第103話「運命の日」

 慶長十九年七月三日。


 慶一郎けいいちろうは大坂にいた。

 大坂城の本丸にある天守を望める小高い丘の上の開けた場所、そこに無造作に転がる十数体の死屍しかばねの中心で慶一郎は立っていた。死屍はそのことごとくが首あるいは胴体部分を横一文字に両断され、辺りはきずぐちから流れ出た鮮血による赤で彩られていた。だが、その中心に立ちながらも慶一郎だけは血飛沫ちしぶき一つ浴びずに立っていた。

 赤く染まった地はまるで地獄にあるという血の池の様であり、そこに立つ白無地の着物を纏った慶一郎の姿はまるで、血の池に咲く白蓮花びゃくれんげの様だった。

 血の赤、着物の白、そして手元で鈍くひかる刀の煌めき、死の匂いが充満する凄惨な場に不釣り合いな程にがそこにあった。

 慶一郎の立ち姿は儚い程に透明で、丘を照らす西陽がそれを際立たせた。

 死屍に囲まれる慶一郎の眼からは一筋の涙が伝い、その涙が慶一郎の周囲に転がる死屍が単なる死人しびとではない事を示していた。その死屍しかばねはある者によって仕向けられた刺客だった。


「…刺客これが、義兄あに上を想うが故のあなたの結論こたえなのですね…そして、死屍これこそが私の決意こたえです……」


 慶一郎は天を仰いで呟いた。

 それは、周囲に転がっている死屍達がまだ生きていた頃に仕えていたあるじ、慶一郎に刺客を送った者に向けて云った言葉だった。決して届く事のないその言葉を天へいた慶一郎の胸中にはこれから先に起こり得る事への悲しみと、刺客を送った者が自身の息子に対して抱いている深い愛への想いがあった。


「………やはりお前はられる事を選ばなかったんだな。よかったよ…お前が生きててくれて」


 西陽が沈みかけた頃、不意に慶一郎へ声を掛けた者がいた。それは喜助きすけだった。喜助は慶一郎が生きていた事に安堵し、率直な想いを伝えた。

 実力的には慶一郎が負ける相手ではないと思いながらも、喜助は慶一郎が自ら殺される事を選ぶ事を危惧していた。それ故に慶一郎がこの場で刺客に襲われている事を知るとすぐにここへ駆けつけた。


喜助きすけ殿…私は死にませんよ。私にはやり残した事が多くある。ですから私はここでは死ねません」


「まだ、か。そのまだとやらがにならねえで欲しいがな……」


「…人はいつか必ず死にます。それは誰もが避ける事を許されず、誰もが予測出来ない事です。そして、そのいつかを迎えた瞬間とき、私のまだがのです。……喜助きすけ殿、私はこれから大坂城へ行きます。共に来てくれますか?」


 喜助は黙って頷いた。

 慶一郎と喜助、まだ明かしていないまことの性、慶一郎がけいであるという秘密を抱えながらもその秘密を重要としない二人の、二人は昼と夜とが互いに混ざり合う西の空を背にして歩み出した。

 夜を目指す様にして歩く二人の行く先には豊臣の本拠地である大坂城があった。

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