第30話「悔恨」

「―――その日の昼、我は情報を得るために再び米沢に行った。そして、我は前日に会っていた男にこの件を話した。無論、その時は何の情報も得られなかったが、責任を感じたその男から何か情報が入ったら我に知らせると云われた。…それから既に一月ひとつき余が経ったが、未だ何一つ情報が得られぬ。我らと共にここで暮らしていた子供達はどこで何をしているのか…生きているのかすら全くわからぬ。…何もわからぬまま我はここにいる」


 うつろの口から語られた話の内容に慶一郎けいいちろうは何も云わなかった。慶一郎は何も云えなかった。

 まだたった一ヶ月程しか経っていないその出来事に慶一郎は深い悲しみを感じた。その出来事の当事者である空の胸中を想うと何も云うことが出来なかった。


うつろ殿、あなたは本心ではすぐにでもここを出て自ら子供達を探しに行きたいのですね…でも、あなたはそれが出来ないのですね……)


 慶一郎は空の胸中が痛みを伴う悔恨かいこんで満たされていると感じた。本心では里から出て情報を集めたい筈の空が里に籠っていること、その理由は深い後悔だと感じた。


『あの日、我が里を離れていなけ…あの日、我がもう少し早く戻ってい…あの日、我が…あの日…あの日…我が…我が…我が………』


 慶一郎は空が物事に対して仮定を加えることを好むとは思えなかったが、この件に関しては空が既に起きた自らを責め続けているのだと感じた。

 自らを許せないからこそ空がその本心を抑え、一ヶ月経った現在いまも里にいるのだと感じた。

 そして、紙一重で救うことの出来た二人、紙一重で救えなかった一人、自身と同じ様に重い悔恨と自責を負わせてしまった一人、その四人を想うからこそ空は里から出ずに留まっているのだと感じた。

 慶一郎は空の心の痛みが、空の悲しみが、空の優しさがわかった。

 慶一郎は空の心の中に鬼助を含めた里の子供達への深い愛を感じた。


うつろど…」


うつろおじちゃーん!みてみてー!これ早雪さゆきおねえちゃんがくれたの!」


「ぼくのもみてよ!ほら!」


 慶一郎が口を開いた丁度その時、早雪さゆき追合おにごっこをしていた二人の子供達が空と慶一郎の元へ戻ってきた。

 二人は其々それぞれ手首に朱色の紐を結んでいた。結ばれたその紐は通常の紐よりも幅が広く、着物の帯の様な形状をしていた。

 この紐は俗にと呼ばれる物であり、平安時代末期頃から武家に好まれて使われているである。


さくら佐助さすけ。よく似合っているぞ。呉々くれぐれも大切にな」


「うん!」


「わかってるよ!」


 二人は返事をするとすぐにまたその場を離れて里の中を走り回っていた。二人はあの日、行方ゆきがた知れずになる寸前で空が救った桜と佐助である。


「まさか紐一本でこんなに喜んでくれるとは思わなかった。少し悪戯いたずら好きなだけで根は素直で良い子達なのだな」


 桜達と一緒に戻ってきた早雪が再び走り回っている二人の姿を見ながら云った。

 早雪は空と慶一郎が座っている場所のすぐ近くに腰を下ろすと、追合をする前に桜に解かれた髪をい直し始めた。

 髪を結う早雪のその手には、桜に奪われた髪紐が、真田紐があった。その真田紐は臙脂えんじ色に白い文銭が六つ印された物だった。


早雪さゆき、すまぬな」


「…何の話だ?矢を射った件か?それならもう気にしなくていい。少し動いたらそんな小さな事はどうでも良くなった。私はこうしてまだ生きているし、私にも慶一郎けいいちろう殿にも怪我はない。ならそれでいい。走り回っている内にそう思った。子供と共に辺りを少し走り回っただけで私の中にあったわだかまりは消えた。ふふ、子供とはまことを持つ者なのだな」


 早雪は髪を結いながら空にそう云った。

 その時の早雪の表情は柔らかく、既に空や鬼助きすけに対する負の感情は消え去っていて、まるで慈愛に満ちた母親の様な表情だった。


早雪さゆき、我が云ったのは…」


「なんだ?」


「…いや、何でもない。感謝する、早雪さゆき


うつろ、私は貴様に…いや、あなたから感謝される筋合いはないのだが?」


 早雪は空が感謝すると云った理由をわかっていなかった。

 しかし、それを云われた時の空の雰囲気と纏う気配に、自分に対しての敬意を感じた早雪は、空に対して尊大な態度や口調で接することをやめた。


早雪さゆき、汝に筋合いはなくとも我は汝に感謝している。すまぬな、早雪さゆき。…違うな。他人ひとに感謝を伝えるならば、その言葉は……ありがとう、早雪さゆき


「なっ!?急に何を!?…慶一郎けいいちろう殿、一体何を話したのですか?意味もわからず急にありがとうなどと云われても困るので理由わけを説明してもらえませんか?」


「私にも理由はわかりませんが…早雪さゆき殿が素敵な女性ひとだからだと思います」


「なっ!?慶一郎けいいちろう殿!?」


 早雪は自分に対して礼を云った空と、自分のことを素敵な女性ひとと云った慶一郎の真意がわからなかった。ただ、二人が自分を馬鹿にしてからかっているわけではないことだけはわかっていた。

 空が早雪にありがとうと云った理由、その理由は桜と佐助にあった。

 里に暮らしていた二十人以上の子供達の中で桜と佐助と力丸りきまるの三人だけが行方知れずにならなかった。

 行方知れずにならなかった三人の内、力丸は絶命してその肉体と心、生人きびととしての全てを失い死人しびととなった。桜と佐助の二人は肉体こそ失わずに戻ったが心は完全には戻っていなかった。

 あの日、鬼助きすけと力丸の亡骸と共に里へ戻った二人は里に着くとすぐに眠ってしまった。二人が起きたのは鬼助が力丸の埋葬を終え、里に転がる山賊達の死屍しかばねを片付けた後だった。

 目を覚ました二人はあの日の出来事を

 そして、目を覚ました二人の心からは楽しいという感情が失われていて、二人の顔から笑顔が消えていた。

 それ以来、桜と佐助が笑顔を見せたのはこの日が初めてだった。

 早雪はその事実を知らぬまま、出逢って間もない二人の子供達の顔に消えていた笑顔を、二人の子供達の心に失われた楽しいという感情をもたらした。

 早雪は何もしていなかった。

 早雪は空と語り合おうとしただけだった。

 早雪はただそこに居ただけだった。

 特別なことは何もしていない早雪が、早雪の存在そのものが子供達に笑顔をもたらし、桜に早雪の髪紐を奪わせ、桜と佐助に早雪と追合をさせたのであった。

 それを見た空は、早雪の放つ気が、早雪の根底にあるが、早雪の心の中にあるが、子供達を笑顔にする要因となったのだと悟った。

 子供達を笑顔にした早雪の持つ何かが何なのか、なぜ早雪は何もせぬままに子供達を笑顔に出来たのか、その理由は空にはわからなかった。

 しかし、空は早雪が桜と佐助に笑顔を取り戻してくれたこと、その事実だけを真っ直ぐに受け止めて感謝し、早雪にありがとうと云った。

 空は心の底から早雪に感謝し、早雪にありがとうとのだった。

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