第9話「宿命の子」

 慶長三年八月十八日―――


甚五郎じんごろう様!お生まれになりました!甚五郎じんごろう様!」


 慌てた様子で屋敷を走り回る女中の声が響いていた。


「あっ!甚五郎じんごろう様!そんなところにられましたか!」


「む…騒々しいな。少し静かに出来ぬのか?先刻より千代ちよがお産中なのは知っておるだろう?」


 甚五郎は妻である千代の出産の邪魔になってはならぬと、千代のいる母屋から離れた庭の隅で仏像を彫っていた。


「その事でございます!たった今、千代ちよ様が無事にお産を終えになられました!」


「なにいっ!?それを早く云わぬか!して、どちらだ!?」


 甚五郎は子が男なのか女なのか、どちらなのかと訊いていた。


「はい、元気な…」


「いや待て!やはり自らの眼で確かめることにする!」


 女中の言葉を遮った甚五郎は、彫り掛けの仏像を放り出して千代の元へと向かった。


「おおっ!千代ちよ!よくやった!よく頑張ってくれた!」


 部屋に入ると出産を終えたばかりの千代が赤子を抱いて座っていた。赤子を抱いた千代の姿は、出産を終えたばかりとは思えぬほど凛としていた。


甚五郎じんごろう様…さあ、お抱きください」


「おお、そうだな。…むむ、女子おなごか。そうかそうか。よしよし、千代ははに似て美人になるのだぞ。よいな?」


甚五郎じんごろう様、生まれたばかりの子にその様なことを申してもわかりませぬ。ふふふ」


「む…いやわからんぞ。の子はきっと聡明な子だ。何せお前の子なのだからな。或いは既に言葉を…」


ですよ、甚五郎じんごろう様」


 千代は甚五郎の言葉を遮り、甚五郎の顔を優しく見つめながら云った。


「…そうだな、千代ちよ。此の子は俺とお前の子だ」


 甚五郎と千代の子は女子だった。

 二人は子供によろこびという字を使ったけいと名付けた。

 この時に生まれたこの子こそが、大きな宿命を背負って運命に生きることとなる慶一郎けいいちろうである。

 慶一郎の本名は立花たちばなけい。またの名を豊臣とよとみけいであった。

 奇しくも、実父である豊臣とよとみ秀吉ひでよしが死んだその日、秀吉が息を引き取った京都にて秀吉の血を継ぐ最後の子、慶が誕生した。

 慶は生まれた翌年の誕生日に慶一郎の名を与えられ、以後は男として育った。そして慶一郎を名乗ってからさらに十五年後、慶は自らが背負う宿命と、自らが生きる運命の狭間にて懊悩おうのうすることになる。

 慶が誕生してから約四年間、立花家は千代こと立花たちばな誾千代ぎんちよが死ぬまで京都で暮らした。

 千代は双子の姉であるもう一人の立花誾千代と同日に息を引き取った。千代は死ぬ直前まで甚五郎と慶の今後を案じ、最期に感謝の言葉を遺して死んだ。


『私と出逢ってくれてありがとう。共に生きてくれてありがとう。この四年、私は本当にしあわせでした』


 それが千代の最期の言葉だった。

 戦国の世に双子として生をけ、本来ならばこの世に存在していない者として二人で一人の立花誾千代として育てられた千代は、甚五郎と出逢って以後、最期の瞬間まで自分の人生を確かに生きて、そして自分の人生の中で死んだ。

 宿命と運命に翻弄された千代の人生で、甚五郎と慶と共に三人で過ごした日々は自らが生まれてきたことの証であり、生きてきた証であった。

 千代の死後、甚五郎は慶一郎と共に京都を離れて人目を避ける様にして山奥へと移り住み、慶一郎は八年間そこで甚五郎に剣術を学びながら大きくなっていった。

 そして、千代の死から八年後…

 甚五郎は慶一郎と共に八年を過ごした山中にて命を落とすことになる。

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