第126話「再会」

 慶一郎けいいちろうしあわせ村の村長はうしおであると断定し、早百合さゆりに対して潮が既にこの世にいない事を告げようとしたその時、その言葉は突如発せられた女の声に阻まれた。


「───という事です。何の連絡もなしに大坂へ来るという決断をしてしまい、申し訳ありません」


「それは構いません。一月ひとつき後に私と京で落ち合い互いの近況を伝える約束でしたからそれに間に合えば江戸に行かずとも父も了承してくれるでしょう。いえ、むしろこの時期に秀頼ひでより様の決断を促してくれた事は江戸へ行って徳川の世を見て回る事よりも得た物が大きいと喜ぶと思います。ですが慶一郎けいいちろう殿がまさかこの村に行き着くとは……」


成行なりゆきですよ、早雪さゆき殿。ですが、あなたがここにいるという事は…」


「はい。ここはうしおさんが創った村です」


 慶一郎の言葉を遮ったのは早雪だった。

 思わぬ場所での再会に喜助きすけを含めた三人全員が驚いたが、その反応から三人が知己である事を感じ取った早百合は気を利かせて三人を村長の家、即ちこの村での潮の家に入る様に促して自身は一度その場を離れて三人だけで会話をする時間を与えた。


「やっぱそうか…ちっ!俺が余計な事を云っちまったからぬか喜びさせちまったな」


「…喜助きすけ、お前の責任せいじゃない。私が早々にうしおさんの死を報せに訪れていればよかったのだ……」


「二人共、過ぎた時を悔やんでも仕方ありませんよ。問題は未来これからの為にどうするかです。…早雪さゆき殿、その判断はうしおさんと一番身近なあなたに委ねます。それでいいですね?」


「……はい。私はそれを伝える為にここへ来たのですから…」


(既に結論こたえは決めている、か……)


 慶一郎のに早雪は即座に答えた。

 判断を委ねる。

 それは即ち、自身なら真実を明かすが早雪ならどうするのかと訊いていたのである。

 伝える為に来た。

 早雪の結論こたえはここへ来る前から既に決まっていた。


「……問題を悪化させておいて勝手な物云いかも知れねえが、無理に伝えるこたねえんじゃねえか?」


「なに?喜助きすけ、お前は偽りを述べてうしおさんの死を誤魔化せというのか?そんな姑息な手段を用いても真実がる限りは何れ明かされるのだぞ。何れ明かされる事実を隠して何の意味がある」


「隠せなんて云ってねえだろ。真実を受け入れられるまで少しだけ待てって云ってんだよ」


「だからそれに何の意味がある!?誤魔化して待たせればここの者達が自然とうしおさんの死を受け入れると云うのか!?」


「そう熱くなるなよ早雪さゆき。お前も早百合さゆりのさっきの反応を見たろ?お前が来た時のあの嬉しそうな顔をよ…ありゃあうしおさんから連絡が来たって喜んでいる表情かおだぜ?よほど心配してたんだろうな」


「当たり前だ!早百合さゆりはここへ来た孤児は十歳までに養子に行くという慣例を拒んでここに残った程にうしおさんを慕っているのだ!うしおさんの見つけた受け入れ先の養子になれば何一つ不自由なく真っ当な暮らしが出来た筈なのにここに残ったのだ!不自由のない暮らしを捨ててまで最低限の物資で自給自足しなくてはならないこの村に留まっている早百合さゆり心境きもちが貴様にわかるのか!?答えろ喜助きすけ!」


