第127話「真と偽」

 うしおは極秘任務で明国に行っている。

 喜助きすけいた嘘に一番驚いたのは早雪さゆきだった。それは、あまりにも荒唐無稽であり、あまりにも無責任な発言に思えた。


喜助きすけ貴様…!!」


「…早雪さゆきねえさま、どうしたの?眼が怖いよ」


(この子は…!?)


 自身の意図していないその発言に怒りにも似た感情を抱きいた早雪は思わず喜助を睨み、その早雪の眼を視た早百合が心配そうに云った。

 慶一郎はその瞬間の反応から早百合の心情を敏感に感じ取っていた。

 発言した喜助もそれに反応した早雪も気がつなかったが、喜助が発言したその瞬間に早百合はそれを自身で受け止めるよりも先に早雪を視ていた。その眼差しには早雪を想う早百合のやさしさが込められていた。

 早百合が誰よりも慕う潮が明国へ行ったという話を聞いたのであれば、通常ならばその真偽を確かめるのが当然である。即ち、喜助へその話をしたという早雪に真偽を問う。

 だが、早百合は確かに早雪を視たものの、その視線は真偽を確かめる為に送られたのではなく、喜助の言葉が放たれた瞬間の早雪の眼の鋭さを心配した思い遣りが故であり、早百合は即座にそれを言葉として早雪に送った。

 この一連の早百合の反応から慶一郎はある結論こたえを導き出していた。


「え?あ…ああ、心配するな早百合さゆりうしおさんの事は秘密だと云ったのにこの男が軽々けいけいと明かすから少し呆れてしまっただけだ」


「そっかあ、よかった!……それにしてもナイショの仕事でミンコクかあ…ミンコクって遠いんでしょ?」


「まあな。こっから明国まではかなりの距離があるな。行くだけでひ…三月みつきくらいは掛かるんじゃねえかな?」


「そんなに遠いの!!?…じゃあまだうしおちゃんはまだミンコクには着いてないの?」


「今頃は海の上だろうな。一面海に囲まれて空でも見上げてんじゃねえかな?」


「へー、一面海かあ…」


「ああ。海を渡って山を越えて、そうして明国に着いたらナイショの仕事をやらなきゃなんねえから、帰ってくるのは何年も先になるかもな」


 喜助は尚も自身を避難する様な反応を示している早雪を他所にして早百合との会話を続けた。


「そっかあ……うしおちゃんはそれまでずっとひとりでさみしくない?」


うしおさんは一人だけど孤独ひとりじゃないからさみしくねえと思うぜ」


「ひとりなのにひとりじゃないの?」


「ああ。いいか早百合さゆりうしおさんは遠くに居てもいつでもお前やここにいる他の皆と繋がり合えるから孤独ひとりじゃねえし、さみしくねえんだよ。…早百合さゆり、ちょっと一緒に来い」


「???」


 喜助が早百合の手をとって外へ出ると後を追う様にして慶一郎も早雪もそれに続いた。

 この時、早百合の口調や態度からは強がりや自尊心によって飾られた尊大さも早雪を尊敬するが故のつくろい言葉も全て消え去り、早百合自身の言葉と態度が有りの侭に出ていた。


早百合さゆり、俺が今からうしおさんが一人でもさみしくねえ理由を教えてやる。いや、さみしい時でもさみしくなくなる方法を教えてやるからよく聞けよ?もしもさみしい時にはな…こうするんだ!」


 喜助は地面へ背を着けて寝転がった。


「こうやってそらを視ろ!地に触れろ!…そして瞼を閉じるんだ。そうすればいつでもどこでもだれかと繋がれるんだぜ?ほら、お前もやってみろ」


「………」


 早百合は瞼を閉じた状態ままで自身に呼び掛ける喜助に促され、同じ様に寝転がると地と触れ合い、そらを視た。そして、その後でゆっくりと瞼を閉じた。

 喜助と早百合の二人は土に汚れる事も気にせず、背にした土の感触とぬくもりに地の広大さを感じ、全身を貫かんとする程に降り注ぐ陽光ようこうてんの力強さを感じ、閉じた瞼の裏に映る薄闇うすやみの中に自身と繋がる人の心魂こころを感じた。


「……喜助きすけちゃん…不思議だよ…の中にうしおちゃんがいる…ううん、うしおちゃんだけじゃなくてがいる……」


「おう。てんの間に俺達はいるんだ。俺達人間はみんな天と地に包まれている。でもみんなそれを忘れちまってるんだ。だからそれを忘れちまった時にはこうやって寝転がってそらを見上げるんだ。昼でも夜でも山の上でも谷の底でもどこだって構わねえ。こうやって寝転がって瞼を閉じるとな、自分自身が天と地の間にいて、同じ様にだれかがそこにいるって事を思い出せるんだ。単独ひとりでも天と地と人がいつもそこにあるって気づけるんだ」


