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「い、いやでも、わたしが仮に死んだとしても、イナリは戻ってこないんじゃ……」
そもそも、わたしがこちらに来る前から、イナリは冒険者を辞めて今の職業についていたはず。だから、わたしが死んだって、さして影響はない。
と、思って言ってみたのだが。
「ハァ? アンタ、イナリの女なんだろ。大事にしてる女が冒険者に殺されたら、冒険者に戻って、特権を利用してでも殺しにくるだろ」
その理論は全然わかんない! 百歩譲って、イナリが復讐に走るとして、それが冒険者になることに繋がるのか……?
いや、でも、ウィルフがジェルバイドさんを探す為に冒険者になったんだっけ。冒険者の情報を探すには、冒険者になったほうが手っ取り早かったりするんだろうか。
「――僕は、戻らないよ」
ピリピリとした緊張感が走る中、イナリは静かに言った。
「僕は戻らない。冒険者なんて、やりたいことが特にないから適当になっただけだ」
「適当!? 適当であんな強くなるって!? 嘘ばっか言うんじゃないよ!」
ガリガリと、シャシカさんは頭をかく。苛立ちを隠そうともしない。
何か反撃する手立てはないか、わたしは辺りを見回しながら考える。
今回のシャシカさんは前回とは全然雰囲気が違う。ちょっと寄っただけ、みたいな気軽さがあった前回は言葉だけで帰ってくれたけど、「絶対殺す」と言わんばかりの強い殺意を持った今回は、簡単に納得して帰ってくれそうになかった。
イナリの部屋に散乱しているものは、大体が布か紙で投げにくそうな上に当たってもたいしたダメージにならなそうなものばかりだ。一瞬の目隠しには使えるかもしれないが、その後すぐに反撃を食らってしまうことが簡単に予想できる。
これらを使うなら、一撃で対処できるなにかを思いついてからじゃないと。
……いや、もういっそ魔法使うか? 最近魔法の使用を控えているし、多分、使っても大丈夫だと思うけど……。
何とか打開策を、と頭を使っていると、室内に、この緊迫した状況にそぐわない音が聞こえてきた。
――コンコン。
ノックの音だ。扉を叩く音。
バッとシャシカさんが扉の方を見る。その一瞬で、イナリが動いた。
ガッとベッドの上に載ったかと思うと、そのままシャシカさんに組みついて、短剣を取り上げる。ベッドの上に落ちた短剣をイナリが蹴飛ばした。ベッドの下へと落ちる。
なんとか拘束から逃れようとシャシカさんが身をよじるが、体格の差で逃れられないようで、じたばたと暴れるのみだ。
「イナリー、マレーゼー、いるー? マレーゼの忘れ物届けにきたんだけどぉ」
フィジャの声だ。緊迫した室内とは裏腹に、非常に明るい、抜けた声。
「今取り込み中! 出られないからポストに適当に突っ込んでおいて!」
イナリが強く叫ぶ。次いで、わたしに、「その辺の長い布、取って」と指示してきた。わたしは床に散乱したものの中から、帯のような布を彼にわたした。ついでに短剣を拾ってもっと遠くへ行くよう、床で滑らせた。
「え、大丈夫?」
フィジャの心配する声。全然大丈夫じゃないけど、多分、フィジャが手伝えることはそうないと思う。フィジャだって男だからある程度の力はあると思うけど、『戦闘力』という話で考えるならば、シャシカさんには敵わないだろう。
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