第61話「男の正体」

 慶長十九年四月二十九日。


 慶一郎けいいちろうは色町にいた。

 成行なりゆきで一人の男と共闘することになった慶一郎は、立ちはだかる町人や破落戸を怪我をさせぬ程度の力による峰打ちや、相手の武器を斬ることでそれを退けながら走り続けると共に、その男と会話を続けていた。


「それで?結局あなたはどう解決するつもりですか?」


「さあな…」


(あの子が色町ここから逃げ切ることが出来ればこの先はどうとでも出来る。端から私は賞金首なのだから今更役人に根回しをされたところで何も問題はない、…いや、この事がきっかけとなって早雪さゆき殿が借りているあの家に私が居ることが知れたら面倒なことになるか…たが、今回の件は相手を斬ってどうこうなる話ではない。さっきの男ともう一度会わなくてはならないな……)


 慶一郎は自らの置かれている状況を真っ直ぐに受け入れ、その対策を練っていたが、それを男に話そうとはしなかった。

 その慶一郎の態度が男を怒らせた。


「さあな!?その様な無責任な事を云うのはお止めください!あなたはこれから…!!」


 男は何かを云おうとしたが途中で言葉をめ、冷静な態度で再び口を開いた。


「…ともかく、何らかの決着をつけなければあなたは京に居られなくなる可能性もありますよ?あの阿武隈あぶくま義太夫ぎだゆうという方は京都所司代でさえ逆らえない程の人間です。その気になれば数百人から数千人の人間を動かすことも可能なのです」


「…なるほど、その数千人の人間を動かすことも可能な権力ちからがあの男をのか」


「!!!……曇らせた、とは?」


 慶一郎の放った「曇らせた」という言葉に男は驚き、その意図を訊こうとした。

 その時の男の眼はまるで慶一郎の心魂こころの奥底を確かめるような眼だった。


「そのままの意味だ。あの男は曇っている。だが、昔はそうではなかった筈だ。…恐らくあの男は元武士だろう。それも、誰から見てもまことの武士であると感じられる程の男だったのだろう…しかし、何があったのかはわからぬが、現在いまのあの男は目的を失いながらも未だ有り余る権力ちからを維持し、それによって心魂こころが曇ってしまっている。かつて自らの武に込めていたこころざしも腐り、あの男はもはや破落戸ごろつきと変わらない……」


「…辛辣ですね。ですが、なぜあの男が元武士だと思うのですか?」


「あの男が小太刀を抜いた瞬間の気配からそう感じた…」


「感じた?」


「ああ。正確にはあの男が小太刀を手にした瞬間、この男はと感じた。生まれながらの破落戸とは纏う気配が別物。異質な気配だった」


「あの一瞬でそこまで見抜くとは…なるほど、あなたは本物だ」


 男は慶一郎の話を聞くと、どこか納得した様子で慶一郎を見た。その男の眼差しは清らかだった。


(まただ。この男の眼差しには悪意を感じない…近くで感じるとむしろその逆、敬意さえ感じる。この男は一体何者だ?)


 慶一郎は目の前にいるその男を信用はしていなかったが、送られる視線に不信感は抱かなかった。


「さて…慶一郎けいいちろう殿、義太夫ぎだゆう殿と話をつけに行きましょう!」


(この男!なぜ私の名を!?)


 男は不意に立ち止まり、慶一郎に対して男が知る筈のない慶一郎の名を呼んだ。

 そして、男は手にしていた刀を鞘へ納めると慶一郎の正面に立ち、身形みなりを整えてこう云った。


立花たちばな慶一郎けいいちろう殿、私の名はうしおです。故あってあなたを試しました。その非礼は後程改めて謝罪します。ですが、ここは一先ず私に従ってください」


 男は潮であった。

 潮は慶一郎に自らの名を名乗り、事の経緯を説明した。

 その説明はこうだった。

 この日、慶一郎と逢う予定だった人物とは潮であり、潮は早雪さゆきを通じて聞いていた現在の慶一郎の人柄、即ち慶一郎自身をもう一度確かめるべく事件を仕組んだ。

 それは、一人の少女と一人の侠客を使った狂言であった。

 目の前で破落戸に絡まれる少女がいた時、慶一郎がどうするのか、潮はそれを自らの眼で確かめたくて事件を仕組んだのだった。


(全ては最初から仕組まれていた事とは…私は余りにも間抜けだな…)


