第87話「過去との邂逅」

 天下布武の達成を目前にした織田おだ信長のぶながが死んだ本能寺の変の裏で繰り広げられていた京都御所の騒乱、その日から三十余年後…

 京都御所での正親町おおぎまち天皇の暗殺に失敗したバサラはこの水戸城内にて、それを阻んだリクこと立花たちばな甚五郎じんごろう義子ぎしである立花たちばな慶一郎けいいちろうと対峙していた。


「───あの日、任務に失敗した上にと逃げ帰ったあたし達を藩主代理あのお方とがめず、よく帰ってきたと云ってくれたの。あたしはその時に気がついたの。あたしは任務の為に男を捨てたと思っていたけれど、真実ほんとうはそうじゃなくて、藩主代理あのお方を愛するが故に男を捨てたのだと。…それに気がついた時にリクちゃんに云われた通りだと思ったわ。あたしは自分が男であることを恨んでいた。ただ女に生まれたというだけで藩主代理あのお方に愛される資格を持つ女共が憎かった。…その後よ。あたしがを頭に刺したのは」


 バサラは頭に刺さるかんざしを右の人差し指の先で撫でた。


「うふふ、綺麗でしょ?女みたいでしょ?これは藩主代理あのお方がくれたのよ」


「お前はそれでいい。だが、この二人はなぜそれを刺した?私にはこの二人はお前と同一おなじとは思えぬ」


「あら?もしかして気づいたのかしら?うふふ、そうよ。この二人はあたしとは違う。二人の行動も愛故の行動だけれど、藩主代理あのお方への愛ではないの。この二人は育ての親であるあたしへの愛を示してくれたのよ。聾唖ろうあでないと成り立たない任務にあたしが行ったら自ら聴力を捨てて後を追い、あたしが男を捨てたのを知ったら同じ様に男を捨てて、簪を刺したら一緒に刺してくれたのよ。ま、あたし達に親と云う程の年齢差はないけどね」


「…そうか。二人はお前が……それはさておき思わぬ所でを聞かせてもらった。一応礼を云おう。ありがとう」


「???」


 バサラは慶一郎に礼を云われたことの意味が理解出来なかった。

 しかし、慶一郎には礼を云う理由があった。


「そろそろ終わらせようと思うが仕掛けても構わんな?」


「あらん?仕掛けますって云ってから仕掛けるなんて貴女は優しいのね。それともお馬鹿さんなのかしら?」


「ふっ…どちらでもない」


「あらそう?ならあたしの実力ちからを侮っているのね…そんな子は刹那に殺してあげるわ。…死になさい!!」


「…はあっ!」


「な…ッ!!?」


 声と共に慶一郎に向けて数十本の小さな毒針を放ち、同時に両腕の袂から鋼鉄の針を取り出しながら前へ出たバサラの頬を一陣の風が撫でた。


「ああ……そんな……あたしのわざが…全く通じないなんて……」


 バサラの声と共に血が地面を濡らす音が辺りに響いた。

 その血は肩口から切断されたバサラの両腕から流れて出ていた。


「…すまないな。私は父から教わった事があるんだ。大小様々な針を自在に操る使い手の話とその対策を」


「父?…まさか貴女は!?」


「ああ、リクとは私の父だ。リクという名は初耳だが、信長のぶなが公の護衛をしていたという話は聞いた。その父が何故信長のぶなが公が死んだ日に護衛をしていなかったのか、お前のお陰でそれを知ることが出来た。先程の礼は父の話をしてくれた事に対する礼だ」


 慶一郎はバサラに云った。

 早雪さゆきを通して聞かされた甚五郎の過去、その過去に存在していた謎がこの場にて解けた。護衛として最期の瞬間を共にしていなかったのは信長に対する甚五郎の不義によるものではなく、義ればこその不在であったと、慶一郎はバサラの語った話でそれを知った。

