第101話「秀頼と千代」

 稀代の慧眼を持つ真田さなだ昌幸まさゆきからかつてない程の規模の戦が起こるというを聞かされた又兵衛またべえは、それを可能性ではなく先にあるとして受け入れた。

 そして、昌幸は又兵衛に本心を打ち明けた。


「…この戦、勝っても負けても我ら真田の人間には肩身の狭いものとなろう」


「そりゃあどういうことだ?おっさんの事だから家康いえやすの野郎には意地でも反発するだろうが、三成みつなりとはそんな険悪ってわけでもねえだろ?」


「総大将が三成みつなりなら問題はない。だがあの男は総大将はやらぬ。あくまでも二番手…否、二番手という意識すらない。権力とは無縁の清廉な心魂こころを持つ故に他の者が総大将となり手柄を得る。その結果、かつての豊臣と昵懇だった豊臣派は自ずと淘汰されていく。我が息子源二郎げんじろうなどその筆頭だ」


「普通、そこまで深読みするかねえ…ま、そう読んだあんたはそうなった時のために孫を俺様の庇護下に置いてくれってことだな?」


「そうだ。たった一人だけでいい」


「ま、別にガキの一人二人構わねえが…俺様の立場はわかってんだろうな?」


「無論、お主が身を置く黒田家は親徳川派というのは知っておる。お主と黒田のとの確執もな」


「…そこまで知ってんなら俺様がいつ牢人になってもおかしくねえってわかってんだろ?あんたはそんな男に大事な孫を預けて安心出来んのか?牢人になりゃあまともな生活なんざ期待出来ねえぞ?」


「ふっ、その言葉をわしに云うお主だからこそ信用出来る。この通り頼む」


 昌幸は胡座の状態ままで畳に額が着きそうな程に深々と頭を下げた。

 その場には又兵衛とうしおの二人しかいないとはいえ、一国の主ともあろう者が他家の要人に頭を下げる行為は異例であり、その姿に熱き想いを感じた又兵衛は早雪さゆきを引き取る事に同意した。

 それからすぐにうしおは別邸にいる信繁のぶしげに又兵衛が同意したことを告げに行き、その間に又兵衛は昌幸から豊臣の若き君主、豊臣とよとみ秀頼ひでよりについての秘密を聞かされた。


秀頼ひでよりも可哀想な子だ。生まれながらに背負った宿命に秀頼ひでよりがそれを受け入れきれず、毒婦と悪臣に利用されておる。何をしようとも善悪の区別などさせてもらえず、秀頼ひでよりの身を案じる者と秀頼ひでよりを利用せんとする者による板挟みを強いられる。…だがある時、秀頼ひでよりは偶然ある女と出会った。その女が誰なのかは云えぬが、その女との出会いは秀頼ひでよりにある決意をさせた。その決意とはが来たらする事だ」


「自決だと?侍の頂点に立った家に生まれた奴が責任を投げ出して死のうってのか?とんだだな。その出会った女ってのもふざけたことを吹き込みやがる嫌な女だ」


「ふっ、早合点するでない。時が来たらと云ったであろう?」


「はっ!その時ってのはいつだ?そもそも来ねえんじゃねえのか?真剣ほんきで自決する気なんざねえんじゃねえのか?何もせずに傀儡大将になってりゃ自分は安全だと思って天下なんざ他人事なんじゃねえのか?おっと、おっさんを問い詰めても無意味だな」


「………秀頼ひでよりは豊臣家に群がる欲にまみれた者を一層して民を導くことの出来る器を持った者をのだ。その者が現れるまでは自身を心から案じてくれる者やかつ秀吉ちちおやを慕っていた者が血を流そうとも見て見ぬふりをすると決めたのだ。その結果、現在の秀頼ひでよりまことの意味で孤立している。三成みつなりですら数ヶ月も秀頼ひでよりに会っておらぬらしい。傀儡と揶揄されても豊臣を残し、その権威を維持しようと画策しているのだ。そして、その者が秀頼ひでよりの前に現れた時、奴は自らを殺すと決めている」


「……大層なこった。だが、その器を持った奴が現れる前に家康いえやすの野郎が全てを掌握するだろうな」


「それをさせぬために我らがおるのではないか?それともお主は徳川の天下を受け入れられるのか?いや、黒田の跡継ぎにこうべれて生きていけるのか?」


「そりゃあ無理だな。官兵衛かんべえさんはともかく長政ながまさの野郎は俺様を従えられる程の器はねえ。…くくく、そういうことか。秀頼ひでよりは自身に天下を納める器がねえことも家康いえやすの野郎が天下を狙っていることも見抜いた…いや、その女との出会いでそれに気がついたのか。なるほど、何があったのかは知らねえがその女はおもしれえ女だ」


 又兵衛は納得した様に頷きながら呟いた。

 その女…秀頼が出会った女とは、慶一郎けいいちろうの母にして秀吉の血を継ぐもう一人の子を産んだ千代ちよの事である。

 秀頼は父である秀吉ひでよしの死後、一度だけ家臣の目を盗んで町中へ逃げ出したことがあり、その際に破落戸ごろつきかどわかされそうになったところを千代に救われた。そしてこの時、千代は救ったのが秀吉の子、天下の跡取りである秀頼だと気がつきながらそれに気づかぬふりをし、普通の子供をたしなめる様にして秀頼に言葉を伝えた。

 それは以下の通りである


『人は宿命たちばを選んで生まれてくることは出来ないの。それでもみんな運命なにかを変えるために自分の精一杯を出し尽くして頑張っているのよ。…それが人として生様いきざまだと私は想うの。ふふ、君は男の子でしょ?今は…いえ、これから先も辛いことがあるだろうけど、目をそむけて逃げていたら何も解決しない。たまには、男の子!』


 この千代の言葉は、実の母である茶々ちゃちゃでさえも自らを権力のためのとして見ていることを察していた幼い秀頼の心魂こころに響いた。

 秀頼はこの時、生まれて初めて人として会話をしてくれる人に出会った気がした。

 この時、秀頼はまだ数えで六歳であった。

 多感な子供は大人の欲心こころを敏感に察知してそれを見抜く。況してや天下人の跡継ぎとして権力の渦中に晒されている秀頼は誰よりも敏感だった。そんな秀頼に千代は人として接し、人として伝えた。

 千代の言葉が秀頼に宿命を受け入れる覚悟をさせたのだった。秀頼の異母妹いぼまいを生んだ千代が幼い秀頼に武志ぶしとして、延いては人としての生き方をさせるきっかけを与えたのである。


「父上、早雪さゆきを連れて参りました」


 不意に襖の外から信繁の声が聞こえ、昌幸がその声に返事をして入室を促すと、早雪を連れた信繁が入ってきた。

 信繁と対面した又兵衛は一目で信繁を気に入り、信繁もまた同じ様に一目で又兵衛を気に入った。

 戦人同士が邂逅した瞬間だった。

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