「…なぜ、この様な真似を?」


 最初から仕組まれた事と知った慶一郎は騙された怒りよりも自身の甘さを胸に抱き、その甘さに漬け込む様な真似をした潮を責めようとはせず、その真意を訊こうとした。


「真田のため。…これでは納得して頂けませんか?」


 潮にとってこれが全ての答えだった。

 潮は真田のために敢えて慶一郎を試し、真田の描く世に生きる人々のためにそれを行ったのである。

 その結果として慶一郎と潮の関係に何かきずを残すものであっても、潮は自分自身の眼で慶一郎を視て、その心魂こころで慶一郎を感じたかった。


うしお殿…あなたはまことの忠臣なのですね」


 


 その言葉で慶一郎は潮自身を悟った。

 たった一言で潮という男にある信と義の心を悟り、潮により仕組まれた一連の出来事の全てを受け入れ、慶一郎は潮への警戒を解いた。

 その証拠に慶一郎の口調は既に普段いつもの口調に戻っていた。

 そして、全てを受け入れた慶一郎は僅かに抱いていた疑問の内の一つを潮に投げ掛けた。


うしお殿、あなたに一つだけ訊きたいことがあります」


「何でしょう?…っと、囲まれてしまいましたね」


 少し前に立ち止まったことにより二人は追手に追い付かれ、会話をしている間に完全に包囲されていた。

 無論、追手は町人ばかりであり、武器ですらない武器を手にした追手の中に慶一郎や潮を止められる者などなく、この包囲は無意味と云えた。

 事実、慶一郎と潮は立ち止まって会話をしていたが、囲む者達は慶一郎と潮が逃げ回る間にその実力ちからを見せられていたため、囲むだけで他に何も出来ていなかった。


「あの男…義太夫ぎだゆうという男は、ともすれば私に殺されていた。あなたはそれをどう考えていますか?」


「それは…」


「それに関しては俺が答えよう!!」


 慶一郎の問いに答えようとした潮の言葉を遮り、二人の会話に割り込む大声が辺りに響いた。


阿武隈あぶくま義太夫ぎだゆう…」


 慶一郎は思わず呟いていた。

 二人の会話に割り込んだのは義太夫であった。


「いかにも阿武隈あぶくま義太夫ぎだゆうだ!お前の疑問、俺様が答えてやる!だが、ここでは人が多すぎる!そこの店に入って話そうか!店主、店を借りるぞ!そして皆の衆!ご苦労であった!この者達の身柄は確かに俺様の元へ届いた!後は俺様が独りでをつける!皆はこの金で好きに呑んでくれ!」


 義太夫はそう云うと手にしていた百両程の金を辺りにばら蒔いた。

 義太夫の宣言により、この一件の決着は義太夫、慶一郎、潮の三者によりつけられることになった。


阿武隈あぶくま義太夫ぎたゆうか、この男は奇妙おもしろい。これだけの数の町人や破落戸を纏められる器量の大きさは即ち、戦に於いての武人を纏める器量に繋がる。武士をやめて尚もこの統率力、もっと早く…武士をやめる前に出逢ってみたかった……)


 慶一郎はこの日、二人の男に出逢った。

 一人は慶一郎の身の上を知り、自身の仕える真田にとって慶一郎が必要であると感じ、早雪と共に慶一郎を探していた潮。

 潮は早雪が慶一郎と出逢った時と同様に、出逢いを演出し、それを偽りなく打ち明けることで慶一郎の心を解かした。

 そして、もう一人は阿武隈義太夫。

 この男は潮とは異なり、慶一郎の身の上を一切知らず、真田の人間でもなかった。

 義太夫は潮とは旧知の仲であり、その潮から今回の件を頼まれ、それを実行しただけだった。

 これが、慶一郎と潮の出逢いであり、慶一郎と義太夫の出逢いだった。


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