに対して慶一郎もまた刀身一体を為して抜刀術を放った。しかし、その刹那の瞬間に放たれた慶一郎の抜刀術は業としてのを変えていた。

 その原因りゆうは、慶一郎が感じ取った自らの死という現実だった。抜刀術を有りの侭に放った場合にどうなるか、その先に待つ結末が死であると慶一郎は感じ取った。無論、使用している武器が木製である為に実際には死をまぬかれる可能性が高いが、慶一郎は抜刀術を放つ瞬間に儀間の剣に確実たしかな死を感じた。


 斬られる……


 慶一郎は抜刀術を放つ刹那にそう感じた。

 その刹那、慶一郎はこれ迄に一度も放った事のないかたちの抜刀術を放った。

 自らの身に最短最速で迫る儀間の剣に対し、慶一郎は儀間の身を

 右足を踏み出した儀間に対して慶一郎は右足を退き、左足を前にしたその状態で儀間の右手に握られている木剣の柄尻を狙って柄による抜刀術を放った。

 次の刹那、二人が互いに手にした武器の柄と柄が衝突し、儀間の木剣の柄が砕け散ると共にその身体からだから弾かれた。

 木が爆ぜる様な音は儀間の木剣の柄が砕け散る音であり、互いの柄による衝突に慶一郎が打ち勝った証だった。

 儀間の抜剣術は刀身で慶一郎を斬る事を目的として加速中であったが、慶一郎の抜刀術は刀身で儀間の身を斬る為に加速させるのではなく、柄で柄を打つという一点にのみ全てを注いでいたが故に衝突時に明確な破壊力の差が生じた。

 抜刀術対抜剣術。

 右対右。

 同等の実力ちからである以上、同じ業を同じかたちで放つ対決であれば慶一郎は負けていた。

 だが、互いに同じ業を同じ様に放とうとしたその刹那に慶一郎は自身の負けを悟り、その為に業を変えた。

 刀身で相手を斬る抜刀術ではなく、柄尻を用いる抜刀術を放った結果、慶一郎は勝ち、儀間に生涯初の負けを認めさせた。


寧破ねいは!俺は負けたぞ!」


 この異合、先手を取ったのは儀間だった。

 だが、先手を制したのは慶一郎だった。

 儀間の抜剣術と慶一郎の抜刀術、そのどちらかにほんの僅かでも差違があったならば慶一郎の柄による抜刀術は未遂に終わっていた。

 二人の業が共に極めて正確であり、極めてひいでていた為に慶一郎がまさった。

 この結果は、ほんの僅かな偶然と経験の差がもたらした結果であり、その差は刹那の中にあった。負けた者は死ぬという必然を刹那に感じられるか否か、現実として死に直面した経験があるか、ただそれだけの差であり、これ迄に一度も苦戦した経験すらない圧倒的な武を持つ儀間には超越こえることの出来ない差であった。

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