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 フィジャの書いてくれた地図は実にシンプルだった。余分な物がそぎ落とされていて、見やすい。

 同時に、この辺りのことを熟知していること前提に書かれたものである。

 何が言いたいかと言うと、絶賛迷子中だった。


「情けない……」


 あれだけ見栄を張って結局この様とは……。流石に現在地がどこか分からないレベルまでには迷っていない。帰路は分かるものの、一向にパン屋さんが見つからなかった。

 諦めて帰るか……? いやでも、あれだけのことを言って帰るのは流石のわたしでも恥ずかしいぞ。


 人に聞けば流石に分かるかな、と話しかけやすそうな人を探している内に、逆にわたしが声を後ろから掛けられた。


「――なあ、どうかしたのか?」


 振返ると、ピンと黒い猫耳を立たせた男性が立っていた。黒猫の獣人なんだろう。

 男はにっこりと爽やかな笑みを浮かべながら、「アンタさっきからあっち行ったり、こっち行ったりしてるから気になって」と言ってきた。

 わたしはこれ幸いと事情を話す。


「あ、えっと、パン屋さんを探して……いて?」


 ふと、この男性に見覚えがあるような、そんな気がした。猫の獣人の知り合いなんていないのに。強いて言えば、冒険者ギルドに行ったとき出会った猫かぶりの男の子が猫の獣人だったけど、彼は白猫のようだったし、なにより目の前の男よりもっと若くて背が低かった。


「パン屋? ……随分シンプルな地図だな。えーっとこの店ならあっちの二個奥の曲がり角を曲がって……」


 男性が指をさしながら案内してくれるものの、わたしはその先ではなく、つい、男性の顔を見てしまう。

 絶対どこかで見たことがある顔だ、と見入ってしまうと、男が照れくさそうに笑った。


「あれ、オレの顔に何かついてる? ……それとも惚れちゃったとか?」


 何を馬鹿なことを、と思ったけれど、角が立たないように、と、既婚者だと言って誤魔化そうとしたとき、ぞわっと、怖気が走った。

 既婚者、というワードでフィジャたちを思い浮かべ――そうして、ようやく思い出した。


 ぶわり、と毛が坂立つような感覚がする。


「貴方――フィジャを突き落とした人ですよね。図書館で」


 記憶が蘇る。落ちてくるフィジャと、そのフィジャ越しに見えた、三人組の顔。

 三人のうち、中央に立っていた男が、今目の前にいる男だった。

 わたしが警戒しだすと、男の笑みの種類が変わる。さっきまではあんなに人から好かれそうな爽やかな笑みだったのに、今はにたりと、ねばっこい笑みを作っていた。


「やっと気が付いた? 折角出会ったのに覚えてないかと思ったじゃん」


 悪びれる様子もなく、へらへらと笑う男。はー、殴りてえ。これ殴っても平気かな? 傷害罪とかになるのかな。でも、フィジャにあんなことしておいてここにいるってことは捕まってないんだよね?

 ということは一発くらい殴っても許される……?

 なんて物騒なことをわたしが考えているなんて微塵も想像出来ていないのか、男はなおもわたしに話しかける。

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