第31話「小さな襲撃者」

 慶長十九年五月二十一日。


「おい待てよ。おいってば!」


「なんですか?私はなんて名前ではないのですけど、もしかしてそれは私に呼び掛けているのですか?」


「…早雪さゆき殿、そろそろ許してあげてはどうですか?鬼助きすけ殿もわざとではなかったと云っていますし」


 慶一郎と早雪はうつろの里を出発し、里がある山のすぐ隣にある山、その山頂を目指していた。

 そこにはあの日、空が壊滅させなかった残り二つの山賊の棲処の内の一つがある。

 そのことを空から教えてもらった二人は昨日の内にそこへ向かおうとしたが、さくら佐助さすけが引き留めたため、里に一日だけ泊まり、朝になってから鬼助と共に三人で里を出た。

 鬼助は道案内と山賊に対する牽制役として二人に同行していた。その鬼助に対しての早雪の態度は明らかに悪く、口調は他人行儀で刺々しいものだった。


慶一郎けいいちろう殿、世の中には例え故意でなくとも許されぬ事があるのです」


 それは今朝、里を出発する前の出来事だった―――


慶一郎けいいちろう殿。昨日は予定の変更を余儀なくされましたが、うつろ殿の情報のお陰で山賊の棲処もわかりました。後はあの影の主と山賊の関係を調べるだけですね」


「はい、早雪さゆき殿。うつろ殿の話では恐らく二人は伴天連ばてれん…南蛮人の可能性が高いです。山賊があの二人と関わっているのならば、情報を得ることは難しくないでしょう」


 慶一郎と早雪は空から与えられた家で一晩を過ごし、日の出と共に起きてこの後の行動を話し合っていた。

 その最中、空に頼まれた桜と佐助が慶一郎を呼びに来た。


けいにいちゃん、うつろおじちゃんがよんでるよ!」


うつろおじちゃんね、慶一郎けいいちろうおにいちゃんにたいせつなはなしがあるっていってた!」


 二人はそう云うと朝食の準備があるからと云ってすぐに戻っていった。


「大切な話…早雪さゆき殿、私はうつろ殿のところへ行ってきますので、先に準備をしておいてください」


「わかりました。………出る前に晒布さらしを巻き直しておくか」


 早雪は慶一郎が部屋を出たのを確認すると着物を脱ぎ、胸に巻いていた晒布を一旦ほどき、改めて巻き直そうとした。

 その時だった。


「おい!お前ら!朝飯の話なんだが、お前らはきじの肉は平気か?さっき仕留めてきたんだが、鳥の肉は喰わねえって奴も多いらしいか…ら……!!!」


「!!!…………なななな、何を見ている!さっさと出ていけ!この破廉恥はれんち男!死ね!」


「うおっ!?あぶねえ!てめえ何しやが…うおっ!ちっ!くっ!…わかった!出ていくから!出ていくから投げんのやめろ!」


 早雪の着替え中に鬼助が朝食の話をするために部屋へ入ってきた。裸を見られた早雪は脱いだ着物を拾い上げ、たもとに仕舞ってあった小刀を鬼助に向けて次々と放っていた。


 ―――この出来事によって早雪は鬼助に対して不快感を抱き、それをあらわにしていた。


「けっ!何が許されぬ事だよ。間違って着替え中に戸を開けちまっただけじゃねえか。別に俺だってお前の裸なんて見たくて見たわけじゃねえよ!」


「なっ!?なんですかその云い方は!大体あなたは声も掛けずに戸を開けただけでなく私にろくに謝りもせず…」


「まあまあ、早雪さゆき殿、落ち着いてください。そろそろ見張りの者が現れるかも知れませんから襲撃に備えてください」


 そう云ってなだめる慶一郎に早雪は渋々従った。三人は既に山腹付近まで来ていたが、山頂に棲処があるという山賊は未だに一人も姿を見せていなかった。


早雪さゆき殿。昨日の子供達と遊ぶあなたの姿。そして今、不機嫌そうにしているあなたの姿。その姿を見て、私はやっとあなたと少し打ち解けられた気がします)


 慶一郎は早雪を宥めながらそう思った。

 慶一郎は今日初めて見る早雪の不機嫌な姿や昨日初めて見た早雪が子供と遊ぶ姿、出逢ってから一ヶ月程が経って初めて見た早雪の有りの侭の姿、それを見られたことが嬉しかった。

 戦いを伴う怒りや悲しみという感情や、自身に対する使命感や武家の娘の誇りを抱いて凛然とした早雪ではなく、日常におけるほんの些細な出来事で不機嫌になる早雪という女性の有りの侭の姿が慶一郎には新鮮であり、その姿を見せてくれたのが嬉しかった。

 そのきっかけは鬼助であり、桜と佐助であった。

 甚五郎じんごろうと二人暮らしだった慶一郎にとって、普通の日常、そして普通の日常に伴う感情の起伏を見るのは新鮮な事だった。


「よし!この辺でいいだろう。じゃあ俺が先に行って話付けてきてやるからお前らはここで待ってろ」


「………鬼助きすけ殿、その必要はなさそうです。二人共、急ぎましょう!」


 山腹を少し過ぎた時に鬼助が一人で山賊に会談の申し込みに行こうとしたが、慶一郎はそれを必要ないと云い、同時に山頂を目指して走り出した。

 早雪と鬼助は何が起きたかわからないままそれを追った。


(この気配…間違いない、山頂にあの二人がいる)


 あの二人、それは二つの影の主である。

 慶一郎はこの時、山賊の棲処があるという山頂付近から発せられる影の主の気配を、殺気を感じ取っていた。


「おい!慶一郎けいいちろう!急にどうしたってんだ!なっ!?こいつは…!?」


「この死体の山は…!?慶一郎けいいちろう殿、これはまさか…!?」


 鬼助と早雪は走り出した位置から少し進んだ所で急に周囲に転がり始めたおびただしい数の死屍しかばねを見て其々それぞれに驚きを隠せなかった。

 鬼助はその死屍の数の多さに、早雪はその死屍の状態に驚いていた。死屍は山頂に近づくに連れて増えていき、その全てが頭と胴を剄部から上と下に両断されていた。


「はい!あの影の主の仕業です!ます!恐らく二人は既に山頂に到達しています!」


 三人は山道を、道無き道を、まるで転がる死屍に導かれる様に一気に駆け上がった。

 山頂に辿り着き、そこで二人の小さな襲撃者を見つけた時、早雪は思わず叫んでいた。


「もうやめろ!!こんなことをして何の意味があるというのだ!!」


 それは早雪の心魂こころの叫びだった。

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