 その内容は慶一郎にとってはまさしく礼を云うに足る話だった。

 そして、甚五郎はその日のバサラとの死合しあいで体験した業に対抗するすべを慶一郎に身に付けさせ、慶一郎はそれを実行した。

 バサラの業を破る術、それは放たれた針が自身に到達する直前に素早く剣を振り、それによって発生した風圧、即ちによって放たれた針の推進力を奪い、それを落下させることで無効化する事であった。

 これにより、針を飛ばしたことで先手を取れたと想定おもったバサラの攻撃は両手に持った大針で刺すだけの単調な攻撃となり、慶一郎によって擦れ違い様に両腕を落とされた。


「うふふ…まさかリクちゃんの子に負けるなんてね……」


「これは父のお陰だ。無数の針を上半身に飛ばして目眩めくらましとし、下半身に狙いを定めて脚の自由を奪った上で大針で止めを刺すお前のその業は初めてでは避け切れないだろう」


「……どうかしらね…あたしはユラとギドウに対して一瞬だけ見せた貴女の剣が本気だと思い込み、それがまだ肩慣らし程度でしかなかった事を見抜けなかった…相手の実力ちからも見抜けない人間の業なんてたかが知れているわ…貴女、あの日のリクちゃんよりも遥かに強いわ……」


「…それは誰にもわからん。もう父はいないのだから」


「いいえ、あたしにはわかるわ…自信を持ちなさい……」


「そうか。ならば、での父よりは強くなれているかも知れないとだけは思っておこう。だが、私の知る父はもっと…」


「強いのね…リクちゃんはあたしが戦った時よりも強くなっていたのね?」


「ああ、恐らくはお前の知る父と私の知る父は比較にならない程に差がある」


「云ってくれるわね…あたしにとってはあの時のリクちゃんこそが至高の武を持つ人間だったのに、そのリクちゃんよりも強い貴女はあたしと戦ったリクちゃんがまだ成長過程だったと云うのね…うふふ、自らの意思で自分の限界を決めた人間は限界そこで成長が止まる…あたしの限界は男に生まれたことであの人に愛してもらえないと決めたことかも知れないわね…でも、あたしと違ってリクちゃんや貴女は自分で自分の限界を決めていない……くう…血の流しすぎかしら?少し目眩めまいがしてきたわ…無駄話もそろそろ潮時ね……あたしがあたしの限界を決めた人は…藩主代理あのお方は地下牢の奥に居るわ…信じるかは貴女自身が決めなさい……」


「仮に嘘だとしても信じるさ。父の話を聞かせてくれたお前の言葉なら信じられる。……何か云い遺す言葉ことはあるか?」


「うふふ…貴女、よく視るとリクちゃんに似ているわね…云い回しも仕草も…」


 バサラは慶一郎の云った言葉にあの日のリクの面影を、即ちかつての甚五郎の面影を重ねた。


「…そうか、私は父に似ているか。…そう云われるのは存外嬉しいものなのだな」


「うふふ、微笑わらった顔も素敵よ…最期の言葉の前に一つだけ訊いていいかしら?」


「何だ?」


「貴女の名を教えてくれる?その姿での名ではなく、真実ほんとうの名を…」


「私はけいよろこびと書いてけいだ」


「そう…慶びと書いてけい…いい名ね……さてと、あたしの最期の言葉を云わせてもらうわね………愛してる、死なないで…そう伝えてくれるかしら?」


 それは、藩主代理の男に対する言葉だった。

 バサラは慶一郎がこの後で対峙し、殺そうとするであろうその男へ向けた言葉に「愛してる」と「死なないで」という二つの言葉を選んだ。


「わかった。会った時には必ず伝えよう」


「うふふ、ありがと………さよなら……」


 バサラがゆっくりと瞼を閉じると、慶一郎は迷うことなくその首をねた。

 それから慶一郎は、刎ねたバサラの首、ユラとギドウの死屍しかばね、それらを同じ場所に集めると三人の髪を少しずつ切って懐紙かいしに包んでふところへ仕舞った。

 そして、喜助きすけが先に行っている地下牢がある詰所へと向かった。

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