第102話「慶一郎の選択」

「───とまあ、こんなところだな。奴は町中で出会った女にほだされ、十歳とおにも満たぬガキの頃から私利私欲を捨て去っちまったんだ。秀頼あいつは生き恥を晒そうが泥水を啜ろうがが現れるその時を、死ぬ時を待っているんだよ」


「いえ、きっと秀頼ひでより殿はほだされたのではありません。選択したのです。自らの宿命を受け入れ、自らの意思で運命を選択したのです。私にはその時の秀頼ひでより殿の心境きもち理解わかる気がします」


秀頼ひでより殿、あなたはそんな幼い頃から国の在り方を考え、未来これからのことをうれえていたのですね…それにあなたの決断を後押ししたのは恐らく……)


 慶一郎けいいちろう又兵衛またべえの口から語られた自身の義兄である豊臣とよとみ秀頼ひでより生様いきざまとその決断に隠された秘話に、ある人物の熱き想いを感じた。

 その人物とは母である千代…

 慶一郎は秀頼が重く辛い決断をするに至った言葉、それを云った人物が千代であると感じていた。

 その理由はくだんの女が云ったとされる「強くあろうとする生様いきざま」と「バーンとやっちゃえ」という二つの言葉だった。

 それらの言葉は慶一郎が千代と死別する前によく云われていた言葉であり、他の人物の口からはあまり耳にしたことのない言葉であるが故に慶一郎はその女が千代であると感じた。

 その女が千代であると知っているのは千代本人と甚五郎じんごろうに加え、甚五郎より詳細を聞いていた真田さなだ昌幸まさゆき、更には甚五郎が死んだ際に昌幸からそれを聞いた信繁のぶしげうしおだけであり、生人きびとでは信繁のみである。だが、慶一郎は一切の証拠もなく、ただ自分の直感だけを信じ、秀頼と千代を想った。


(母上…あなたは義兄上あにうえと出逢った時に何を感じたのですか?何を想って言葉を贈ったのですか?)


 自身の心の中にいる母親との結論こたえのない、その他問自答は慶一郎に秀頼が自身の義兄あにであることを初めて意識させた。


「んで慶一郎けいいちろう。おめえ、この話を聞かされてどう感じた?」


「……又兵衛またべえ殿、あなたは源二郎げんじろう殿がその話を知っていると云いたいのですね?」


「ああ。他家である俺に聞かせるくらいだからな、源二郎むすこに聞かせてねえ筈がねえ。必ず知っている。知った上で源二郎あいつはおめえを秀頼ひでよりの後継者にしようとしているんだよ。俺様の言葉の意味はわかるな?」


「………」


 その問いに対し、慶一郎は何も云わずに静かに瞼を閉じた。

 又兵衛はこう云っていた。


?』


 これはまさしく信繁が隠していた事であり、慶一郎を必要とした真実ほんとうの理由であった。

 孤独の中に生きる秀頼にとって心魂こころの底から信じられる者はもはや誰もいなくなっていた。かつての豊臣に仕えていた臣下達は関ケ原の折の加藤家と福島家を倣う様にして日に日に徳川家に呑み込まれていき、豊臣の世は名実共に終わりを迎えつつあった。

 豊臣の世の終わり、それは即ち徳川による独裁政権の訪れを意味していた。

 豊臣により統治された世もまた独裁政権であると考える者もいたが、それはあくまでも権力者間での話であり、権力を持たぬ民達は権力者の下で躍動していた。しかし、本格的な徳川の世が訪れたならば貧富の差が広まるのは明らかであった。秀頼はそんな世を迎えた時の民の暮らしを憂えながらひたすらに耐えた。

 そして、ここに来て真田家を含めた一部の者達が嘗ての豊臣の世を復興させるために動いている事を秀頼は知った。

 だが、豊臣の後継者を待つという選択をした秀頼はだった。孤独の中に生きた秀頼は豊臣の世の復興を掲げる者達に信頼に足る者を見出だせなかった。

 その為、秀頼は未だに豊臣家として兵を集う事をしなかった。

 どれ程多くの者達が豊臣の復興を掲げていたとしても、現当主である秀頼が動かなければ徳川にとっては小波さざなみに過ぎない。総大将がいなければ豊臣軍として纏まる筈がなく、親徳川である諸大名を動かして各地で各個撃破すればその波は容易に消える。更にはそれを口実に豊臣家を取り潰す事も不可能ではない。

 信繁が考える豊臣復興には秀頼を動かし、小波を大波へと変えなくてはならなかった。そこで必要としたのが秀頼と同じく秀吉ひでよしの血を継ぐ宿命の子、慶一郎であった。

 信繁は同じ血を継ぎ、秀頼に現在いまの生様を決心させた千代の子でもある慶一郎ならば秀頼の孤独な心を動かし、豊臣家を動かす事が出来ると信じて慶一郎を探し出し、志を共にした。

 だが、その結果として訪れる義兄の死の可能性を信繁は伝えることをしなかった。


(義兄上…私は今、なぜ自分が男として育てられたのかを悟りました。母上は私に宿命を背負わせたくないと感じ、父上と共に宿命を隠そうとした。そんな時に幼い義兄上と出逢った母上はその宿命の重さ、宿命を孤独ひとりで背負う義兄上の苦悩を誰よりも深く感じ取った。そして、母上は義兄上と私を重ね、義兄上の背負う宿命の一端を私が共に背負えるように私を男とした。…その答えはもう母上にも父上にも訊く事は出来ません。ですが私は思います。血の繋がらない孤独な子供の心魂こころを救いたい、私の義兄あにを救いたいと感じた母上と父上が私を男にしたのだと。そう、私は……)


 義兄に対する母と父の優しさ…そして自身に託された母と父の願い…宿命に抗い、運命に立ち向かって生きた千代と甚五郎…時を越えて二人の想いを感じた慶一郎は閉じていた瞼を開き、真っ直ぐな眼で未来まえを見据え、ゆっくりと口を開いた。


喜助きすけ殿、義太夫ぎだゆう殿、江戸の偵察は二人にお任せしていいですか?」


「我輩は一向に構わぬ」


「俺もいいぜ」


 二人は慶一郎に「なぜだ?」と問い返したい気持ちを堪えてただ訊かれた事だけを答えた。

 慶一郎は何も訊かずに自身の想いに応えてくれた二人に感謝した。

 そして、自ら選択した運命を伝えるための言葉を放った。


「二人とも感謝します。江戸の様子は後で聞かせてください。私はすぐにでも大坂へ行かなくてはならない」


 


 それが慶一郎の選択した運命だった。

 大坂には大坂城がある。

 秀頼の居城にして豊臣家に残された最後の権威の象徴でもあるその城へ向かう事、それを決断きめた慶一郎の眼に迷いはなかった。

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