29
「マレーゼはここ使ってね。狭くて悪いんだけど……」
そう言って通されたのは、部屋、というよりは物置のような場所だった。物置、というよりは、広いウォークインクローゼットか。フィジャの部屋を経由してたしね。
でも、ベッドはあるし、服をある程度しまっておけそうな棚もある。なんならハンガーバーもあるし。窓が付いていないので、空気の通りは悪そうだが、広さは申し分ない。
「本当はボクの部屋を譲れたらよかったんだけど、荷物が多いから。ごめんね」
そういうフィジャの部屋には、レシピ本らしい本や、キッチンに収納しきれなかったのだろう調理道具などが所狭しと置いてある。多分、本来ここにしまわれていたのをわざわざ外に出したのだろう。
「ううん、大丈夫。十分だよ」
「マレーゼの荷物はそれだけ?」
「うん」
わたしの荷物は大きめのバッグ一つに収まっている。昨日買い足した着替えとタオルがほとんどだ。
前世では漫画を買ったり、趣味のグッズを買ったり、と何かと荷物の多い生活を過ごしていたが、今世ではあまり私物を持たない生活をしていた。ミニマリストよろしく、必要最低限のものしか持たない。
なんというか、執着心や物欲というものが、転生してからすっぽりと抜け落ちてしまったのだ。
だって、死んだら何も持ち越せない。
確かに、記憶や思い出は残るかもしれないけれど、形あるものはいつまでも手元に置いておけないのだ。そう思ったら、なんだか欲しいものがめっきり少なくなってしまった。
また来世、記憶を持ち越すとは限らないけれど、何か娯楽品を買おうかな、と思っても、「どうせこれ、死んだらあの世に持ってけないしな」となんだかそこまで必要なものじゃなく思えてきてしまうのだ。
悟りすぎ、と自分でも思うが、異世界転生や異世界転移で肝心なのは、適応力と諦めだと、身をもって実感した。
とはいえ、記憶を引き継げるので、人間関係の方はあまりおろそかにしているわけではない……と思う。どうせ死んだら会えなくなる、と最初から仲よくなるのを諦めることはしない。流石にそこまで悲観的にはなっていない。元が楽観的な性格だしね。
仲良くなって、楽しい記憶と思い出を作れたら万々歳である。
「女の子の荷物って、もっとあるのかと思ってた」
「それは人によるかなー。わたしは少ない方だと思う。こっちに来てからまだ数日だし、所持金がそんなにないっていうのもあるしね」
硬貨を売って得たお金はもうほとんどない。大島には墓参りに行ったので、たいした持ち物もなく。もう売れるものはない。そういえば、どこに就職しよう?
「ねえ、フィジャ。わたしが働くとしたらどこがいいかな? 文字は読めないけど、会話ならどんな言語も大丈夫だよ」
語彙増加〈イースリメス》があるから、どんな言語でもばっちこいだ。わたしは棚の上にバッグを置きながら、そんなことを言ったのだが、即座に否定されてしまった。
「ダメ、外で働くのはダメ! いや、絶対じゃないけど、どうしても、っていうなら……うーん……でも……」
はっきりとしない物言いに、また何か獣人の常識があるのだな、と察する。流石に何度も直面していれば気が付く。やらかしてから気が付くよりはずっといいから、これからも報連相はしっかりしよう。
「一夫一妻なら共働きも珍しくないんだけど、一妻多夫の夫婦で妻が働いてると、よっぽどの甲斐性なしって思われちゃうから、できれば家にいてほしいかな……」
言われてから気が付く。それはそうだ。一夫一妻の日本でも、妻を養えるほどの稼ぎがあって一人前、みたいな考えは、時代遅れと言われようとも確かにあった。稼ぎに出る男が複数いる家庭なら、余計にその傾向は強くなるのだろう。
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