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 何が起きたか状況が全く分からなかったが、イナリが少し腕の角度を変えたことによって、なんとなく分かってしまった。

 イナリの持つ本に、ナイフが突き刺さっている。以前見たシャシカさんのものとはデザインが違うが、似たような物で、投げナイフのようなものだ。

 おそらくは、わたしに向かって投げたものを、イナリが本で防いでくれたんだろう。


「――な、にを、するんだ!」


 さっきまで気の抜けていた空気が一気にピリッとした。イナリが咄嗟に庇ってくれなければ、あのナイフはわたしに刺さっていただろう。


「……このくらいは、まだ対処できるか」


 じと、とこちらを見てくるシャシカさんの目は暗く、どこかこちらを観察しているようで、何を考えているのか全く表情が見えない。


「――昔のアンタだったら、家に入った瞬間、アタシがいるって気が付いただろ」


 いつから居たんだ、この人。ぞわぞわと、背中が寒くなる。今日はイナリが仕事で、わたしも日中は外出していた。フィジャの所へ勉強しに行っていたのだが、イナリが帰って来るよりも先に帰っていたはずだ。

ということは、もしかして、既にそのときにはいたということだろうか。


「ど、どこから……」


 天井は塞いだのに、一体どこから、とわたしは思わず言葉をこぼした。鍵をこじ開けて入ったんだろうか。

 しかし――。


「床下」


 簡潔な返答に、わたしは思わずそんな所から!? と叫びそうになった。でも、彼女を刺激するのが怖くて、ぐっと言葉を堪える。

 もしかして、このベッドの下、クローゼットの天井と同じように穴が開けられているんだろうか。そんなところまで気が付くわけがない。


「平和ボケしちゃってさ……。でも、まだ、間に合う。間に合うから、冒険者に戻ってきてよ。イナリは――」


「ちょっと、その話まだ続いてたんですか!」


 反射で叫んでしまった。さっきは刺激しないようにって叫ばないように我慢したのに。

 叫び終わって、ぎらっとシャシカさんに睨まれて、やっちまったと悟る。喉がひくつく。


「まだ続いてたって!? 当たり前だろ、アタシは終わらせたつもりはない! ずっと、ずっと帰ってきてほしいって思ってる! だから――」


 するり、と背中に手を回し、シャシカさんは短剣を取り出した。さっきまでの、細身で小ぶりなナイフとは全然違う。サバイバルナイフのような、よっぽど運が良くないと、どこに刺さったって死にそうな、ごつい短剣。


「アンタが死ねば、戻ってきてくれるだろうって、寝静まったら殺そうと思ってたのに。見つけてくれちゃってさぁ……」


 ぎらり、とシャシカさんの持つ短剣が、照明に当たって鈍く光った。

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