第14話「風雲木」

 死ぬ…がそこにある…


 信繁のぶしげは刀を振り下ろしながら刹那の瞬間に自身の死を直感した。

 しかし、信繁の直感は当たらなかった。

 信繁が確実な死を目前に感じた次の瞬間、耳をつんざく様な激しい金属と金属による衝突音が周囲に響き渡った。


「なっ………!?」


「ぐう……流石に重い…まさに豪剣……」


 甚五郎じんごろうは咄嗟に左手に持っていた刀を投げ捨て、自身の右腕を左手で支えるようにしてで信繁の一撃を受け止めていた。


「く、くぅおらっ!源二郎げんじろう!いい加減にせいッ!お前もだ甚五郎じんごろう!お前ら二人とも何の真似だッ!」


 二人の動きが同時に止まった瞬間、透かさず昌幸まさゆきが二人を怒鳴り付けた。


「あ…ち、父上?しかしこの者は……」


 信繁は状況が掴めなかった。状況が掴めぬままだったが、目の前にいる甚五郎の身体から放たれる気配が変わったことを察して信繁は刀を引いた。

 信繁が刀を引いたのを合図に甚五郎は口を開いた。


昌幸まさゆき殿…いや、すまない。昌幸まさゆき殿の跡を継ぐであろう源二郎げんじろう殿を前にしたら居ても立ってもいられなくなってしまい、思わずの様な戯れを…源二郎げんじろう殿もすまなかった。許してくれ」


「た、戯れ!?そなたが何者かは知らぬが今のやり取りを戯れと!?」


 信繁は甚五郎の言葉がにわかには信じられなかった。信繁にとって今のやり取りはまさしく真剣勝負であり、互いの命を賭した死合しあいそのものであった。

 しかし、目の前の男、信繁よりもとお は歳上に見えるその男は、信繁にとって死合だったやり取りをあっさり戯れと云った。


「いや、すまない。今のやり取りを戯れというのにはやや語弊ごへいがあるな。今のやり取りは云うなれば……云うなれば………」


「そんなことはどうでもいいわ!悪ふざけが過ぎるぞ甚五郎じんごろう!お前は本気でなくとも源二郎げんじろうは本気でお前を斬ろうとしておったのだぞ!もしどちらかに何かあったらどうするつもりだったのだ!反省せい!」


 言葉に詰まった甚五郎に対して昌幸が怒鳴り付けたが、当の甚五郎には昌幸の言葉が全く届いていない様子だった。甚五郎は次に出す言葉を模索しながら何度も首をかしげていた。


「父上…」


「…なんだ?」


「この御仁ごじんは一体何者なのですか?ほんの少し前まで死合を…少なくとも私にとっては死合だったやり取りをしていて、それを終えたばかりだというのにこの者は既に子供の様に無邪気な気配を纏っています。この様な者を私は未だかつて見たことがありません」


 信繁はまだ少し興奮を抑えきれていない様子で昌幸に甚五郎の事を訊ねていた。

 状況としては完全に勝っていた筈の自身の胸中に確かな死を感じさせた男の正体を信繁は気になっていた。


「この男は立花たちばな甚五郎じんごろう、本物の強者もののふだ。彼の剣聖けんせい上泉かみいずみ信綱のぶつなの最後の直弟子であり、有象無象溢れる上泉の弟子達の中でも随一の実力を持つと称されておる」


「剣聖の直弟子!?まさかそんな…!!」


それは事実だよ。俺の師は剣聖と呼ばれた上泉かみいずみ信綱のぶつなだ。もっとも、当人は剣聖などと呼ばれる事をいとっていたがな…故に剣聖と呼ばずに伊勢守いせのかみでも武蔵守むさしのかみでも上泉こういづみ信綱のぶつなでも好きな様に呼ぶといい。まあ、弟子の中でも一番の出来損ないの俺が決めることでもないがな。…ところで、さっきのやり取りは異合いあいとしてはどうかな?なるわざの使い手同士が互いの業を競い合わせる、其が異合いあい。今浮かんだ造語ことばだが、云い得て妙だと思わぬか?どうだ源二郎げんじろうくん、さっきのやり取りは俺と君による此世このよ最初はじめて異合いあいという事にしないか?」