「……わかるよ…」


 喜助はそれ迄はずっと合わせ続けていた早雪の視線から目を逸らし、俯いた状態で静かに呟く様にそう云った。


「なにっ!?貴様!早百合さゆりの事を知らぬくせにぬけぬけと!」


「ああ…確かに今日会ったばかりの早百合さゆりの事は知らねえが、早百合さゆりと似た立場の人間の心境きもちいてえ程にわかる」


「何故わかるというのだ!」


「…俺が早百合さゆり同一おなじだからだ」


「!!!」


 喜助は顔を上げて再び早雪の眼を見つめて云った。

 早百合と同じ…

 それは、赤子の時にうつろに拾われて育った喜助がこの年齢になる迄ずっと空の下を離れなかった理由を表していた。

 その理由とは…



 その一心から喜助はずっと空の傍を離れなかった。

 空が不在の間に里をまもり、里の子供達の面倒を見る。少し前迄の喜助にはその名目があったが、その更に前、喜助が空と旅をしていた十五年間の最後の数年は喜助はいつでも独り立ちする事が出来た。

 喜助はやや世間知らずでぶっきらぼうではあるものの、世間で生きる為の知恵があり、空譲りの武は余程の強者でなくては相手にもならない力量うでがある。尚且つ数少ない空の人脈つてで仕官先を斡旋する事も出来た。

 だが、喜助は頑なに空の下を離れず、空が米沢付近にて旅を終えて里を創作つくる決断をした際には空の心座こころざすものを共有し、空と共に里へ身を置いて生涯を終える覚悟を決めた。

 それでも喜助は里が襲撃されて子供達を拐かされ、その後に慶一郎達と出逢った事で空の下から巣立った。

 そんな喜助にとって早百合は、性別は違えど過去むかしの自分と同一おなじであると感じた。どんなに苦難であろうともという早百合の心境きもちが喜助にはわかった。


「そうか…いや、そうだったな。喜助きすけ、お前も早百合さゆりと同じ孤児みなしごなのだな。確かにお前なら早ゆ…」


「おジャマーっ!…じゃなかった。失礼致しますです。アタイ…じゃなくて。タクシのおもてなしをどうかお受けになって頂きたくございますです」


 早百合が畏まって部屋へと入ってきた。

 声も掛けずに襖を開け放った早百合の手元には、早百合自身の手で村にある井戸から汲んだ水が入った水差しと、同じく早百合自身の手で村の周辺から採ってきた木の実が乗せられた盆があった。

 慶一郎と喜助のみだった時の粗雑な言葉遣いと明らかに異なる早百合のあべこべな口調は、早雪がいる事を意識して丁寧語を心掛けようとしている証だった。

 早百合は潮と共に何度も倖村を訪れていた早雪を潮同様に慕っている。その理由は、倖村には十代半ばから三十代の者が殆どいない為だった。

 特に十代と二十代の女が倖村に長居した事がなく、身近にいる女は三十代後半から四十代以上の者ばかりであり、その倖村に暮らす早百合は、凡そ三年前から何度も村へ顔を出している早雪を一番身近にいて年齢が近いとして憧れに近い感情を抱き、早雪の前に立つ時には必ず、早雪が倖村に来た時の穏やかで凛々しい姿と丁寧な口調を真似ようと心掛けていた。尚、倖村に若者がいない理由は潮の打ち出した方針による影響である。

 潮は十歳未満の子供達が村へ住む事になった際には信頼の出来る引き取り先が見つかる迄は村に置き、その間に村に住む大人達から生きるすべと最低限の教養を身に付けさせる様にしていた。

 十代前半の者が村に来た場合はその生い立ちによって対応が異なるものの、基本的には潮の人脈つてで見つけた奉公先ですぐに住込すみこみで働ける様な環境を整えると同時に十歳未満の者と同様に引き取り先を探した。

 十代半ばから三十代の者もまた十代前半の者と同様に潮の人脈で見つけた奉公先や仕事先を斡旋する事で自立へのきっかけを与えた。

 そして、四十代から上の者達の場合は世の中の仕組みとして社会への復帰が儘ならない事が多い為、基本的には倖村で自給自足しながら永住するか、自立して生きられる術が見つかる迄は自由に住ませた。

