第11話町村合併

 私はこの歳迄本籍地を変更して居ない。

 これは珍しいのかは知らんが、拘りは有るからだが、その間に幾度の町村合併が有って本籍地の町名が変わったか思い起こしてみよう。

 最初は立谷沢村で有ったが、中学に上がった頃に清川と狩川の合併で立川町になったが、清川にも狩川にも国鉄の駅が有って、立谷沢村には駅も無いし当時は砂利道で舗装になったのは多分昭和も終わる頃だったかもしれない。

 平成の全国の町村合併でついに庄内町町で余目ともくっついてしまったが、名前だけだと庄内平野を代表した町のようだが、規模としては鶴岡市や酒田市には及ばないが、遠い千葉に住んでいると変な気持ちで有る。

 中学時代はバレーボール部に入って居たが、立川町で四校の大会は部活以外も駅伝が開催されたりしたものだ。

 卒業でクラスで4人が高校に行ったが、何れもや学生で私以外は鶴岡工業高校だったが、私は姉が居た酒田工業高校に行った。

 工業高校は受験の前に色盲検査が有って、清川駅まで一人で片道16キロを二往復、それも二月末で積雪の2メートル以上あり、道しるべを頼りに歩いたものだ。

 今や道も舗装になって各家のも車がる時代で、当時の事など考えられないが、三月末に新任の先生を荷物を載せるソリを引いて何人かで迎えに行くが、予想以上の僻地にべそをかいていた女性の先生も居たが、一年も過ぎたころには父兄のおもてなしで居心地が良くなって、転勤を断って長い事居る先生が多い。

 宿舎は有るし食事は3食学校で食べれる、美味しいものが沢山あるので居心地が悪いはずは無いが、バスは雪の降らない時期だけ2便あり、買い物は雑貨店が2店あるだけと不便極まりないのだ。

 自然が多いと言うよりは自然だけとと言った方がぴったりだが、たまにはそれを好む人も居て当然であろうと思うが、今や車も各家に在る状態だが学校そのものが過疎化で廃校になって多分狩川にだけ残って居るのだろう。

 そんな事で良く遊びに行った羽黒山は今や鶴岡市で有るが、田中角栄さんみたいな人が居たらトンネルで鶴岡も20分位で行ける状態になって居たであろうと思う。

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