第117話「母と子」

「な、ななな、何を云っておる!?誰か!誰からぬか!拾丸ひろいまるが…いや、秀頼ひでより様が賊に襲われておるぞ!早く来るのじゃ!」


「無駄です母上。木偶でくであっても僕は当主です。僕が命令した以上、僕の兵達は誰もここへ入れません。ですから秀頼ひでより様と呼ばなくても結構ですよ。尤も、入ろうとした所で外にいる彼が阻むでしょうが」


「なんじゃと!?そんな命令は即刻撤回するのじゃ!」


「…何を云っている。そもそもここへは独りで来たのだろう?でなければ道中の異常を察知した護衛が貴様…いや、あなたをここへ通す筈がない。あなたの傍に仕える者達は命令と云えどあなたの死に関わった事による責を負いたくないだろうからな」


「無礼者め!畏れ多くも秀頼ひでより様にその様な物云いをするとは!誰か!誰か早く来るのじゃ!秀頼ひでより様の出した命令は撤回する!秀頼ひでより様は乱心しておったのじゃ!」


「はは、大した読みだね。けど、その逆とは考えられないかな?僕の兵達は僕が死のうが生きようが興味がない。だからどんなに危険でも僕が命令したら自由すきにさせる。僕がここに居るのはそんな程度の理由かも知れないよ?」


「なぜ誰も来ぬのじゃ!?早くせねば秀頼ひでより様が殺されてしまう!」


「…もしも、そこに真義しんぎるならば…主君がたった独りで死地へ赴くという命令にも従う兵がる可能性は皆無とは云えない。だが、あなたと兵達は義ではなく利で結ばれているだけだ。そんな者達が自らの不利となるかなわない命令に従う筈がない。故にあなたは独りでここへ来た。その方法は私には見当も付かないがな…」


「誰ぞ参れ!拾丸ひろいまるを助けるのじゃ!」


「こりゃ手厳しいな。義ではなく利、か。…確かに僕と共にいる事で利を得られるなら僕が死ねば不利になる。そりゃそうだ。利をもたらす存在がいなくなるんだからね…わかったよ。正直に云おう。君の云う通り僕は独りでここへ来た。小姓に報酬を渡す約束をして身代わりになって貰ったんだ。幸いな事に僕と同じくらい大柄な小姓が一人いてね。顔は似てないけど寝たふりをしていれば見破られることはない。彼が代わりに床へ入っている間に僕は抜け道を使ってここへ来たんだよ。誰にも内緒だけど、ここ大坂城には抜け道があるんだ。本丸の天守と御殿、二の丸はこの母上の御殿と西の丸、それと城外にも通じる地下の抜け道がね。これは父上が秘密裡ひみつりに掘らせた通路らしいんだけど、実際に作業した者はみんな死んじゃってるみたいだから現在いまは僕と母上しかその存在を知らないけどね」


拾丸ひろいまる!その話は誰にもするなと云っだであろう!」


 茶々は二人の会話を遮る様に大声を発し続けていたが、慶一郎も秀頼も茶々の言葉を無視して会話を続けた。


「秘密を明かしてどうするつもりだ?」


「どうもこうもないさ。僕はここで君に殺されるのだからね」


「………」


(これが豊臣とよとみ秀頼ひでより、私の義兄上あにうえなのか?これではまるでまことの木偶人形の様だ…この者には感情がない。いや、感情がないと錯覚する程に穏やかだ。この者から感じる全部すべてが穏やかで…血の繋がりは無い筈なのに、この者と母上にはどこか似た様な雰囲気を感じる……)


 慶一郎は秀頼に母である千代ちよに似た気配を感じた。

 強く、凛々しく、気高く、そして何よりもやさしい…

 慶一郎がこれ迄に出逢った女性の中で誰よりも激しくありながら、誰よりも穏やかでやわらかい気配を纏っていた千代。

 その千代との記憶は慶一郎の中にあまり多くは残されていないが、記憶よりも深く刻まれている母としての千代のぬくもり、人としての千代の激しさ、そしてその激しさを感じさせない程のやわらかさ。

 慶一郎はそのやわらかさを秀頼に感じ、それと同時に深い悲しみを覚え、生まれ持った宿命によって秀頼の人生に想いを馳せた。


義兄上あにうえ…あなたは感情じぶんを捨てて生きなければならなかったのですね……)


