第61話「男の正体」
慶長十九年四月二十九日。
「それで?結局あなたはどう解決するつもりですか?」
「さあな…」
(あの子が
慶一郎は自らの置かれている状況を真っ直ぐに受け入れ、その対策を練っていたが、それを男に話そうとはしなかった。
その慶一郎の態度が男を怒らせた。
「さあな!?その様な無責任な事を云うのはお止めください!あなたはこれから…!!」
男は何かを云おうとしたが途中で言葉を
「…ともかく、何らかの決着をつけなければあなたは京に居られなくなる可能性もありますよ?あの
「…なるほど、その数千人の人間を動かすことも可能な
「!!!……曇らせた、とは?」
慶一郎の放った「曇らせた」という言葉に男は驚き、その意図を訊こうとした。
その時の男の眼はまるで慶一郎の
「その
「…辛辣ですね。ですが、なぜあの男が元武士だと思うのですか?」
「あの男が小太刀を抜いた瞬間の気配からそう感じた…」
「感じた?」
「ああ。正確にはあの男が小太刀を手にした瞬間、この男は違うと感じた。生まれながらの破落戸とは纏う気配が別物。異質な気配だった」
「あの一瞬でそこまで見抜くとは…なるほど、あなたは本物だ」
男は慶一郎の話を聞くと、どこか納得した様子で慶一郎を見た。その男の眼差しは清らかだった。
(まただ。この男の眼差しには悪意を感じない…近くで感じるとむしろその逆、敬意さえ感じる。この男は一体何者だ?)
慶一郎は目の前にいるその男を信用はしていなかったが、送られる視線に不信感は抱かなかった。
「さて…
(この男!なぜ私の名を!?)
男は不意に立ち止まり、慶一郎に対して男が知る筈のない慶一郎の名を呼んだ。
そして、男は手にしていた刀を鞘へ納めると慶一郎の正面に立ち、
「
男は潮であった。
潮は慶一郎に自らの名を名乗り、事の経緯を説明した。
その説明はこうだった。
この日、慶一郎と逢う予定だった人物とは潮であり、潮は
それは、一人の少女と一人の侠客を使った狂言であった。
目の前で破落戸に絡まれる少女がいた時、慶一郎がどうするのか、潮はそれを自らの眼で確かめたくて事件を仕組んだのだった。
(全ては最初から仕組まれていた事とは…私は余りにも間抜けだな…)
「…なぜ、この様な真似を?」
最初から仕組まれた事と知った慶一郎は騙された怒りよりも自身の甘さを胸に抱き、その甘さに漬け込む様な真似をした潮を責めようとはせず、その真意を訊こうとした。
「真田のため。…これでは納得して頂けませんか?」
潮にとってこれが全ての答えだった。
潮は真田のために敢えて慶一郎を試し、真田の描く世に生きる人々のためにそれを行ったのである。
その結果として慶一郎と潮の関係に何か
「
真田のため。
その言葉で慶一郎は潮自身を悟った。
たった一言で潮という男にある信と義の心を悟り、潮により仕組まれた一連の出来事の全てを受け入れ、慶一郎は潮への警戒を解いた。
その証拠に慶一郎の口調は既に
そして、全てを受け入れた慶一郎は僅かに抱いていた疑問の内の一つを潮に投げ掛けた。
「
「何でしょう?…っと、囲まれてしまいましたね」
少し前に立ち止まったことにより二人は追手に追い付かれ、会話をしている間に完全に包囲されていた。
無論、追手は町人ばかりであり、武器ですらない武器を手にした追手の中に慶一郎や潮を止められる者などなく、この包囲は無意味と云えた。
事実、慶一郎と潮は立ち止まって会話をしていたが、囲む者達は慶一郎と潮が逃げ回る間にその
「あの男…
「それは…」
「それに関しては俺が答えよう!!」
慶一郎の問いに答えようとした潮の言葉を遮り、二人の会話に割り込む大声が辺りに響いた。
「
慶一郎は思わず呟いていた。
二人の会話に割り込んだのは義太夫であった。
「いかにも
義太夫はそう云うと手にしていた百両程の金を辺りにばら蒔いた。
義太夫の宣言により、この一件の決着は義太夫、慶一郎、潮の三者によりつけられることになった。
(
慶一郎はこの日、二人の男に出逢った。
一人は慶一郎の身の上を知り、自身の仕える真田にとって慶一郎が必要であると感じ、早雪と共に慶一郎を探していた潮。
潮は早雪が慶一郎と出逢った時と同様に、出逢いを演出し、それを偽りなく打ち明けることで慶一郎の心を解かした。
そして、もう一人は阿武隈義太夫。
この男は潮とは異なり、慶一郎の身の上を一切知らず、真田の人間でもなかった。
義太夫は潮とは旧知の仲であり、その潮から今回の件を頼まれ、それを実行しただけだった。
これが、慶一郎と潮の出逢いであり、慶一郎と義太夫の出逢いだった。
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