 天と地と人、即ち天地人てんちじん

 天地人とは、天と地と人によって世の万物を表す言葉とされていると共に、天運と地運と人運を兼ね備えた者こそが唯一無二の存在という意味もある。しかし、喜助にとっての天地人はそうではない。

 天と地がり、その間に人がる。即ち天地としている。

 人間である事は天と地に包まれているという事であり、人間は皆が同じ様にして天地と共に存在しているという事である。

 喜助はそれを早百合へ伝えたかった。早百合にそれを感じて欲しかった。

 そして、早百合はそれを感じた。喜助の想いは確かに早百合へと伝わっていた。


「…喜助きすけちゃん?」


「どうした?」


「ありがと…アタシ、がんばるよ。もう逃げない。スリや物盗りもしない。この村でアタシが出来る事をがんばる」


「そうか。頑張れよ。きっとうしおさんもこの天と地の間にあるどっかで見守ってくれてるからな」


「うん…」


 天と地と人のやさしさが喜助と早百合を包んでいた。


「…早雪さゆき殿、少々よろしいですか?」


 不意に慶一郎が耳打ちし、自身と共に何も云わずに喜助と早百合による行為を静観していた早雪とその場を離れた。


慶一郎けいいちろう殿、どうかしましたか?」


「…早百合さゆり殿は既にうしお殿の死に気がついています」


「!!!」


うしお殿から事前に何かを云われていたのか、それとも早百合さゆり殿自身が何かを感じ取ったのか、その理由は定かではありませんが間違いないと思います」


「そんな…では早百合さゆりは何もわかっていない素振りを?どうして…」


「恐らく、ここにいる大人達に不安を与えない為です。そして自身よりも歳下の子達にうしお殿の死を悟らせない為でしょう。それ故にうしお殿から連絡が途切れた原因に心当たりがない素振りをしながらそれを心配している様に演じている。真実ほんとうはその結論こたえうしお殿の死であるを悟り、自分自身は既に死を受け入れながらも何も理解わからない子供の様に振る舞っているのです」


 慶一郎のこの読みは的中していた。早百合は既に潮の死をいたのである。

 だが、早百合はそれを周囲の人間に隠しながら自身は何も気がついていない様に振る舞いながらこの一月あまりの間、早百合は自身の想いを貫く為に度々しあわせ村の外へ出てりや物盗りを行っていた。

 早百合は掏りや物盗りによって得た物を食料や衣類へ交換して村へと戻り、それを潮からの支援物資として皆に与えていたのである。その数は六度。

 潮が生きていた頃には多くても月に三度の支援物資が届く事は非常に稀だった。支援物資は基本的に月に一度纏めて届くか、或いは村で作っている米や野菜などが不作の年には月に二度届く事もあった。しかし、月に三度の支援物資が届いたのは飢饉の影響で倖村の住人が一時的に増大した期間のみであった。

 だが、この一月余で早百合は六度の支援物資を村に持ってきた。一度に運ばれる量はそれ迄よりも格段に少なくなったが頻度は明らかに増えていた。

 これは村の誰よりも早くそれを知った早百合が潮の死を他の者に悟らせない為におこなった過剰な対応であったが、村の大人達も子供達も支援物資が届く度に潮に感謝した。しかし、村に住む大人達はその異常に既に気がついていた。

 支援物資の量と頻度の変化、物資を届けるのがそれ迄とは異なり早百合であるという事、それらの異常に気がつきながらも大人達は早百合の健気さに心魂を打たれて異常に気がついていない様に振る舞った。大人達は潮の支援が途切れた事に気がつきながらも騙されたふりをしていたのだった。

 一部の大人は異常を感じた時点で早百合が物資を調達する際に怪我を負う危険性を考えてその行為を止めさせようとした。しかし、早百合が物資を持ってきた時に村人に見せた笑顔がそれを阻んだ。

 昼の太陽の様に眩しく、夜の月の様に明るい早百合の笑顔に対して大人は何も言えず、ただ早百合のく嘘を真実として受け入れた。


「ですが慶一郎けいいちろう殿!それではあまりにも…あまりにも……」


 早雪はその続きを言葉くちにする事が出来なかった。

 あまりにも

 その一言を言葉くちにする事が出来なかった。

 それは早百合本人が一番辛い想いを抱いていると理解わかっているからこそだった。


早雪さゆきねえさま、けいちゃん、いつまでナイショ話してんの?二人もこっちに来て寝転がってみなよ!不思議な気持ちになれるから!」


「…早雪さゆき殿、どうします?」


 重苦しい雰囲気を破る早百合の誘いに慶一郎は手振りで応えながら早雪へ訊いた。

 その問いは、早百合の誘いに対する答えを求める問いではなかった。


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