第22話「後藤又兵衛基次」

「くっくっくっ、早雪さゆき。おめえはいつも苛ついてんなあ。まるで腹を空かした野良犬みてえだぞ」


「一体誰のせいだと…又兵衛またべえ様、互いに知らぬ仲ではないとはいえうしおさんは客人なのですよ!もっとちゃんとした態度で応対するのが礼儀でしょう!」


 横柄な態度と発言で客人である潮に接し、人を小馬鹿にした態度で早雪を苛つかせているこの後藤ごとう又兵衛またべえ基次もとつぐこそ、大坂の陣の折に集まった有象無象入り交じる豊臣方の武将の中で、群を抜いて有名で有能な武将であった。

 その有能さはと称される程の巧みな戦ぶりが物語っている。

 早雪は上田合戦が起きる直前に又兵衛の家へと預けられていた。

 又兵衛は関ケ原の折には黒田家の一員として徳川方に付いていたが、これは敢えて徳川方である又兵衛に孫を預け、戦局がどうなったとしても孫の身の安全を確保するという昌幸の策であった。

 結果として、その策により早雪は九度山への蟄居ちっきょに同行することはなく、自由の身となっていた。


だね。自ら邪魔をしていると云う奴に邪魔するなら帰れと云って何が悪いんだ?」


又兵衛またべえ様!」


早雪さゆき殿、私は構いませんから一先ずお座りください。それに後藤ごとう殿がなのは早雪さゆき殿も承知でしょう?」


 潮は片膝を立てて今にも立ち上がらんとする早雪のことを制止し、早雪は渋々それに従い元通りに座った。


「そうだ、座れ座れ。早雪さゆき、おめえだって俺様がどんな奴かわかってんだろ?何せ十年も面倒見てやってんだからよ。うしおの云った通り、俺様はこの様なお方なんだよ。あーあ、おめえも昔は又兵衛またべえおじちゃん大好きだなんだつって寝る時も離れなかった癖に今じゃすっかり生意気になりやがってよ」


「誰があなたなど!その様な嘘偽りは捨て置けません!表へ出なさい!私と決と…」


「まあまあ、早雪さゆき殿。抑えて抑えて」


 早雪は再び潮に制止された。

 又兵衛は早雪を小馬鹿にした態度のまま潮と早雪から少し離れた場所に背を向けて腰を下ろした。

 そして、又兵衛はそのまま二人に背を向けた状態で口を開いた。


「おう、おめえら。俺様はこっち向いてるから居ねえもんだと思って話を続けろや。わざわざ調べてここまで来たんだ、何か大切な話があんだろ?」


「ですからその態度は…」


早雪さゆき殿。…後藤ごとう殿のやる事に一々いちいち目くじらを立てていては後藤ごとう殿の思う壺です。平常心ですよ、平常心」


 潮はまたも早雪を制止し、小声で早雪に耳打ちした。それに対して早雪は不機嫌そうにしながらわかっているという視線を潮に送って引き下がった。


「くっくっくっ、じゃじゃ馬娘も元世話役のうしおには従うんだな」


「くっ!」


早雪さゆき殿、冷静に」


「わかっています!私は冷静です!私とて十年もこの人と暮らしているのですからこの人のは知っています!さあうしおさん、今日は何をしに来たのかお聞かせください!」


 早雪は苛立ちを隠せなかったが、精一杯に自制して云った。その言葉を聞いた潮は本題へ移ることにした。

 まず潮は九度山にいる信繁と昌幸の様子を報告し、その後で信繁からの書状を早雪へ手渡した。

 早雪の受け取った書状には慶一郎けいいちろうの事と信繁が豊臣の再建に向けて動き出す事が書かれていた。

 そして、書状の最後には早雪への指示が書かれていた。



お前は潮と共に諸国を巡り新たな世を共に描く協力者を集いながら慶一郎殿を探せ

呉々も後藤殿に失礼のない様にな


信繁



 早雪への指示、父である信繁から娘の早雪に向けた言葉はそれだけだった。


「これは…!?」


 信繁からの書状を読み終えた早雪は、秀吉ひでよしの隠し子が存在するという余りにも荒唐無稽な内容に驚き、言葉を失った。


「へえ、秀吉おっさんに隠し子が居たとはな。そもそも女癖のわりぃ奴だから隠す必要もねえと思うけどな。ああ、そうか、秀吉おっさん茶々ちゃちゃこわかったんだっけか?」


「なっ!?又兵衛またべえ様!?」


 早雪がほんの一瞬だけ気を抜いた隙に又兵衛が早雪の手から書状を取り、それを読んでいた。潮も早雪もそれを制止したが、又兵衛は一向に聞かなかった。

 そして、書状を逆から読み始めた又兵衛はその途中で表情を変えた。


「な…!?おいうしお!おめえこれは真実ほんとうか!」


 又兵衛は書状の内容について潮を問い質した。又兵衛が潮に問い質した部分にはこう書かれていた。



立花慶一郎

またの名を豊臣慶一郎

この者は私が以前送った書状に記載した身に修羅を宿す者

立花甚五郎殿の子として育った者であり秀吉公の血を継ぐ者である



「答えろうしお!これは事実か!この慶一郎けいいちろうとかいう奴は真実ほんとう立花たちばな甚五郎じんごろうと関係あるのか!」


 立花甚五郎の息子として育った者…

 この一文に又兵衛は驚き、声をあららげて潮を問い質したのであった。


甚五郎じんごろう殿は慶一郎けいいちろう殿の育ての親で相違ありません。それよりも後藤ごとう殿は甚五郎じんごろう殿をご存知で?」


「くっくっくっ…ご存知も何も、この立花たちばな甚五郎じんごろうが俺様の知っている立花たちばな甚五郎じんごろうだとすれば、その男は信長のぶなが公の小姓として護衛を任されていた男だ」


