第23話「異常と正常」

「―――以上が私に慶一郎けいいちろう殿を探せという書状が届いた日に私が知った事でございます。あの日、父が前々から密かに動かしていたうしおさんだけでなく、実の娘である私に命令を下したのは、甚五郎じんごろう殿の死が父の中の何かを揺り動かしたのだと、私はそう思います」


 早雪さゆきは自身が慶一郎を探し始めることになった経緯と、育ての親とも云える又兵衛またべえの口から聞いた甚五郎じんごろうの過去の話を慶一郎に打ち明けた。


「父上があの信長のぶなが公の護衛をしていたとは…私にはそんなこと一言も……」


 慶一郎は父である甚五郎の抱えていた秘密に驚いていた。


「事が事だけに隠していたのでしょう。信長のぶなが公の護衛を勤めていたとなれば様々なに関わっている可能性もあります。そして、もう一つ。その理由は又兵衛またべえ様もご存知ない様ですが、の本能寺の折には甚五郎じんごろう殿の姿は本能寺にはなかったと又兵衛またべえ様からお聞きしております。もっとも、又兵衛またべえ様が本能寺にいてそれを確認しているはずがなく、あくまでも他人伝ひとづてに聞いた話とのことですが…」


「そうですか…」


(父上…あなたは主君である信長のぶなが公が亡くなった時、どこに居たのですか?)


 信長が命を落とした運命の本能寺…そこに護衛を勤めていた筈の甚五郎が居なかった。

 本来であれば護衛として常に主君と共に行動してそれをまもるべき立場の男が、主君が死ぬことになった場に居なかったのである。

 ここにも甚五郎が抱える秘密があると慶一郎は直感していた。この慶一郎の直感は当たっていた。

 甚五郎は慶一郎の身に宿す宿命、慶一郎の出生については知る限りを話したが、甚五郎自身については多くは語っていなかったのである。


「…さて、早雪さゆき殿。そろそろ行きましょう」


 辺りはすっかり明るくなり、山間やまあいから射す陽光ようこうが二人を照らしていた。

 二人は暖を取るために焚いていた火に川の水をかけるとそれを足で踏み、それから二人は山賊の棲処すみかを探すため、まずは昨夜の一件があった場所に戻った。


「………うく…」


早雪さゆき殿、大丈夫ですか?気分が優れぬのならぱ休んでいてください。そちらも私が調べておきます」


「いえ…大丈夫で……うう……おぇ…」


 慶一郎と早雪はある意図から山賊の死屍しかばねの持ち物を探っていた。その死屍は一晩の内に獣やむしに激しく喰い荒らされ、既に単なる死屍とは異なる凄惨な状態となっていて、辺りには死臭とも異なる悪臭が漂っていた。

 早雪はこの時代に生きている者として死屍は見慣れていたが、獣や蟲に喰い荒らされた状態の死屍は何度見ても慣れることがなく、立ち込める臭いと凄惨な光景に気分が悪くなっていた。


(本来ならば早雪さゆき殿の反応こそが人として正しい…獣に肉や内臓を喰われ、数多の蟲がそこに纏わり付いている死屍を前にしても、何一つ揺らぐことのない私が人として異常なんだ…)


 慶一郎はもはやどの様な凄惨な死屍や光景を前にしても何一つ揺らぐことはないと感じていた。

 それは、慶一郎が人としての心を無くしたわけではなく、甚五郎の教えと、甚五郎を亡くしてから慶一郎が過ごしてきた死と隣り合わせの生活がそうさせていた。


『異常事態に対して心が揺らげば死ぬ…故に如何いかなる時も心は常にくうれ』


 これは、死合しあいに身を置く者の心構えを説いた甚五郎の言葉である。


『死地にいては異常こそ正常…心に僅かな狂気を宿して確かな正気を保つ』


 これは慶一郎が死と隣り合わせで生きてきて学んだものであった。

 慶一郎は死合においては決して揺らぐことのない心を保つことが生を掴むことだと知っていた。

 そして、普段からそれを心掛けていた。


「やはりないな…早雪さゆき殿、そちらはどうですか?」


 慶一郎は自らが調べた死屍の全てがある物を持っていないことを確認し、近くで死屍を調べている早雪に問い掛けた。


「こちらもありません…」


「そうですか。何れも器や盃すら持たぬということは、やはりこの者達の棲処は近くにある可能性が高い。早雪さゆき殿、この分なら集落をまわらずに済みそうです」


 慶一郎は山賊の死屍が水や食料を携帯しているか、それを入れる器や盃を持っているか否かを調べていた。

 これは、水や食料を携帯していれば流人の賊である可能性が高く、逆に器や盃すら持たぬとあれば近くに棲処を持つ、この土地の賊の可能性が高いことを意味していた。

 そして、昨夜の一件で死屍となった者達は何れも器や盃を持っていなかった。


早雪さゆき殿。周囲の地形は賊が潜むならばいずれもその可能性がありますが、この者達が器や盃すら持たぬことから考えると、ここから一番近いあの山々のどれかだと私は思います。早雪さゆき殿はどうお考えですか?」


 慶一郎は近くの山を指差しながら自らの意見を早雪に確認したが、早雪はまだ気分が優れぬ様子で軽く頷いただけだった。

 それから暫くすると早雪の調子も元通りになった。それに合わせて二人は、当初の予定である集落を廻ることをせず、山賊の棲処になり得そうな近隣の山を直接調べることにした。

 そして、慶一郎と早雪は手始めに一番近い山へと向かって歩き出した。

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