51

 その日の夜。よっぽど心配だったのか全力疾走でもしたようで、帰ってきたフィジャは肩で息をしていた。


「お、おかえりなさい……」


 ぜえぜえと激しい息をしていたが、合間に、かろうじて「ただいま」と言ったのが分かった。


「もう少しゆっくり帰ってきてもよかったのに……」


「だ、だって! イエ、イエリオ、ホントに、止まんないんだよ。一度、話だすと、さあ!」


 まあ確かに……目はずっときらきらと輝いていて、随分楽しそうにたくさんの質問をしてきたわけだが。一応、わたしが怪我人ということは忘れていなかったようで、休憩を挟まずぶっ通し、ということはなかった。お昼ご飯もちゃんと食べたし。

 そう説明すれば、「そんなの、当たり前!」と言われてしまった。まあ、たしかにそれはそうなんだけど……。


「お水いる? 持ってこようか?」


 文字通り、急いで帰ってきてくれたフィジャに何もしないのは流石に。わたしを心配してきてくれたわけだから。

 しかし、へろへろとしたままフィジャはキッチンへと向かい、「自分でいれる……」と水を入れ、飲み始めた。

 うーん、心配してくれるのはありがたいが、こうして毎日全力疾走で帰って来るつもりなんだろうか。


「イエリオは?」


「え、ああ。もう帰ったよ」


 少し前、るんるんと浮かれた様子で、今日翻訳の終わった資料と、翻訳を書き留めた書類を持って帰っていった。


 それが気に食わないのか、フィジャはむすっとした顔を見せる。

 ようやく息が整ってきたようで、彼は口を開いた。


「……普通、怪我した嫁を放置して帰る? せめて他の夫が帰って来るまで面倒見るべきでしょ。そりゃあ、怪我させたのはボクだけど……」


 自覚が足りない、と言わんばかりの言いぐさである。それはわたしにも飛び火した。


「マレーゼ、明日からはボクが帰って来るまでイエリオを家においといて。何かあったら困るし。勝手に家に来るんだから、そのくらいさせないと。困ったら頼るんだよ? イエリオじゃなくて、ボクにも、ちゃんと言ってね」


 ちょっと説教じみた言い方。そう言われてしまうと、自分一人で頑張る方が失礼な気がしてくる。わたしは割と他人に甘えるほうだけど……。


「あ、じゃあ……一つお願いしていい?」


 たいしたことじゃないけど、この流れでお願いしてしまおう。フィジャも、「ボクにできることなら」と言ってくれていることだし。


「フィジャの働いているお店、行ってみたいなあ、って」


 そう言うと、ちょっと照れくさそうに、それでも嬉しそうにフィジャは「いいよ!」と言ってくれるのだった。

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