第2話「父」
『
武芸者達との
慶一郎の頭の中には死んだ父親の言葉が繰り返し響いていた。
死合の後はいつもそうだった。
「父上、私はまた人を殺めて生き長らえました。これが正しいのかはわかりません…ですが今はまだ…今はまだ私が死ぬべき
誰もいない廃寺に慶一郎の小さな声が響いた。
四年前―――
「父上、薪はここに置いておきます」
この頃の慶一郎は父親と二人暮らしをしていた。慶一郎の母親はこの更に八年前に亡くなっていた。
二人は母親が亡くなると同時に人里を離れ、隠れる様にして山奥にあるこの小屋へと移り住み、そこで外界との接触を極力避けて暮らしていた。
「嗚呼、わかった。…
慶一郎の父親は仏像を彫る手の動きを止めずに云った。
父親の名は
甚五郎はこの小屋に来てから毎月何体かの仏像を彫り、決まって月に一度だけ近くの村にある寺へ奉納していた。奉納する日は毎月必ず甚五郎の妻の
「わかりました。では早速、滝にて
そう云うと、慶一郎は小屋から程近い滝へと向かった。
慶一郎が去った後、甚五郎は黙々と仏像を彫った。
「なあ
甚五郎は不意に仏像を彫る手を止め、亡き妻に語りかけていた。
「
甚五郎は僅かに上を向き、瞼を閉じた。
『
亡き妻の凛々しく気高い声が甚五郎の耳には確かに聴こえていた。
千代は凛々しかった。
千代は気高かった。
千代は凛々しく気高い女性であり、善き母であり、善き妻であった。
そして、甚五郎もまた善き父であり、善き夫であった。
「
甚五郎は閉じた瞼を見開き、決意に満ちた瞳で顔を上げた。そして、視線の先の神棚に置いてある刀を手に取るとゆったりとした動きで外へ出た。
外へ出た甚五郎が修練場へ向かうと慶一郎がいた。滝で身体を清めてきたばかりの慶一郎は美しく凛々しかった。
「父上、お待ちしておりました」
甚五郎が声を掛ける前に慶一郎は甚五郎に気がついていた。
「嗚呼、待たせてすまない。少し
甚五郎は有りの
「して、母上はなんと?」
慶一郎は有りの侭を返した。
「何も……
「そうですか…」
慶一郎は、如何なる時も決して小屋の外へと持ち出すことのなかった刀を手にしていた甚五郎の気配が、
「さて、始めるか」
「はい」
甚五郎が刀を置いて木刀を持つと、慶一郎も同じ様に木刀を手にした。
両者の間合いは凡そ十歩。二人共に左手に木刀を持ち、二人共に構えることをせずに自然の形のまま相対し、二人共にそのまま微動だにしなかった。
その状態で一分程が経過し、慶一郎の手に僅かに汗が
「…いざ!」
慶一郎が声と共に一気に甚五郎との間合いを詰めた。慶一郎の動きは風の様に
「くう……」
二人の勝負は刹那に終わった。この勝負は甚五郎が征した。
一陣の風の様に迫り、先の先を取ろうとした慶一郎だったが、甚五郎は風に舞う木葉の様に
それは
「
「…わかっています。ですが父上。私はまだ生きていますし、右腕も残っております。この程度の怪我ならば今
慶一郎は死合の話をしていた。死合ならばまだ左腕を落とされただけであり、死には至っていない。そして右腕が残っているので戦うことが出来る。慶一郎の言葉はそう云う意味だった。
そして、慶一郎は云いながらも甚五郎と距離を取っていた。左腕を打たれ、
「ほう、まだ動くか。ならば参れ
そう云うと、甚五郎は自身の足下に転がる木刀を拾い上げ、慶一郎の足下に向けて投げた。
甚五郎の言葉を
「流れ…………はあっ!」
慶一郎は再び
それに対して甚五郎は再び木葉となった。微風に乗る木葉の如く慶一郎の剣を躱し、自身も剣を返した。しかし、微風となった慶一郎も甚五郎の剣を躱した。
慶一郎が剣を振り、甚五郎が躱す。
甚五郎が剣を振り、慶一郎が躱す。
二人はまるで互いが何をするかをわかっているかの様だった。
互いに互いが風と木葉であることを認めあっているかの様に二人は舞っていた。木刀とは云えど、死合をしている筈の二人が舞い踊っていた。
この瞬間、慶一郎と甚五郎の剣は武を示していなかった。二人の剣が示していたのは舞だった。
慶一郎と甚五郎、
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