38

 本館の扉を開いたとき、すべてがスローモーションのように見えた。


 すぐ左隣の二階部分で言い合い――というか、一方的に何か言われているフィジャは、彼の胸より少し下にある手すりに追いやられていて。

 フィジャに詰め寄る三人組の声はあまり大きな声ではなかったけれど、彼ら以外誰一人としてしゃべっていないので、十分に声は目立っていて、注目を浴びていた。


 そんな、不穏な空気の中、ついに、突き飛ばされたフィジャが、落、ち――。


「フィジャ!」


 不幸中の幸いだったのは、一番奥の階段付近でやりあっていなかったことだろうか。

 フィジャは落ちてしまったが、受け止めるのに間に合った。――成功は、あんまりしてないけど。


 きゃああ、という悲鳴が遠くに聞こえる。


 間に合いはしたが、抱きとめた、受けとめたというよりは、ほとんど下敷きというかクッションになったような形なので、体のあちこちが痛い。


「点検〈ウヴール〉……」


 悲鳴でかき消されるほど小さな声で詠唱する。怪我の度合いチェックだ。まあ、本当は人でなく物に使って破損個所を確認するものなのだが、わたしはこっちでいい。怪我の具合や病気の具合を見る「検査〈サヴェカトル〉」は、医療知識もないと役に立たないからだ。


 ――というか魔法で落下ダメージ軽減すればよかったのでは?


 未だに日本人気分が抜けないデメリットとしてある、とっさに魔法が使えない癖は本当に何とかしたい。こういう時に困る。魔法は使わないようにしようとは思っていたが、危険な目に合った時くらい使うのはセーフでしょ……。

 ああ、ほら、肋骨にヒビが入っている。幸い、フィジャの方は怪我がないようだ。落下のショックで気絶しているけれど。

 わたしも、肋骨のヒビ以外は目立つ怪我はない。


「大丈夫ですか!?」


 わたしたちに駆け寄って来たのは司書さん。フィジャに心配かけるのも……と思ったが、わたしは治療系の魔法が使えないのでおとなしく「彼は大丈夫そうですが、わたしは大丈夫じゃなさそうです」と答えておく。


 いや、治療系の魔法、習得はしてるんだけどね? 医療の知識がないので、使うと肋骨が変にくっつく可能性があるのだ。治療系の魔法は、あくまで回復する時間を早めるもの。どう治していけばいいのか、という知識がなければどうしようもない。……というのを、本来なら学ぶ前に知っているはずなのだが、習得してから気が付いたというのは内緒である。使えない魔法を習得するのは、魔法使いの間ではかなり馬鹿にされてしまうのだ。まあ、もう馬鹿にする魔法使い自体がいないようだけど。


「すぐ医務室へ! 医者を呼びます!」


 そう言って、お姉さんはフィジャをどかし、わたしを抱き上げた。お姫様抱っこだ。お姉さん強い。


「あ、の……。彼も、一緒に」


 流石にあの場に放置はちょっと、と思い、司書さんに提言したが、「分かっていますが、怪我人が最優先です!」と怒られてしまった。まあ、そうか。

 しかし、フィジャも運んでくれるならいいか。


 フィジャが怪我をしていないし、彼もちゃんと処置してくれる、と聞いて安心して緊張の糸が切れたのか、ぶわ、と痛みが増す。これ以上、無理にしゃべる気力はなくなってなってしまった。


 司書さんが先ほど座っていた、カウンターの横の扉――入口とはまた別の扉をくぐると、カウンター内に入る。

 カウンターの外側からは本棚の陰になって気が付かなかったが、どうやら扉が二つあったらしい。右側の扉を司書さんは乱暴にも足で開ける。普通の内開きドアなのにすげえな。


 扉の向こうにはベッドが三つほど並んでいる。手前二つは、病院の様にカーテンで仕切れるようになっていたが、奥の一つは衝立のような壁でベッドのほとんどが隠れていた。誰か寝ている――?


 司書さんはわたしを手前のベッドに寝かせた後、奥のベッドへ向かい、そしてそのベッドを蹴飛ばした。


「ロロン、起きて。……ロロン!」


 彼女がベッドを二度ほど蹴ると、もぞり、と寝ている誰かの足が動いた。


「あたし、街に医者を呼びに行ってくるから。貴方、もう一人の方を運んで。そのあとは司書業務変わって。猫種の馬鹿男三人組が蛇種の男突き飛ばしたの。まだ馬鹿三人が残ってるようならとっ捕まえておいて。いいわね!」


 司書さんは半ば怒鳴る様にして、寝ている誰かにことづける。

 まだ眠そうではあるが、低く掠れた了承の声が聞こえると、司書さんは慌ただしく部屋を出て行った。

 奥で寝ていた誰かが立ち上がるのを見ると、わたしは、もう大丈夫か――と、そのまま気絶してしまった。

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