第117話「母と子」
「な、ななな、何を云っておる!?誰か!誰か
「無駄です母上。
「なんじゃと!?そんな命令は即刻撤回するのじゃ!」
「…何を云っている。そもそもここへは独りで来たのだろう?でなければ道中の異常を察知した護衛が貴様…いや、あなたをここへ通す筈がない。あなたの傍に仕える者達は命令と云えどあなたの死に関わった事による責を負いたくないだろうからな」
「無礼者め!畏れ多くも
「はは、大した読みだね。けど、その逆とは考えられないかな?僕の兵達は僕が死のうが生きようが興味がない。だからどんなに危険でも僕が命令したら
「なぜ誰も来ぬのじゃ!?早くせねば
「…もしも、そこに
「誰ぞ参れ!
「こりゃ手厳しいな。義ではなく利、か。…確かに僕と共にいる事で利を得られるなら僕が死ねば不利になる。そりゃそうだ。利を
「
茶々は二人の会話を遮る様に大声を発し続けていたが、慶一郎も秀頼も茶々の言葉を無視して会話を続けた。
「秘密を明かしてどうするつもりだ?」
「どうもこうもないさ。僕はここで君に殺されるのだからね」
「………」
(これが
慶一郎は秀頼に母である
強く、凛々しく、気高く、そして何よりもやさしい…
慶一郎がこれ迄に出逢った女性の中で誰よりも激しくありながら、誰よりも穏やかでやわらかい気配を纏っていた千代。
その千代との記憶は慶一郎の中にあまり多くは残されていないが、記憶よりも深く刻まれている母としての千代のぬくもり、人としての千代の激しさ、そしてその激しさを感じさせない程のやわらかさ。
慶一郎はそのやわらかさを秀頼に感じ、それと同時に深い悲しみを覚え、生まれ持った宿命によってそうならざるを得なかった秀頼の人生に想いを馳せた。
(
「どうしたんだい?悲しい
「………」
「今じゃ!」
「!!!」
茶々が隠し持っていた懐刀を取り出して慶一郎へ襲い掛かった。
その茶々の行為に対して慶一郎は何もしなかった。否、慶一郎が何かをする必要がなかった。
「ひ、
「母上…駄目だよこの人を傷つけちゃ。母上も知っているでしょう?この人はあの羅刹の剣士なんだ。男も女も老いも若きも一切関係ない。全ての者に平等な死の神様…弱き者が虐げられる
秀頼は懐刀を手にして迫った茶々と慶一郎の間に割って入り、茶々の持つ懐刀の刀身を両の
「ああああ…ひひ、
他の全てを犠牲にしても
その茶々の震える肩を抱き寄せる血塗られた手があった。それは、秀頼の手だった。
秀頼は左手で尚も刀身を握りながら右手で茶々を抱き寄せていた。
母と子、十数年ぶりに抱き合う二人の手には血の赤で染まった刀があった。
二人共に強く握り締めた
母のぬくもり、子のぬくもり…
懐かしいそのぬくもりを思い出させるきっかけとなった二人の握る刀は、互いが親子のぬくもりを思い出したその瞬間、赤い血で染められた床へと落ちた。
「………母上、僕は大丈夫です。僕はもう何も怖くありません。…いいえ、
「
「母上、もう十分です…もうやめにしましょう…僕はもう庇護されなくては生きられない
「ひ、
秀頼は茶々に当て身を放ち、気絶させた。
そして、ゆっくりと丁寧に寝床へ寝かせると慶一郎の方へ向いた。
「…はは、なんか悪かったね。見ず知らずの君に変な所を見せてしまって」
「何もおかしな事などない。世間の何処にでもいる平凡な親子の姿、
「そっか…平凡か。僕らが平凡な親子に見えたか。変だな…平凡って云われたのがとても嬉しく思えるよ。はははは……」
「泣いているのか?」
「えっ!?…あれ…涙…?
秀頼は慶一郎の云った「平凡な親子」という言葉に涙を堪え切れなかった。
天下人の跡継ぎとその母。
生きながらに重い宿命を背負った秀頼と運命の巡り逢いによって天下人の子を産んだ茶々…親子という絆で結ばれた二人は天下人だった男の死によって一切の平凡を失った。
運命によって授かった子を護ろうとした女は毒婦と呼ばれながらも精一杯に生き、宿命を抱いて生まれた子は宿命と運命の狭間で翻弄されながらも無能な君主を演じて死を待ちながら生きてきた。
気がつくと二人は二人共に孤独となり、
だが、母である茶々も子の秀頼も孤独の中でぬくもりを渇望していた。誰からも与えられる事のなくなったぬくもりを与えてくれる人を求めていた。
そしてこの日、もう一人の宿命の子が齎した運命の巡り逢わせによって親子は一番身近に
それは、孤独の中で苦しみ、孤独の中で耐え、孤独の中で生きていた親子が最初から手にしていた絆を再び手にした瞬間であった。
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