第81話「切支丹の女」

 喜助きすけは敵陣の只中で出会った女の話を聞いていた。

 長い時間が経過したわけではなかったが、喜助は女が話している間、自身が居るその場所が敵陣である事を忘れて聞き入っていた。


 女の名は思議シギ

 思議は布教のために世界を回る宣教師、即ち伴天連ばてれんの娘であり生粋の切支丹キリシタンだった。父との布教の旅の道中で日本近海を通った際に乗っていた船が沈没した思議は、何の意図もなく偶々たまたま漂着するかたちで日本へと来た。その際、思議と同じく沈没した船に乗っていた切支丹の子供が三人、思議と共に日本へ漂着した。

 漂着した四人の切支丹は思議を除き皆がまだ十歳にも満たない年齢であり、その子供三人と思議はに助けられた事で生き延びた。そして、その者の助言により思議を含めた四人は名を変え、そのまま日本に残って暮らすことにした。その時にその者が付けてくれたのが思議と云う名であった。

 名を変えた理由は、当時の日本が切支丹や伴天連などは勿論、他の異国人に対しても非常に厳しかったが故の自衛手段だった。その厳しさは、仮に人前で思議の生来の名を呼んだならばそれだけで人目を引き、直ぐ様役人がやって来て連行される程である。

 それから数年間、思議達はその者の庇護下で安寧に暮らしていたが、やがて自らの意思でその生活から飛び出した四人は自分達の力だけで暮らし始めた。恩義を感じていたが故の自立であった。

 自立後、思議達は人目を引かぬ山中で四人で暮らしていたが、ある日、四人の中で一番年下の者が突如姿を消した。今から半年程前の出来事である。

 残された三人は人目を引かぬ暮らしを続けながらも消えた者の行方を追っていたが一向に掴めず、消えた者より一つ歳上の二人が思議に「恒河こうがを探しに行く」と云い残して思議のもとからいなくなった。その際、二人は自立する時に自衛のための最低限の武器として思議達を救ってくれた人物から与えられた自らの身の丈よりも長い五尺程の長さがある刀を其々それぞれに背にしていた。その二人は双子であり、まだ十一歳であったが二人共に刀の扱いに非常に長けていて、歴戦のつわものと比較しても遜色ない力量うでを有していた。この二人が思議の下からいなくなったのは一人目が行方知れずになってから約二ヶ月後のことである。

 それから更に一ヶ月後、思議は一向に戻らぬ侭の三人の血の繋がらぬ義弟妹きょうだいを探すために隠遁生活をやめた。

 そして、三ヶ月程掛けて思議は水戸藩がと関わっている事を突き止め、三人が水戸にいる可能性があると感じてこの日ここへ来た。


「───という理由ワケでス」


「…なるほどな。そんな事情があるなら尚更顔面のきずあとくらいで死ぬとか殺せとか云うんじゃねえよ」


「…この創跡キズアト形状カタチはワタシ達の宗教では絶対にあってはならないを示しているのでス…こんな創跡モノることを知られてしまったらワタシはもう神に合わせる顔がないのでス……」


 そう云った思議の顔には、右頬から唇辺りに走る横方向の創に額から右瞼の上を通って顎へと走る縦方向の創が重なり、はっきりとしたさかさ十字じゅうじを刻む創跡があった。

 逆十字…通常の十字は伴天連にとって象徴であり、を示すものであるのに対し、それをかえした逆十字が示すのは即ち、である。

 思議は日本へと漂着した直後に遭遇した暴漢によってその創を負わされ、それ以来ずっと人前では般若の面で顔を隠したまま一度も外したことがなかった。だが、その様な事情を知らぬ喜助は思議の装着していた般若の面を叩き割り、その上で顔の逆十字の創跡を見られまいと逃げようとした思議を組み伏せてそれを視たのだった。


「……すまねえ…」


 


 思議の心魂こころがそう云っている様に感じた喜助は思わず謝っていた。その言葉に思議は首を振り、喜助の責任せいではないと無言で応えていた。それは、喜助を役人の仲間と勘違いして問答無用で襲い掛かった思議にもまた責任があることを思議自身がわかっていたからであった。

