第116話「秀頼の結論」

「…母上、控えてください。彼は僕の客人の筈ですよ?」


 その声は、慶一郎けいいちろう茶々ちゃちゃの下へと辿り着いてからそう時間を置く事もない内に響いた。

 慶一郎の侵入を許した部屋の外で気絶している護衛の者達への罵倒と慶一郎自身への雑言、けたたましい茶々の罵声が響く部屋の中にあって決して大きくないその声が茶々を制止した。

 大坂城へと潜入した慶一郎と喜助きすけは潜入というには余りにも大胆且つ太々ふてぶてしい経路で茶々の下へと辿り着いた。

 その経路はまさしく正面突破…本丸を囮とした慶一郎達は二の丸にある茶々の御殿へ突入すると隠れる事なく出会った者を全て蹴散らしてきた。

 喜助は水戸城攻めの際と同様にガマの油から抽出した痺れ薬をやじりに塗り、極力怪我をさせない様にしながら的確に護衛の兵を行動不能にした。

 そして、慶一郎が突破に用いた武器えものだった。

 空手からてではなく無刀、即ち徒手による打撃ではなく無刀による斬撃。

 かつて慶一郎の父である甚五郎じんごろうが真田領内へ無断で立ち入った時に用いた業であり、その当時に昌幸まさゆきの護衛を兼ねて小姓をしていたうしおを気絶させた。その業を用いて兵を気絶させながら慶一郎は歩みを進めた。

 無刀で現れた慶一郎を見た者達は当初は全く意に介さず、最初の一人が気絶させられる迄は何も感じていなかった。しかし、最初の一人が慶一郎と対峙した瞬間、まるで魔喧まやかしによって具現したかの様に武器を持っていない慶一郎の手に刀が握られているのをその場にいた全ての者が視た。それは喜助も例外ではなかった。

 その魔喧まやかしの刀に斬られた者は自身が真実ほんとうに斬られたと感じて意識を失った。慶一郎の圧倒的な武が周囲の者に刀の錯覚を視せ、実際に斬られたと感じさせたのである。

 殺気で相手を怯ませるのではなく、無刀によって斬る。それは、慶一郎が豊臣に対して敵意を抱いていない事を示していた。

 更に、無刀斬りを選択した理由は敵意を抱いていない事以外にもう一つあり、それは武力の差であった。

 既に衰退していた豊臣家に於いて、それも当主ではなく当主の母親である茶々の下に置かれた兵達の殆どは実戦の経験がなく、決して精鋭とは云えなかった。それ故に慶一郎が武器を持つ必要すらなかったのである。

 しかし、それでも茶々には数少ない精鋭、まさしく少数精鋭と云うに相応しい者達がいた。それは、茶々の側近である光雲こううんとその光雲が厳選した者達だった。

 だが、その少数精鋭は…茶々に許されていたその僅かな武力は、この日の夕刻既に慶一郎の前へ立ちはだかり、いのちけで挑んだ末にことごとくが死屍しかばねとなっていた。

 その結果、茶々の護衛として残ったのは人を斬った事は愚か立合たちあいの経験もない武器を持った素人達だった。無論、その者達には命のやり取りである死合しあいなど浮世離れした話であり、戦も殺死合ころしあいも目の当たりにした事もないため、慶一郎と喜助の武力を見抜く事も出来ずに多勢に無勢という立場に甘んじていた。

 その様な者達が慶一郎や喜助を止める事など出来る筈もなかった。

 仮に火縄銃や炮烙ほうろく玉などの火器を用いていれば多少の可能性は生まれたかも知れない。しかし、大坂城内で火器を用いればたちまち大問題となり、大坂城内へ賊が侵入したという事態が公然の事実として認識され、豊臣家の威光は今よりも更に落ちる。それを避ける為に火器を用いる事はせず、接近戦或いは少数の弓の扱いに長けた者が慶一郎達に立ち開かったが、余りにも武力が足りなかった。

 この時、本丸にいる秀頼ひでより直属の護衛達にも侵入者の報告は伝わっていたが、その護衛達は当然の如く本丸をまもる事に専念し、二の丸へ増援が派遣される事はなかった。

 茶々を護る者達の武力は慶一郎と喜助の二人を相手取るには余りにも足りなかった。

 こうして慶一郎と喜助は最短で茶々の下へと辿り着いた。

 だが、茶々がいる寝所しんじょへ入ったのは慶一郎のみであり、喜助は寝所の外で見張りをしていた。喜助は云われる迄もなく見張りを買って出たが、それは喜助なりの気遣いであり、寝所へと辿り着いて尚も警戒心を解いていない証だった。

 茶々の下へと辿り着く迄に相手取ったのはあくまでも二の丸を護る経験の浅い兵達であり、本丸を護る兵達とその者達の力量は雲泥の差がある事を喜助は分かっていた。その為、もしも本丸からの増援が押し寄せた場合の退路の確保を喜助は忘れておらず、二人揃って寝所に入るのを避けた。

 慶一郎が茶々の寝所へと入り、二人が対峙した証となる茶々の発する雑言が微かだが確かに喜助の耳へと届いてから僅かな時間しか経過しない間にある者が喜助の前に現れた。

 それは、慶一郎の義兄であり茶々の実子でもある秀頼だった。現れた秀頼は何一つとして武器を持たぬ丸腰であり、その身形みなりは爪先から髷を結う髪の一本いっぽん々々いっぽんに至る迄が綺麗に整えられ、まさしく君主といったで立ちであった。

 喜助の立ち位置から凡そ二十歩先の地点へと秀頼が近付いた時には既に喜助はその存在を察知し、矢をつがえて構えたが、突然の訪問者の放つ凛とした佇まいに喜助は番えた矢を放つ事をせず、その者に対して自分が何者なのか名乗る様に云った。

 そして、その者は答えた。


「僕は豊臣家当主、豊臣とよとみ秀頼ひでよりだ。侵入者さん、君が誰かは知らないが、入口そこに君が立っているという事は寝所なかがいるんだね?僕は彼に会いに来た。さあ、僕を通してくれないかな?」


 静かに語る秀頼の周囲には、ただの一人として護衛は見当たらなかった。

 喜助は目の前に立つ秀頼のおごそかな雰囲気、そして何よりも心魂こころを打たれ、秀頼の要求を呑んだ。

 秀頼は最初に慶一郎達が騒ぎを起こした時点で侵入者の報告を受け、その侵入者が何を目的に侵入したのかを考えた。

 そして、第二報で侵入者が立花たちばな慶一郎けいいちろうである事を知り、ここ数日の茶々の様子と秀頼の警護を担当している者から聞かされた「御上おかみ様の側近が昼過ぎに出掛けた侭で戻っていない」という情報から慶一郎が侵入した目的を導き出した。

 秀頼の出した結論こたえ、それは…


「君が羅刹の剣士立花たちばな慶一郎けいいちろうくんかい?僕は豊臣家当主豊臣とよとみ秀頼ひでよりだよ。君はこの様な所で母上と何をしているんだい?君が大坂城ここへ来た目的に本来母上は関係ない筈だ。母上が君を殺そうとしたのはわかっている。でもその責は僕にある。さあ、斬りなよ。君はんだろう?」


 秀頼は胸を張って飾らない言葉で慶一郎へ云った。

 僕を斬りに来た…即ち自分を殺しに来た。

 それが秀頼の出した結論こたえだった。

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