 甚五郎は飄々ひょうひょうとした態度で信繁に提案し、ほんの少し前に信繁が死を確信するほどの斬合きりあいおこなったということを微塵も感じさせなかった。


「……父上、このお方はいつも?」


「ああ、いつもこうだ。機嫌が良いと他者など居ないかの様に自分の好きに物事を運んでしまう。こうなるとわしの話どころか誰の話も全く聞かん。唯一、千代よめには弱いがな…とにかく、この甚五郎じんごろうという男は風の様に気紛れな男であることには相違ない。千代ちよ殿のお陰で少しは大人しくなったかと思ったが、久々に会っても全く変わっとらんな…」


昌幸まさゆき殿、私は風ではありませぬ。私を例えるなら雲…風に流され自ら動く事も出来ずに流浪する雲に過ぎませぬ」


「雲か…そうだな、甚五郎じんごろう。お前だけでなく、人なんて誰もが所詮は雲に過ぎんのかも知れんな。風に流されるがままに翻弄されて生まれては消える。時には雷雲の様に大きくもなるが、それも一時のこと。自らの行く末ですら自由すきに出来ぬ存在…それが人の本質なのかも知れんな」


 この昌幸の言葉を甚五郎は何も云わずに聞いていた。人の一生の儚さを語る昌幸の言葉を甚五郎はただ黙って聞いていた。


「父上、私はそうは思いませぬ」


 昌幸の言葉に対して信繁が異を唱えた。


源二郎げんじろう…ならばお前は人を何とする?」


「人とは即ち木です」


「木?それは面白い話だ。源二郎げんじろうくん、意を聞かせて貰えるかな?」


 甚五郎は思わず会話に割って入っていた。信繁の云った言葉の真意が気になったのである。

 それを受けた信繁は甚五郎のほうに向き、ゆっくりと口を開いた。


甚五郎じんごろう殿。若輩者の言葉でよろしければお聞かせします。…人とは木。木は皆が天を目指し、往々にして葉や花をつける。やがて葉や花だけでなく種子を実らせ、再び葉や花をつける。中には風に翻弄されて折れ曲がるものや雷に打たれて粉砕するものもある。そして、全ての木はいつか必ず朽ちる。しかし、木には大きく成長するものがある。これらは人と同じことだと思います」


「ふむ。良い話だ。流石は昌幸まさゆき殿の息子だな」


「…甚五郎じんごろう殿、失礼ながらこの話にはまだ続きがあります」


「む…いや、すまない。腰を折ってしまったな。続きを聞かせてくれるかな?」


「はい。…人とは木。その木には必ずがあります。根が深ければ深いほど木は強く大きく成長し、中には数百年、数千年以上も成長し続けているものもあると聞きます。その大小は関係なく、木にとって、我々が目にしている天を目指して伸びる部分より、我々の眼には見えていない地の底深くに伸びる根こそが何よりも大切なものなのです。そして、これも人と同じことだと思います。人もまた表に見える部分ではなく、根幹にあるもの…こそが大切だと私は思います。だからこそ人とは木なのだと私は考えています」


 この信繁の言葉に対して甚五郎と昌幸は何も云わなかった。二人はただ聞いていた。

 それから三人は共に酒を酌み交わした。酒を呑みながら三人は様々なことを語り合った。

 人のこと、世の中のこと、戦のこと、武芸のこと、未来これからのこと、語り尽くせぬ程を語り合った。

 まだ辺りが暗くなりきる前に語り始めた三人は、気がつけば辺りが明るくなるまで語り合っていた。

 そして、慶長五年九月八日の朝を迎えた。

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