 潮はこの倖村で老若男女を問わず幸福しあわせな人生へと道引みちびく事を理想としていた。それこそが倖村という名の由来でもあった。

 その理想は、真田家の忠臣として仕えていた頃から死ぬ迄の間ずっと変わらず、潮は死ぬ迄に得た私財のほぼ全てをこの倖村の為に使い、関ケ原終戦の折に真田一族のほぼ全てが蟄居ちっきょを命じられて真田家が実質的に解体されてろくが払われなくなった後には、蟄居先と外部との連絡役を務めながらその合間に人足働きや賞金稼ぎにも似た行為をしてこの村へ支援物資を送り続けていた。

 真田の関係者で倖村の存在を知る者は、潮自身の他には潮の遣いとして村を訪れていた潮直属の人物のみだった。信繁のぶしげに村の存在を明かせば気を遣わせると考えた潮は決してそれを明かさず、当然の如く早雪にも明かしていなかった。しかし、信繁の命令で慶一郎の行方を追い始めた後は常に早雪と行動を共にするというその状況から隠し通すのは困難となり、凡そ三年前に早雪へ村の存在を明かした後はこの村は信繁に対して潮と早雪が共有する秘密となっていた。

 だが、その潮は凡そ一月ひとつき前に死に、それと同時に信繁は大怪我を負って下半身不随となった。早雪は一刻も早い再起を目指す信繁を支える為に療養所として選んだ真田のかくれざとへ同行したものの、この倖村の事が気になり、信繁の事を隠郷にいる者に任せて単独ひとりでやって来たのだった。

 この日、早雪は倖村の住人に対し、隠郷にいる真田の関係者にもまだ明かされていない潮の死を明かしに来た。真田の関係者に潮の死を明かしていない理由は潮の死が真田の将兵達に与える影響を鑑みた信繁の判断だが、その理由の中にはそれを明かすを待つという策略が含まれていた。

 最良の機会とは即ち、それを明かす事で将兵の士気が高められる瞬間という意味であり、無二の友を失った信繁が大将としての立場に徹した苦肉の決断だった。

 この決断により、潮が死んだという事実は死際しにぎわにその場にいた信繁、慶一郎、早雪、喜助の四人と医者の永田ながた徳本とくほん、慶一郎達がそれを明かした義太夫ぎだゆう又兵衛またべえの七人のみとなっていた。尚、又兵衛は慶一郎と出逢ったあの山小屋でそれを明かされたのだが、その際に又兵衛は「うしおの野郎が死んだか。…信に生きて義に死んだ。美しく仕える者、仕美しのびとまで云われたやつらしい死様しにざまだな…」という言葉を静かに呟いただけだった。

 この又兵衛の態度は冷徹に思えるが、又兵衛にとってこの態度こそが潮に対する最大の敬意であり、根っからの戦人いくさにんである又兵衛にとって死は日常として受け入れるべきもので、死を迎えた者への弔いは涙や言葉ではなく行動で示すという又兵衛の信念の現れでもあった。


早雪さゆきねえさまもどうぞ!」


 早百合は水と木の実を客人である慶一郎と喜助に先に配り、その後で早雪にも配った。

 早雪を視る早百合の眼は、姉の様に慕う早雪と会えた喜びに加えて早雪ならば潮に関する何らかの情報を持っているという期待感が滲み出た輝きを放っていた。

 その眼を視た早雪は一瞬躊躇したが、意を決して口を開いた。


早百合さゆり、実は…」


「実はな早百合さゆり。俺も今ちょうど早雪さゆきから教えて貰った極秘…秘密の話なんだけどな、村長のうしおさんは誰にも内緒で明国みんこくへ仕事をしに行っているんだとよ。だから暫くは帰ってくる事は出来ねえらしい」


「えっ!?」


「な…!?」


 喜助は早雪が真実を明かそうとしたその言葉を遮り、早百合へ嘘をいた。

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