「なっ!?後藤ごとう殿、それは真ですか!?」


信長のぶなが公に関して嘘なんかくわけねえだろうが!その男は信長のぶなが公の暗殺を目論んだ輩が送り込んだ刺客をことごとく斬っただよ。無論、その男が信長のぶなが公の護衛をしていたなんて事はおおやけにされてねえがな。それにその頃は立花たちばな甚五郎じんごろうとは名乗らず、信長のぶなが公を含めて一部の家臣しか名を知らねえだった。そうか…奴が死なずに生き延びて名を立花たちばな甚五郎じんごろうと改めたって噂は真実ほんとうだったのか。くっくっくっ、生きているなら一度立合たちあってみてえな…」


「もしも…後藤ごとう殿が甚五郎じんごろう殿と立合ったならば結果はどうなりますか?」


 潮は甚五郎が死んだこと隠し、素知らぬ振りをして又兵衛に訊いた。これは甚五郎を知る者が居た場合はその死を伝えずにまで隠しておけという昌幸の指示だった。

 時とは、慶一郎を見つけ出して真田の意志を打ち明け、慶一郎がそれに応じて志を共にする事が叶ったその時のことである。


「あ?んなもん決まってんだろ。まともにやりゃあ十中十じゅっちゅうじゅう俺様が負けるよ。あれには勝てる気がしねえ…実はわけえ頃に一度だけ信長のぶなが公を拝謁した時にその男を見たことがあるんだが、ありゃあ修羅だな。いや、修羅よりももっと魔訝魔訝まがまがしいだ。恐らく俺様とそう変わらぬ歳だと思うが、信長のぶなが公の少し後ろに立つ姿はまるで、何百人もの人間を喰ったみてえだった…あれとまともにやり合って勝てる奴なんざそうはいねえよ」


「…又兵衛またべえ様、いつも偉そうなこと云うわりには弱気ですね。私には事ある毎に、戦場いくさばでの死合しあいなら天下無双はこの俺様だと、そう云っているではありませんか」


 早雪は普段から自信満々で唯我独尊という態度の又兵衛が、十中八九じゅっちゅうはっくどころか十中十で自らの敗北を予測したことが意外に感じて思わず口を挟んでいた。


早雪さゆき、おめえは戦をわかってねえな。戦ってのは相手の実力を見抜いてこそ勝てるってもんだ。相手を侮っていたら勝てるもんも勝てねえんだよ。負ける相手には負けると判断するのが真の戦人いくさにんってもんだ。そして、それを覆してこそ面白えんだよ。俺様はさっき、まともにやったらつったろ?」


「では、又兵衛またべえ様は立合たちあいにおいて卑怯な真似をすると云うのですか?」


「立合ならそれはしねえよ。だが、俺がお前によく云っているなら卑怯な真似こそが正攻法だ。卑怯な真似ってのはつまりだ。そうだな…もし俺が戦場で奴と死合しあうならずは大筒をぶっ放す。火縄でも良いんだが、何となく避けそうな気がするから大筒だな。それで駄目なら次は炮烙ほうろく玉だ。とにかく奴に近付かれない様にしながら罠に嵌める。それが俺様が奴と戦場で死合う時の策だ」


「…又兵衛またべえ様、最低ですね」


早雪さゆき殿!それはさすがに云い過ぎですよ」


「くっくっくっ、気にすんなうしお。俺様が云った策は確かに最低だよ。武士ならば真っ向から勝ってこそ誇れるってもんだ。早雪さゆき!おめえは俺様みてえな卑怯な真似をしたくねえならしっかり腕を磨け!少なくともこの俺様にガキ扱いされている間は正攻法では戦場の死合に勝てねえぞ!」


 又兵衛は早雪に武士としての在り方と戦場での作法を教えていた。

 この後、早雪と潮は信繁の命令通りに全国を巡って協力者を集いながら慶一郎を探す旅に出る。

 そして、この時から約三年半が経過した慶長十九年四月七日、信繁は協力者の力添えにより、一族共々に秘密裡ひみつりに九度山からの脱出を果たす。

 それから僅か十日後、早雪と潮と同じ様に全国を流浪をしていた慶一郎のいのちに懸賞金がつき、人相書きが広く触れ回った事で二人はやっと慶一郎の居場所を特定することになり、京都でそれを待ち伏せした早雪が慶一郎と知り合うことになる。

 生まれる前に定められた宿命と、人の手によって紡がれた運命、宿命と運命が激しく交差して慶一郎と早雪は出逢ったのである。

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