「どうしたんだい?悲しい表情かおしているね。君は地獄の住人すら震え上がらせる羅刹の剣士なのだろう?僕を殺して偽りの泰平を終わらせてくれる存在なのだろう?」


「………」


「今じゃ!」


「!!!」


 茶々が隠し持っていた懐刀を取り出して慶一郎へ襲い掛かった。

 その茶々の行為に対して慶一郎は何もしなかった。否、慶一郎が何かをする必要がなかった。


「ひ、拾丸ひろいまる!?」


「母上…駄目だよこの人を傷つけちゃ。母上も知っているでしょう?この人はあの羅刹の剣士なんだ。男も女も老いも若きも一切関係ない。全ての者に平等な死の神様…弱き者が虐げられる現世うつしよの民が求めた泰平の使者なんだ…父上や徳川のおじさんが創り上げたこの世の中とは異なる新しい世の中を描く為にはこの人が必要なんだよ……」


 秀頼は懐刀を手にして迫った茶々と慶一郎の間に割って入り、茶々の持つ懐刀の刀身を両のてのひらから鮮血が飛び散る程に力強く握って茶々の動きを制止していた。


「ああああ…ひひ、拾丸ひろいまる!…そ、そなたの手が…わ、妾は…妾は……っ!!?」


 他の全てを犠牲にしてもまもると誓った最愛の息子、その息子のてのひらを自らの行動によって傷つけ、少し違う結果になっていたならば、或いは殺していたかも知れないという事実に茶々は貼り付いた様に強く刀の柄を握りながら震えた。

 その茶々の震える肩を抱き寄せる血塗られた手があった。それは、秀頼の手だった。

 秀頼は左手で尚も刀身を握りながら右手で茶々を抱き寄せていた。

 母と子、十数年ぶりに抱き合う二人の手には血の赤で染まった刀があった。

 二人共に強く握り締めた状態ままの刀、その刃が二度と互いを傷つける事がない様に刀身を握る子がそれを自身と母の身体からだの横へと誘導し、不恰好な二人は互いのぬくもりを分かち合った。

 母のぬくもり、子のぬくもり…

 懐かしいそのぬくもりを思い出させるきっかけとなった二人の握る刀は、互いが親子のぬくもりを思い出したその瞬間、赤い血で染められた床へと落ちた。


「………母上、僕は大丈夫です。僕はもう何も怖くありません。…いいえ、最初はじめから何も怖くありませんでした。僕にはいつも優しくて強い母上がいた。母上がずっと傍にいて護ってくれていた」


拾丸ひろいまる…妾は…妾は……」


「母上、もう十分です…もうやめにしましょう…僕はもう庇護されなくては生きられない立場こどもではありません。十分護ってもらいました。ですからもう僕の為にを演じないでください。母上、今までありがとうございました…次はぼくあなたを護る番です」


「ひ、拾丸ひろいまる…そなた何を…うっ!?」


 秀頼は茶々に当て身を放ち、気絶させた。

 そして、ゆっくりと丁寧に寝床へ寝かせると慶一郎の方へ向いた。


「…はは、なんか悪かったね。見ず知らずの君に変な所を見せてしまって」


 含羞はにかみ笑いを浮かべた秀頼は相変わらずやわらかさをまとっていたが、その笑顔はそれ迄の無感情にも思える秀頼とは明らかに異なる気配を感じさせた。


「何もおかしな事などない。世間の何処にでもいる平凡な親子の姿、母子おやこの絆というものを見せてもらった…」


「そっか…平凡か。僕らが平凡な親子に見えたか。変だな…平凡って云われたのがとても嬉しく思えるよ。はははは……」


「泣いているのか?」


「えっ!?…あれ…涙…?異常おかしいな…泣くつもりなんか全然ないのに……」


 秀頼は慶一郎の云った「」という言葉に涙を堪え切れなかった。

 天下人の跡継ぎとその母。

 生きながらに重い宿命を背負った秀頼と運命の巡り逢いによって天下人の子を産んだ茶々…親子という絆で結ばれた二人は天下人だった男の死によって一切の平凡を失った。

 運命によって授かった子を護ろうとした女は毒婦と呼ばれながらも精一杯に生き、宿命を抱いて生まれた子は宿命と運命の狭間で翻弄されながらも無能な君主を演じて死を待ちながら生きてきた。

 気がつくと二人は二人共に孤独となり、かつて感じた親子のぬくもりを感じる事も無い侭に親子の心魂こころの距離は離れていった。

 だが、母である茶々も子の秀頼も孤独の中でぬくもりを渇望していた。誰からも与えられる事のなくなったぬくもりを与えてくれる人を求めていた。

 そしてこの日、もう一人の宿命の子が齎した運命の巡り逢わせによって親子は一番身近にった互いのぬくもりを思い出した。

 それは、孤独の中で苦しみ、孤独の中で耐え、孤独の中で生きていた親子が最初から手にしていた絆を再び手にした瞬間であった。

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