第13話父親の死と葬儀
父親は私が18歳の時に息を引き取ったが、生前の希望で棺桶は寝棺としたが、それまでは通常正方形の神輿のようなものであったが、その後町場の火葬場になってからは、寝た状態が不通になったが、当時としては野辺送りだったので、初めての事だった。
野辺送りは夜中に何度か焼け具合を観に行くのだが、焼けすぎると翌日のお骨拾いで、お骨が焼けすぎて残らなくなってしまうらしい。
現在はバーナーの調整で何とでもなるが、野辺送りは自然任せなのだから1時間半間隔で焼け具合を確かめる必要があるのだ。
お寺の敷地内に有る野辺に私も一人で2度ばかり確かめに行ったが、青い炎を上げ燃え盛る中に、杭状の棒を差し込んで中の状態を探って、そこそこ上がった頃に周りから広げて火を消して朝のお骨拾いまで火を収めるのだが、これは慣れた人にやって貰う事で、全て村民の手で行うのだ。
近年流行した吾亦紅を聞くたびに、その場面を思い出す。
話は後先になるが折角父の事を思い出しながら書いているので思い出をもう少し書いてみよう!
私が中二の秋ごろだと思うが、集落での会合で父は持論をまくしたてたら、集会所になった家の奥さんと、えらい剣幕の口論になったそうで、わたしは父の話しに大変納得出来てその奥さんの事の言い分に酷く腹が立ったのだ。
そこの家には私より下のクラスに女生徒が居たと思うが、翌日そこの家に行って奥さんが出たのでいきなり平手打ちして何も言わずに帰った。
自分の記憶でそれまで他人に暴力をふるった記憶は無いが、多分学校でも騒ぎが起きてもおかしくは無いだろうと思って居たが、これと言ってお咎めも無く少し拍子抜けでいたら、放課後に担任に事情だけは聴かれたが、我慢できない位腹が立って殴ってしまったが謝るつもりは無いし、酒席では有ったがこれは言葉の暴力だと言った記憶が有る。
担任はそうかと一言で終わったが中学時代の後味の悪い少ない思い出となった。
私が酒田市に出てから父は西山の所謂羽黒月山道の近くの牧場の見張りをやって居たらしいが、夜学の二年の夏に酒田の病院に入院したのだが、末期の肺がんで本人の意思で退院し自宅で数日で息を引き取った。
私が死に装束前の髭を剃ったのを鮮明に記憶に残って居るが、61年の人生でやり残したことは無かっただろうかと思ったものである。
私の生まれた集落では馬を飼って居て農作業で役立てて居たが、どういう訳か私の家では牛を飼って居たが性格が全く違う、例えば馬は引くもので牛は追う物だが馬は坂道が苦手で牛は苦にならないと、真逆なのだが牛を飼った経験から牧場の番人に頼まれたのかも知れない。
毎日急な坂道を往復するのが大変で、牧場に泊まり込んで居た事も有ったと聞いたが、夏の暑い頃には大変な事だったのだろう。
頼まれたら嫌とは言えないあたりが自分に似ていると思うが、婿も捕った事だし少し楽にしていればもう少し長生き出来たのかも知れない。
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