 数秒の沈黙ののち、喜助が口を開いた。


「…思議しぎ、その創跡きずを隠そうとするお前の心境きもち、俺がわかろうとしてもわかるもんじゃねえ。…だが、俺はお前を殺さない。お前はその創跡きずのせいで神に合わせる顔がないから死にてえんだろ?だったらそんな神は捨てちまえよ。そんで…」


「ぶざけるナ!!そんなこと出来る筈ないだろウ!神への誓いはそんなに軽いものじゃないんダ!」


 思議は喜助の話を遮って怒鳴り付けた。


「そうかもな……だがな思議しぎ。俺はそんな創跡くれえで人に自責を感じさせる神や宗教なんて認めねえ。その創跡が逆十字だからなんだってんだ?俺に見られたからどうだってんだ?単なる創跡きずだろうが。他人ひとに見られたからって死ぬ必要なんざねえよ。…宗教かみを信じるお前の気持ちは認める。だが、死ぬのも殺すのも無しだ。お前がここで死んだらお前の義弟妹きょうだい達がどうなったか一生わからねえんだぜ?それを知りてえなら…それを知るという目的があるなら…せめて義弟妹きょうだい達の件の結論こたえが出る迄は生きろよな。……そんじゃあ俺は行くぜ。俺にも目的があるからな」


 そう云うと喜助は奥へと進んだ。



 それはまさしく喜助の想い、飾ることのない本心だった。

 約二ヶ月前、喜助はうつろの里で共に暮らしていた家族とも云える子供達をまもることが出来ずにその殆どをかどわかされ、更には一人を目の前で殺された。その時、喜助は自責の念から生きることを諦めた。しかし、喜助はすんでのところで空に生命いのちを拾われた。

 一度は生きることを諦めた喜助はそこから前を向き、現在いまここにる。辛い経験をしているが故に出た本心からの言葉、それが「目的があるなら生きろ」という言葉であった。

 喜助はこの時、空の里から拐かされた子供達が水戸藩に居る可能性を感じた。その理由は思議が語ったある事件の内容にあった。それは、関東以北で頻発している子供の拐かし事件だった。


 一方その頃…藩主代理の男を狙う慶一郎けいいちろう、地下牢にいると思われる役人二人を探す喜助、共に確固たる目的がある二人とは異なり、二人の行動を手助けする陽動こそが目的である義太夫ぎだゆうは───


「ぬええええええい!!やめんか!!こっちへ来るな!!もう我輩を追ってくるな!!」


 義太夫は辺りの空気を揺らす程の大声を上げながら必死の形相で走っていた。

 巨体に似合わず疾走する義太夫の少し後ろには五頭の犬がそれを追い、その更に後ろには多くの人間達がいた。無論、人間達は皆が水戸藩に仕える侍である。


「我輩は犬が苦手なのだ!!!犬だけは勘弁しろ!!!熊なら倒す!!!だが犬は無理じゃあっ!!!ぬええええええい!!!」


 犬に追い回された義太夫は誰に云うでもなく弱音を

 その犬達は訓練された軍用犬であり、義太夫を敵と認識して執拗に追い回した。この騒ぎは水戸城内を大いに混乱させ、慶一郎と喜助に向けた増援は義太夫へと向いた。

 義太夫は犬に追われて逃げ回ることで結果的に陽動を成したのである。

 かつて、太田おおた資正すけまさという人物がいた。

 資正はこの時代に軍用犬を用いていた稀有けうな人物であり、この時より二十年以上前の天正十九年に亡くなっている。だが、その資正が晩年過ごしたのは水戸城と同じく常陸国ひたちのくににある片野城だった。

 資正が犬に負わせた役目は主に伝令や帰陣の際の案内であったが、資正の死後から四半世紀程が経ち、常陸国の各地では試験的に犬を人追いに用いていたのだった。

 慶一郎、喜助、義太夫…三者三様に行動する三人の強者もののふ対水戸藩、黒闇くらやみの夜の戦はまだ始まったばかりである。

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