第147話「柳生兵庫助」
宗巌を
利厳は慶長から改元されたばかりの元和元年になってその剣の力量から尾張徳川家の武術指南役となるが、同じく柳生を出自とする宗矩の柳生家が既に江戸で徳川宗家へと仕えていた事から、尾張徳川家に仕える利厳の柳生家は尾張柳生家、宗矩の柳生家は江戸柳生家として其々は区別され、剣術に於いても本来は
また、利厳の
「
「く…それは……」
「参りましょう」
「け…ジン殿!それはなりません!」
早雪はその決断に思わず
だが、慶一郎は事も無げにそれを了承した。
「ただし、行くならば
「俺はジン殿だけでいいのだが……いや、わかった。二人とも着いてこい」
「…
「いいわけがないでしょう。…ですが、こうなってしまった以上は
耳打ちした慶一郎に対して早雪はやや不機嫌そうな態度で答えた。しかし、その不機嫌な態度は慶一郎を案ずるが故である。
この日、慶一郎は丸腰だった。 なるべく目立たない様にする為である。
一方の早雪は
そして、仮に兵庫助と
それ故に早雪は慶一郎が兵庫助と共に行く事を拒んだ。
だが、慶一郎はその早雪の想いを知ってか知らずかあっさりと兵庫助の誘いに乗り、
こうして、慶一郎と早雪が兵庫助に連れられて辿り着いた先は剣術道場だった。
「人が活動している気配が感じられないが、ここはもう使っていないのか?」
「…ここは
「吉岡?…まさか、
「
吉岡憲法とは、吉岡流剣術を創始した吉岡家の当主となった者に世襲されている名である。
その吉岡憲法を当主とする吉岡家及び吉岡流剣術は
この時代から数百年に渡って柳生一門が剣術の象徴となり得たのも十五代続く将軍家の剣術指南役を担っている事による影響が大きく、足利家が
しかし、象徴では無くなったとは云えど慶長年間に於いても吉岡流が名門流派である事には変わりはなく、時代の奔流に圧された足利家が名を落とす一方で、吉岡流はこの時代にも名を馳せていたのである。
足利から群雄割拠の時代を経て豊臣の時代となり、徳川へと移り変わる中でも吉岡流は色褪せる事はなく、京の武芸者では名を知らぬ者はない程の評判を得ていた。特に四代目吉岡憲法の名を継いだ
幼少より父から吉岡流剣術を学び、それに加えて
だが、ある事件を
それは、人の姿をした獣との邂逅であった。
「吉岡か…吉岡は四代目が決闘で敗れて埋没したと聞いたが?」
「なんだ、ジン殿も詳しいな。だが、それは少し違う。確かに四代目は賊による不意討ちで死にかけたがその不意討ちでは死んではいない。死んだのはその少し後だ。そして、そもそも四代目は決闘なんてものはしていない。決闘に負けたなんてのは賊によって流布された
「ではなぜ
「それもまた賊の
如何なる
戦には理屈がない…
何をしても生き残った者が勝ちであり、人道に
生き残ってこそ主張が通る。
それが戦の道理である。
その道理を直綱と吉岡道場に対して仕掛けた者がおり、それによって直綱は重傷を負い、後に押し掛けた者達によって直綱は殺された。その後、日々多勢の刺客が押し掛ける吉岡道場へ師事する者はいなくなり、
「俺は四代目がどんな人物か知らぬが、お前が四代目を尊敬している事は何となくわかる。そして、お前が強い事もな。……四代目は誰に殺られた?違うな…四代目を襲った賊とは誰だ?」
「
「
「
「…そうか。で、お前は俺にそいつを斬れというのか?」
「ジン殿、
早雪は最後まで云わずに口を接ぐんだ。否、慶一郎を視る兵庫助の眼が
「云っているんだな、これが。…ジン殿、吉岡を潰した男をお前さんに斬れるか?」
「さあな。相手の素性も知らぬ
「相手の素性か。……
「誰だ?」
「その賊の現在の名だが、ジン殿は俗世に疎いのが欠点と云えるな。…だが、
「み、
(この反応は
慶一郎は早雪の反応による人物像と兵庫助の口振りによる人物像の差異に疑念を覚えたが、今はそれよりも兵庫助の真意を
なぜ頼むのか?
そして、恐らくジンが
兵庫助の思惑がどこにあるか様々な可能性を鑑みて慶一郎は口を開いた。
「俺でなくてはならないのか?」
「………」
慶一郎の一言が兵庫助を黙らせた。
それは、剣の
確信を衝いたその問いが兵庫助の沈黙を生んだ。その沈黙は真実を云うか偽りで誤魔化すかを悩んでいるが故の沈黙だった。
そして、沈黙を破った兵庫助は慶一郎の問いへの
「……いや、斬るのは俺でなければ誰でもいい。剣に覚えがあり、五代目
「五代目だと!?あの吉岡に五代目がいるのか!?」
早雪は興奮した様子で訊き返した。それもその筈である。
何れ迎えるであろう徳川との決戦に於いて豊臣方は関ケ原同様に西を中心とした軍勢となる。そうなった場合、京の吉岡一門が味方いるか否かで白兵戦の武力と指揮に差が生じる。数としては微々たるものであったとしても実戦剣術の吉岡一門が加わる事は人材不足の豊臣方には大きな朗報となる。
この事を早雪は瞬時に判断した。
これは、早雪が自身でも気付かぬうちに
「ああ。俺は先日五代目となったばかりの友人に頼まれて
「真の強者、か」
「ああそうだ。真の強者だ。
「相手の軍勢は
「いや、違う。五代目は仇討ちを目的としていない」
「では何故
「名目上は討伐ってことになっているが、奴は是が非でも
「殺すのが目的ではない、か。しかし、 死を迎える準備とすると五代目は病なのか?」
「くはは。残念ながら五代目は病とは縁がない。恐らくは戦に赴くのだろうよ。
「戦へ向けてやり残した事…それが戦とそう変わらない規模の
「ああ、
「待て待て待て!勝手に話を進めるな!ジン殿!あなたは自分という存在、その立場をお忘れですか!?」
早雪は今にも武蔵討伐へ向けて出立しそうな雰囲気の二人に強引に割って入ると慶一郎に釘を刺した。
その笑顔が早雪を不安にさせた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます