第11話「真田と豊臣」
「―――私は
それは、突然の告白だった。
「
早雪の口から出た真田信繁という名に慶一郎は聞き覚えがあった。
この時、慶一郎には戦国武将としての信繁ではなく、一人の
「
源二郎とは信繁のことである。
戦国大名きっての知将、
「はい。私は正真正銘、
早雪は慶一郎が信繁を源二郎という名で呼んだことが気になった。
なぜなら信繁は、この年から二十年前の文禄三年に官位である
しかし、慶一郎は信繁のことを源二郎の名で呼んだ。自身が生まれる前に信繁が名乗ることをしなくなった源二郎という輩行名で信繁を呼んだ。
「いえ、証など無くとも私は
「ええ、二十年前に太閤様より豊臣の名と共に
なぜ源二郎という名を知っているのかという早雪からの問いに対して慶一郎は答えなかったが、早雪もそれを無理に聞き出そうとはしなかった。
「そうですか。
「その通りです。確かに父は九度山にて出家致しました。ですが………」
早雪は慶一郎の
「ですが、父は既に九度山を出て再び真田を名乗り、新たな歩みを進めております」
「九度山を!?…しかし、
「確かに、父と祖父を始めとして蟄居を命じられた真田の血縁者は九度山にて厳重な監視下にありました。しかし、私を含め父の娘に当たる者の中には蟄居を免れた者が数人おります。そして、三年前に祖父が九度山にて亡くなってからは徳川の監視の目が一気に緩みました。徳川は祖父が居なければ真田など恐るるに足りないと考えたのでしょう」
これは史実である。
早雪の祖父であり信繁の父である真田昌幸は、小国を治める程度の立場でありながら、
それ故に関ケ原後には西軍に味方した罪によって極刑を科そうとしたが、昌幸の長男であり徳川家とは義理の親族となっていた信之、徳川家の養子となった信之の妻
この時、昌幸の長男の信之は、それ以前までの信幸という名の幸の字を之と改め、父である昌幸を連想させる信幸という自らの名を信之と変えたとも云われている。
「祖父の死後、私は徳川の目を盗んで全国を周り、九度山にいる真田の者を助け出すための協力者を集いました。そして、今からまだそれほど日が経っていない二十日前のことです。私達は遂に父と母を含めた皆を九度山から助け出すことに成功致しました」
(徳川の目を盗んで真田を九度山から助け出した?もし見つかれば当事者だけでなく協力者も只では済まないのに…わざわざそんな危険を冒してまで……)
早雪は確かに九度山から助け出すことに成功したと云った。助け出すとは云い得て妙であった。
関ケ原で西軍に味方した真田に科せられた蟄居という処分は、本来は家や部屋に籠って外へ出ないことを命ずるものだが、真田に科せられた蟄居は名ばかりであり、実際には蟄居先の家の周囲には徳川の命を承けた者達が常に動向を見守っており、厳重な監視下に置いた幽閉だったのである。この幽閉生活により昌幸は老いて疲弊し、信繁は武将としての活躍の場を失った。
そして、幽閉から十余年が経過した慶長十六年に昌幸は九度山にてこの世を去るが、その跡を継いだ信繁はこの時点で既に
「
慶一郎は早雪を早雪殿と呼び、改まった真剣な表情で早雪を見た。
「あなたは…いえ、真田はこれから何をしようと考えているのですか?」
慶一郎は率直に訊いた。
「
早雪は慶一郎に訊き返した。
『この世の中に生きる人々の未来を背負う覚悟はあるか?』
早雪はそう訊いていた。
その言葉は重かった。
その言葉は慶一郎にとってあまりにも重い言葉だった。
(人々の未来を背負う…私が……)
『未来を背負う覚悟はあるか?』
その言葉に慶一郎は懊脳していた。
時間にしてはほんの
「………聞かせてくれますか?」
たった一言だった。
『聞かせてくれますか?』
慶一郎の云ったこのたった九文字の言葉。
それが慶一郎を宿命へと導き、運命を左右する言葉だった。
「わかりました。では、お聞かせ致します。
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