第82話「滅私奉公」

 慶一郎けいいちろうと女の身形をした男、二人の視線は一切逸らされぬままに男の話は続いていた。


「───それであたし達は自ら男を捨てたのよ。この子達は聴力もね」


 この子達という言葉を放つ瞬間、男は慶一郎の眼から視線を逸らし、慶一郎に斬られた直後に自害した二人を視た。


「…お前らは宦官かんがんということか?」


 宦官とは、古来より貴族や王族などの権力者に仕えるであり、去勢する理由は野心を取り除くためとされている。尚、日本の歴史に於いて宦官が存在していたという正式な記録は残されていない。


「馬鹿にしないでくれる?宦官は野心を持つ男に行うものよ。あたし達は最初はじめから野心なんてないわ。男を捨てたのは藩主代理あのお方のためよ」


「己ではなくあるじの為、か。忠義と云えば聞こえは良いが、お前らの主はそこ迄する程の者なのか?」


「忠義?ウフフ、そんな堅苦しいものではないわ。これは愛よ、愛。まあ、生娘のくせに男のふりをする貴女あなたにわからないのも無理はないわね」


「………」


「あらあら、怖い眼ね。貴女にとって自分が女である事は忌むべきことなのかしら?それとも愛など下らないって云いたいの?」


「そうではない。ただ少し気になっている。なぜお前らは一瞬で見破れた?」


「ウフフ、そんなこと気にしていたの?そんなの簡単よ。あたしは生まれつき、この子達は聾唖ろうあになってから眼が発達したの。あたし達の眼は人間の骨や肉付きを的確に捉えられる。いくら鍛えていても男か女かくらいわかるわよ」


「そうか。そういう者も居ることを覚えておこう」


「…貴女は本当に素直ね」


「素直で悪いか?」


「いえ、素直なのは素敵なことよ。羨ましい程にね……」


「一つ訊こう」


「なにかしら?」


「滅私奉公と云える程に全部すべてを捧げたお前らに対して藩主代理あの男は何を命じた?そうまでして公家くげに仕えたお前らは一体何をそうとした?」


 男の話を聞いた慶一郎は核心に迫った。

 男の口から語られた話の内容は以下の通りである。

 慶一郎が斬った二人、そして慶一郎の前に立つ一人、女の身形をした三人の男達はかつて公家に仕えていた。それは、あるじである藩主代理の男の指示であり、男が仮面を被る前のことである。

 武家社会とは異なる権力の焦点である公家社会に於いて、如何なる理由があろうとも外部の者がそこへ入り込むことは並大抵では為し得ない。何故ならみかどを始めとした公家の者達とその他の人々とは、文字通りからである。

 公家が暮らす世界に親族以外で立ち入れる者は帝が許可した極一部の者達のみであり、中でもそこへ暮らすことが許される者の殆どは生来より公家に仕える宿命を抱いて生まれた者達である。例え武家であっても帝の許可なく公家の暮らしへ干渉する行為ことは禁忌とされ、これを破り無断で公家の世界へ足を踏み入れた者は子供であっても容赦なく処刑される程に徹底した排他的領域であった。

 公家の世界とは、何人なんびと足りとも視てはならない、聴いてはならない、行ってはならない。そして、その内情を決して外界そと他言もらしてはならない世界なのである。

 これらを鉄則とした公家は親族を含めた公家社会の者達が外界と接触することを禁じ、何らかの理由により生来の宿命を持たぬ外部の者を仕えさせる際には必ずその者達の聴覚を奪い、その上で特殊な鍛練をさせて読唇術と発声を学ばせ、聾唖ろうあ者とは思えぬ程の対話術を身に付けられた者のみを仕えさせていた。

 聴覚を奪う理由は、視覚を奪ってしまえば仕える立場の者として不適合であり、尚且つ視覚による情報漏洩は比較的容易に遮ることが可能だが聴覚はそうではないためである。

 そして、一度公家へと仕えた外部の者は死体となる以外に元の世界に戻ることは許されなかった。

 こうして公家は自らの暮らす世界とその他の者が暮らす世界とを完全に遮断していた。

 その閉鎖された公家社会へと踏み入るために三人の内二人が聴覚を自ら捨て、三人共に自ら男性器を切り落として帝の信頼を得て許可を得た。無論、三人が公家社会へ入るために行われた行為ことはそれだけではなく、帝へ許可を得る際の橋渡しをした公家達へ膨大なを献上し、その上で更に公家に仇為す者達への粛清に加わる事でその忠義を示して信頼を得たのだった。

 私財を投じて三人の男達を公家社会へと送り込んだ男の目的とは…


「本当にわからない?察しはついているのでしょう?まあいいわ。教えてあげる。あたし達に与えられた任務はよ」


(やはりか…となるとこいつらの主である藩主代理の男の正体は反朝廷の人物か…帝を殺して一体何を……)


「あらあら、その眼はまだ話が聞きたいという眼ね。でもいいのかしら?急いでいたのではなくて?」


「…そうだな。続きはお前らの主から聞かせてもらうとしよう」


 慶一郎はそう云うと刀の柄を軽く握った。

 その瞬間、二人の間に流れる空気は重くなった。だが、男は慶一郎の示した戦闘の合図に応えず尚も口を開いた。


「残念だけどそれは無理よ…」


「お前が私を殺すから。…という意味ではなさそうだな」


「ええ。藩主代理あのお方はもう二度と言葉を発することが出来ないのよ」


「お前らの様に聾唖なのか?」


「違うわ。けど、その理由は教えられないわね。…で、どうする?まだ話が聞きたいかしら?に一向に増援が来ないし、今なら特別に詳しい話を聞かせてあげても良いわよ」


「………聞かせてもらおう。出来る限り手短にな」


「ウフフ、努力するわ」


喜助きすけ殿、義太夫ぎだゆう殿、二人共戦ってくれているのですね……)


 慶一郎の元へ増援が来ない理由は別行動をしている喜助と義太夫のお陰であることを慶一郎はわかっていた。

 そして、慶一郎は二人のお陰で出来たこの時間に詳しい話を聞くことにした。

 嘗て、三人の男達は自らの主から帝の暗殺を命じられていた。だが、それはある人物に阻まれたことにより失敗に終わった。


「あれはもう三十年以上前になるわ。あたし達がまだ貴女くらいの年齢としの頃よ」


 時は、三十年あまり遡る───

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