第79話「詰所襲撃」

 慶一郎けいいちろうが三人の男達と対峙した頃、喜助きすけは事前に入手していた情報から城内にある詰所に奇襲を仕掛けていた。

 この詰所は水戸の治安を維持するという名目で設立された役人専用の宿舎であり、昼夜を問わず常時数十人が交代で待機して有事に備えていた。

 これは藩主代理となった男が提案して設立されたものであり、詰所にいる役人により日中の取り締まりは勿論のこと、夜間に無断外出をしている者達は容赦なく取り締まられ、役人によって金品を奪われた上に詰所内にある地下牢へ投獄されるか、時にはその場で問答無用で殺されていた。


「おらおら退きやがれ!あの二人がここにいるってことはわかってんだ!邪魔すんなら怪我じゃ済まねえぞ!」


「何をしている!相手は単独ひとりだぞ!撃て!撃ち殺せ!」


「この暗さで火縄など当たるわけがありません!」


「馬鹿者!奴はことごとく当てておる!」


「奴が異常なのでございます!」


 というこの言葉はある意味では正しい。

 通常ならば夜間に於いて弓や銃で的確に敵を狙撃するなど出来ることではない。況してやこの日は暗闇くらやみ超越こえ黒闇くらやみに包まれた夜である。

 その黒闇くらやみの中で明かりも持たずに動き回る者を撃つのは至難であり、実戦経験のない形だけの武士である水戸藩の役人にそれが出来る筈がなく、それを当たり前にこなす喜助は彼らにとって異常だった。

 だが、喜助にとってそれは異常ではない。喜助は山育ちで夜目が効く上に実戦を積んだ弓術の達人である。そして、喜助は聴覚も並外れている。

 喜助は黒闇くらやみの中でも眼と耳で敵の位置を把握する事が出来ており、的の位置と天候さえわかっていれば瞼を閉じてもそれを射抜くことが出来る喜助にとってはこの程度の行為は造作もなかった。況してや喜助は明かりを灯していなくとも詰所には明かりが灯されているため、喜助側からならばある程度見通しが効いていた事も喜助の後押しとなっていた。

 しかし、それらを知らない者にとって、当てるのが困難な条件で的確に射抜き続ける喜助の矢は、魔喧まやかしが放つ呪われた魔矢まやの様に思えた。

 こうして喜助は機先を制して優位に立ち、一矢いっし一倒いっとうで相手を確実に行動不能にしながら歩みを進めていた。

 しかし、それでも相手の数が減る気配はなかった。


「ぐぬううう…打って出よ!この様な狼藉を許してはならん!数で押し潰せ!」


「へへっ。打って出るのは歓迎するが大人しく射抜かれておけよ。今日の矢は少し細工がしてあるが死なねえ様にしてやるからよ。…しかし、減らねえなあ。まるで蜂の巣をつついたみてえに次々と群がってきやがる」


 喜助は小さな声でたのしそうに呟いた。

 確かに喜助は愉しかった。うつろと共に旅していた頃に行っていた戦闘とは規模の異なる、それもたった三人で城を攻めるという圧倒的に不利な戦を初めて体験した感覚に心が躍っていた。

 この戦闘たたかいは紛れもなくいくさである。

 総大将を慶一郎けいいちろうとし、それに喜助きすけ義太夫ぎだゆうの二人を合わせた総勢三人の慶一郎軍対水戸城に駐屯する水戸藩軍、この多勢に無勢という言葉で云い表すにはあまりにも差がある戦に身を置いた喜助は今まで得た武術を存分に披露していた。

 だが、殺戮行為はしていなかった。

 この日の喜助はのない矢を用い、その先端にはガマの油から抽出した痺れ薬を塗り、それを肩口や腕に当てる事で相手を殺すことなく戦闘不能にしていた。

 殺す事を自ら覚悟して攻める慶一郎、敢えて不殺ころさぬ事を決めた喜助、二人は二人共に自らの想いでそれを決断きめてこの戦に挑んでいた。

 無論、喜助が行っているのは飽くまでも気遣いであり、絶対に殺さないというわけではない。しかし、この日の喜助はその気遣いを貫くことを誓っていた。

 その理由は、慶一郎が水戸を獲ると宣言した以上、獲った跡に死人しびとが転がるだけの状態では意味がないと考えた故の誓いだった。


「いけえええええ!!あの狼藉者を討ち取れええ!!」


 詰所の内外から駆け付けた大勢の者達が喜助を殺そうと次々と襲い掛かった。

 その渦中で喜助は躍動した。

 走りながら矢を放ち、矢を放つとまた走って距離を取りつつ矢を放った。闇を背にして同化し、闇を味方にして戦った。

 三つ担いできたえびらの中にあった百本近い矢を討ち尽くした頃、喜助は役人達の隙を衝いて詰所内へ潜入した。


「ふぅ…はぁ…くぅ……こいつら何人いやがんだ?矢が無くなったってことは九十六人は倒したが、まだまだ減る気配がねえ。それどころかどんどん集まってきてやがる。義太夫ぎだゆうのおっさんはちゃんと陽動あばれてくれてんのか?…おっと、いけねえいけねえ。仲間を疑うなんて下の下だ。おっさん、慶一郎けいいちろう、死ぬなよ……」


