52

 フィジャの店に行ってみたい、という話をしてから数週間。

 イエリオさんとの翻訳を無事終え(正確にはまだ資料は残っていたが、また今度、と持ち越しになった)、彼の休日である今日、ようやくフィジャの店に連れて行って貰えることになった。


 わたしの方の体調はすっかりよくなっている。まあ、まだ走り回るとかは遠慮したいけど。単純に、ここ一か月、おとなしく生活をしていたので、体力が落ちているのだ。

 完治には二か月かかる、と言っていたし、無理に走ったり重いものをしたりしない限りは、普通の生活を送っても大丈夫そう。


「本当にもう大丈夫なの?」


 しかしフィジャは心配性というか、家を出る前にも、こうして歩いている道すがらでも、大丈夫? と聞いてくるのだった。

「大丈夫だよ、思ったよりはお店、遠くないみたいだし……。豪快にくしゃみとかしなければ」

 走ったり重いものを持たなかったり、というのはなんとか避けられても、くしゃみぱっかりはね……。軽い咳くらいなら痛みはないが、思い切りくしゃみをしてしまうとまだちょっと痛いので。

 まあ、これでもだいぶマシになったんだけど。


「そこまで心配しなくたって、平気平気。歩くペースだって落として貰ってるわけだし。いつまでも家にこもってたらそれこそ体に悪いよ」


 特別、アウトドア派、というわけでもないが、インドア派、というわけでもないので、じっと家にこもっているのはそろそろ限界である。ここで一度外に出てリフレッシュしたい。


「無理そうだったら早めに言ってね? ……あ、ほら、見えてきたよ。アレがボクの働いてるお店」


 そう言ってフィジャが指さしたのは、個人店にしてはそこそこ大きなお店。でも、おしゃれ、というよりは可愛さに重きを置いているような外観で、親しみやすいというか、初めてでも気おくれしないで入れそうなお店だ。


 フィジャが働いていなくても、普通に通ってしまいそうなお店だ。多分、彼に案内されなくても、街を散策しているときに見かけたら普通に立ち寄っていただろう。

 聞いていた開店時間から少ししか経っていなくて、お昼ご飯には少し早いような時間だが、もう半分近く席がうまっている。かなり人気のお店なんだろう。


 店に入る直前で、フィジャが足を止めた。


「どうしたの?」


「な、なんだか緊張してきて……」


 そう言うフィジャの顔はちょっと赤くて、表情は固い。


「自分の働いてる店なのに?」


「だからだよ! 今日はマレーゼもいるし。イエリオたちだったら結構頻繁にくるんだけどさあ」


 まあ、自分の働いてる店に客として行くのが苦手……という人は、確かに珍しくないだろう。わたしはあんまり気にしないけど。


「うう……こんなに緊張するの、面接に来たとき以来かも」


 そう言いながら、フィジャは入口のドアを開ける。

 カランカラン、と、ドアベルが小気味いい音を立てた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る