第15話忘れえぬ新潟地震

 酒田市に住んでいた5年半の間で忘れられないのが新潟地震だったが、千葉県に移住しても3.11の東北大震災も体験したが、新潟地震の事は未だにはっきり目に焼き付いて居る!

 それはその時の状況が少し変わった状況だったからで、これからたっぷりと説明しようと思う。

 当時は学校図書関連の出版社が集まって、全国の学校に実際の本をライトバンに積んで小中学校を訪問して、本年の予算に合わせて担当教員に決めて貰って居たのだ。

 東京からは2人で来て、書店の案内人と3人で学校を訪問するが、玄関から図書室まで箱に入れてある本を運び、終わったら元に戻す作業が1日2校の予定で予定を立てます。

 この日はお昼休みに先生に診て貰って居ましたが、1時頃に二階の廊下を子供たちが走っているような音、随分行儀が悪いなあと思った瞬間、図書室の本棚がバタバタと倒れ始めたのです。

 慌てて窓から中庭に飛び出して見たら、長い小学校の屋根がうねっていました。

 東京から来た二人は玄関の屋根が崩れたら車が潰れると必死に出そうとしたが、車のクッションで揺れも倍になっていて乗れませんでした。

 ようやく揺れも収まったが商売どころでは無いと本を積み込み国道に出たら、何と鶴岡酒田間の国道7号線は、アスファルトではなくコンクリートだったのですが、中央に15センチの割れが続いており、それよりびっくりしたのが植えたばかりの田んぼの苗が、根が上でひっくり返って居たのです。

 酒田市内に入ると酒店の酒は瓶が割れて道路に流れ酒臭い匂いでいっぱいでしたが、停電よりも断水のほうが長かった記憶があります。

 夜に同級生の居た機械工場の宿舎に行ったら、港で沢山の魚がひっくり返って浮いていて、すくい田茂で一杯捕まえたらしい。

 市内の女子中学生が逃げるときにグランドに出来た割れ目に落ちて、皆で助けようとしたがお亡くなりになったようだ。

 この地震の後に私は書店を辞め、同級生の親父さんがやっている鉄工所に仕事を変えて、その流れで60年近く同じ仕事でやってこれたと言うか、他の選択肢はなかったのかもこの際検証してみようと思う。

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