 喜助は乱れた呼吸を整えながら同じく城内で戦っているであろう慶一郎と義太夫の身を案じた。

 そして、凡そ三十秒の休息の後に目的地となる詰所の地下を目指して進み出した。


「ちっ…外に打って出てきたから中は手薄かと思ったが、結構居やがんな。この分だと地下牢に着くまでにあと百人くれえいるんじゃねえか?」


 喜助は詰所内にある地下への入口を探す間に六人と遭遇し、そのことごとくを気絶させて行動不能にした。

 自身が外で戦闘を行った事により詰所内は通常よりは手薄になっていたが、地下牢があるが故に完全な無人というわけにはいかなかった。


「入口はどこだ?もたもたしてたら中に入ったのがばれちまう。そうなったら本当に万事休すだな…囲まれて炮烙ほうろく玉か火縄の一斉射撃で終わり、だな。…くく、やっぱ城攻めなんて三人でするもんじゃねえよ。こんな真似、早雪さゆきなら慶一郎けいいちろうには絶対ぜってえさせねえだろうな。これがばれたら間違いなくぶん殴られるな…痛そうだから黙っておこう」


 喜助は独り言を呟きながら地下への入口を探していた。


『城攻めなんて三人でするもんじゃねえ』


 喜助のこの言葉は慶一郎が水戸獲りを宣言した時に云った言葉だった───


「私は今夜全ての元凶となった領主代理の男を斬ることで男を水戸へと送り込んだ徳川への宣戦布告とします」


 この宣言はあまりにも無謀であった。

 水戸を獲る、即ち領地を奪い獲るという事は単に領主を暗殺するのではなく、殺した上で自らの領地にするという事である。

 まさしく一騎当千の慶一郎の武を以てすれば暗殺は不可能な事ではないとしても、領地を奪い獲ることは一筋縄ではいかない。

 そんな慶一郎の宣言に疑問を投げ掛けたのは喜助だった。


「おいおい、斬るったってどうすんだよ?相手は代理とは云え藩主だぞ?城内に入り込んだとして兵の数もわからなけりゃ居場所もわからねえ。流石に無理だろ?」


「無ではありません。無茶ではありますが理はあります」


「おめえはまたそんな思わせ振りな物云いしやがって。やるにしたって俺達は三人しかいねえんだぞ?せめて何日か間を空けて計画を練りながら協力者を集めてだな…」


「ふふ。三人では不可能だから止めろ。計画を練ってからにしろ。喜助きすけ殿はそう思いますか?」


「たりめえだ。城攻めなんて三人でするもんじゃねえだろ。それに相手の兵の数やどんな使い手がいるかもわからねえ状態ままで突っ込む馬鹿がどこにいやがる」


「そう、三人だけで城を攻めるなんて馬鹿はいない。それこそが我々の理です」


「あん?」


「…うむ。流石は立花たちばな殿、戦闘の本質を本能的に見抜いておるな。戦闘に於いてまことに相手の虚を衝くには通常はあり得ない事をするのが定石だ。よし!この話、我輩は乗ったぞ!水戸へ戻ったら早速準備じゃ!!」


 喜助には慶一郎の言葉の意味がわからなかったが義太夫は即座に理解した。


「ぐぁ…急にでけえ声出すなおっさん!まだ慣れてねえんだからよ」


「おお、すまぬ。して喜助きすけ、貴殿はどうする?乗るのか?乗らぬのか?」


「………ちっ!乗るに決まってんだろ!おめえら二人だけでそんなさせられっかよ!誰もが想像すらしねえたった三人だけでの城攻め…もはや成否は問わねえ!やってやるぜ!」


「いえ、喜助きすけ殿。成功させなくてはなりません。そして、成功した暁にはこの水戸の地を豊臣の子孫が獲った事を宣言します」


 慶一郎はこの言葉の後、喜助と義太夫に自らの身に流れる宿命、豊臣の血を継ぐ者であることを明かした。

 そして、最後にこう云った。


「私は豊臣の血を継ぐ者として徳川の世を覆そうというわけではありません。ただ、現状の徳川の統治では虐げられて泣く弱者ものがあまりにも多い。私はそれを変えたい。…以前はそこ迄深くは考えていませんでした。宿命に導かれて運命に流される様に真田へ協力しようと考えました。しかし、現在いまの私には虐げられる人々を救いたいという確かな欲望ねがいがあります。これからの私は自分自身の心魂こころに従い、信繁のぶしげ殿と道を共にして新たな世を創るために修羅道を歩みます。…そして、それが実現した時、その世が徳川の世と比べてしき世であると判断されたならば、私は胸を張ってその世を創った愚者として悪名を遺しましょう。……二人共、私の欲望ゆめに付き合ってくれませんか?」


 慶一郎の言葉に対する喜助、そして義太夫の返事は同一おなじだった。


 ───今日死ぬかも知れないわりには存外愉しい。


 戦の渦中で喜助は自らの死を意識しながらも終始愉しくて仕方がなかった。

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